オクノトDIARY

壁だけじゃなかった

ゴールデンウィークも終わり、能登半島地震から既に4ヶ月が過ぎた。ようやく仮設住宅に入居したけれど、なかなかやねえ。狭小住宅のモデルのような。いや、狭小住宅の方が広い・・・。笑

昨日の深夜に、まだ空いている隣の家(部屋というのが正解?)に誰かが入って来くる音で目が覚めた。なぜ真夜中に???ドタドタと家の中を歩く足音、男女の話し声。お陰でちょっと寝不足で、これが噂に聞いていた壁の薄さか。というか、床もだとは予想外。うちは真ん中、両隣が入って来たらと思うと気が重い。

町の中心部では公費解体が始まって、うちの集落ももしかしたら来月あたりには解体が始まるかも。

そうなると集落のこれまでの古い町並みはなくなり、あの穏やかな暮らしは戻らない。切ないなあ。集落や町が新たに作り上げられるのなら「戻す」に拘らないけれど、高齢者ばかりの集落はやがて来るであろう消滅が早まったとしか言いようがない。ニューヨークや中東、ヨーロッパと色々な国や街に住んで、自然豊かな能登の移り住んだのにね。人生、ほんまに良くも悪くも一寸先は闇。

震災が起きてから「復興」ってなんなん?と考えてきたけれど、結局は個人個人が諦めずに日常を取り戻し、そこからできることをする、しかないのかな。

国や行政に求めるのはちょっとちがうかも。待っていても始まらない。町の中心部などは行政が再生プロジェクトなどでやるかもしれないけれど、末端の集落など再生のしようがない。

ただ、なんていうか、ここの土地柄なのか、先陣を切って音頭をとる人たちもいない。みな、黙々と耐えながらと、という雰囲気。

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約1年前の三果骨折その後。抜釘手術。

抜釘手術後
包帯が取れた
抜糸前の傷口

昨年の5月の三果骨折。その時折れた骨を支えるのに入れたプレートや針金を取る手術を先日行って、無事に抜糸も済み、今これで骨折は一区切り。気分的にも身体的にも楽になった。

今はただ傷口が治って、ネジで開いた骨の穴が塞がって、徐々に回復するのを待つ日々。

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能登半島地震 Day115, 4/25

3月26日
4月8日
4月8日
4月22日
4月25日

あれから115日が過ぎて、ようやくこの地区にも仮設住宅が建ち並んだ。建設期間、約1ヶ月。

仮設住宅という響はそんなに悪くないかもしれない。良い面だけを見れば、新しいトイレとお風呂があり(しかもそれは避難所のように他人と共用でない全くの個人のもの!)、自由に好きな時にキッチンで調理ができる。猫たちと同じ空間で過ごせる。そんなありがたいことはない。

だけど現実はペラペラのプレハブ長屋だ。床も、隣との壁も、何もかもが薄っぺらく無機質で、荷物も家具もほとんど入らない30平米。そこに来月から人間2人と猫2匹で暮らす。2年という期限付きで。

普通、家を一軒建てようと思えば、設計などを含めて一年半ぐらい前から取り掛からないと無理ですよと住宅メーカーさんに言われたけれど、1月の震災から4ヶ月経った今のこの集落周辺、2年という期限内に家を建てられる状況には程遠い。空いている家ももうほとんどない。国の政策を見ていると過疎地の奥能登に明るい未来は感じられない。

いつまで耐えられるか、人生最大の我慢大会。エントリーもしてないのに勝手に既に登録されて参加せざるを得ないというやるせなさ。

仮設住宅前の風景
仮設住宅前の風景

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能登半島地震、震災復興の通過点

穴水町の私の住む地区の仮設住宅の建設が始まった。完成予定は来月上旬。入れたら良いな。それまでこの苦行のような避難所生活は続き、それで何か悟れるなら良しとしますが。笑。

だけど仮設住宅はあくまでも生活再建の通過点であって、目標ではない。新たに自分の生活を始める家と土地を見つけるまでの仮の宿。

できれば仮設住宅に入らずに新しい家をと、現状でできる事はしたけれど、無理でした。まだその時期ではないのか、出逢うべく出逢いには繋がらなかった。人間万事塞翁が馬。

3月5日
3月13日
3月14日
3月16日
3月20日
3月21日
3月22日