カテゴリー: 心と精神の浄化

エゴセントリック

世界中にユーザーを持つFacebookというSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)に登録していたが、もういいや。

先日、そのフェイスブックを通して、ある人から「友達として承認してください」というメッセージが届いた。ドイツ系のその差出人はとても懐かしい名だった。20代の頃、京都で一つ屋根の下に一緒に住んだこともあれば、ベルリンでは毎日のように互いのアパートを行き来し、夜な夜な語り合った”元”友人だった。”元”というのは、わたしがイスラエルに引っ越した後、「そんな国に住もうなんて人とはとうてい友人ではいられない」と、いかにも欧州のメディアを鵜呑みにしたパレスチナ問題を切り口にして、一方的という以外なんでもない彼女らしいやりかたで絶交状を突きつけて来たからである。その当時、そんなことで壊れるような関係だとは思っても見なかったし、こちらとしては彼女との友情(そんなものがはたして存在していたのかも今となってはアヤシいものだが)に重きを置いていたので、国際電話でもっても何度もこちらの意図を誤解していると伝えたのだが、無駄な努力に終ってしまった。現在は作家として活躍している彼女だが、良くも悪くもすべてがその一時の感情なのだ。ロジックなところがほとんどなく、すべて思い込みで生きているようなところがあった。だから、それから一年待った。一年待って、熱りが冷めただろうとふたたび連絡してみたが、それでも答えはおなじ、彼女の引きつったような白々しい作り笑顔が受話器越しにわかるほど、もう関係は壊れていた。なので、わたしからはそれから一切、彼女に連絡することはなかった。

そんな彼女から「フェイスブックはじめました!ああ、あなたを探し当てることができてほんとにうれしい!どうしてる?!あたしは今ああでこうで・・・・」なんて興奮気味のメッセージをもらったのだ。で、一日、考えた。当方としては「ふーん、で?」探すもなにも、まったくイマサラなのである。ある日突然ポイッと捨てられたかつての恋人に「よぅ、俺だよ、俺!今子供もいてさー、幸せなのよ、俺、今度会おうぜ」と突然、しかも相変わらず自己中なオレオレメールをもらったような、そんなしらけた気分なのだ。こちらはもうとっくの昔にすっかり事後処理を済ませて、今の新しい生活があるんだよね。と言いたいところだ。

しかしそれでも、かつて絶交状を突きつけた彼女がそうやって歩み寄りしてくれたのだから、そこは受け止めるべきかもと友達承認してみたものの、どんなシゴトをしているのかとやたら聞いて来るのでカクカクシカジカ、ユダヤ関係ものなども書いてます、と伝えるとまた音信がとだえた。・・・なんなんだ。イスラエルやユダヤというキーワードがまた彼女の中でよからぬ妄想を膨らませたのかもしれない。それとも単に自分の今の成功をひけらかしたかっただけなのかもしれない。またはもう以前のように彼女を慕う言葉を投げかけなかったから(DearもLoveも文頭と文末に付けたのではあるが)がっかりしたのかもしれない。そしてその数回のやり取りでこちらがひとつだけ彼女に尋ねたことへの返事はない。そうなるとやはりわたしの脳裏に浮かぶのは昔と変わらず一方的で、こちらの理解の範囲を超えている彼女だ。

かくしてニンゲンはともかくエゴセントリックでどうしようもない。もちろんわたし自身も自分では気がついていなくても、どこかできっと同じようなことをしているのだろう。よーく気をつけなければ。そこで連絡することはもうないだろうと思われる、20年来の友でもありかつては結婚も何度か話にあがった恋人だった彼の連絡先をコンピュータから削除した。数年前にようやく同郷の彼女と結婚し今年には念願の子供が生まれた彼の、過去の亡霊にはなりたくない。そう思わせてくれたドイツの彼女にチョット、感謝するべきかもしれない。

カテゴリー: 旅の空

フランス。

気がつくと8月下旬からまったく更新していなかった。

9月中はなにをしてたんだっけ・・・。すぐには思い出せないこの物忘れは名人級。というよりも、昨日食べたものすら思い出せず、しかも昨日だと思っていたことがもう一週間ほども前のことだったりと、とにかく時間の過ぎさる早さに追いついていない。

その先月でひとつだけ思い出せるデキゴトは、9月中旬にははじめてフランスという国を訪ねたこと。これまでまったく興味がなかった国。パリ? エッフェル塔? ニース?・・・ふーーーーーん、だった国へ二週間の旅。きっかけはかつて「薔薇色の都市」と呼ばれた南仏のトゥールーズに憧れた父とそれに同行する母からのお誘いだった。はじめてのフランスで、しかも二十名ほどの団体という、なんていうか外国に住む”ニホンジン”には日本に住む”日本人”らしく振る舞えるかしらとドキドキ体験。旅は一行よりも一足早く到着したニースからはじまり、アヴィニョン、アルル、カルカッソンヌ、サンエミリオン、モンサンミッシェル、そしてパリへとローマ時代の町を回りながら毎日毎日たくさんのものを見、バスで走り、しかも詰め込まれすぎて途中でもうなにがなんだかわからなくなって、こういう旅の仕方はあんまり性に合わないな、となんとなく腑に落ちず、毎夜その日のことを噛み砕いて消化することができぬまま気がつくと旅は終わってしまった。

フランスであってもどこであってもわたしのキョウミは相変わらずユダヤ系統だが、今回訪れたローマ帝国の街のかたすみでユダヤの歴史も訪ねたかった。とはいえけっきょくはアヴィニョンであの街の観光メインといってもいいローマ法王庁跡(「がらーん」だそうだ)に一行が訪問している時間を使って、ひとり(ただしくは旅の間わたしたちのバスの運転手を務めてくれたおじさまと)シナゴーグを訪ねた。翌日のアルル行きをキャンセルし、アヴィニョン近郊にあるフランスでいちばん古いシナゴーグまで足を伸ばすことも考えてみたが、もう博物館になっているそこには行かないことにした。死に絶えたユダヤの跡地を訪れるのはあまり楽しいものではないから。旅の終盤では何時間もだらだら歩くのはちとツライとヴェルサイユ宮殿には入らず、そこで両親とともに三人で離団してパリへ。パリ中心のサンラザール駅までの、そのなんともいえない体臭やら生活臭の漂うお世辞にも清潔とはいえないローカルな電車の四十分は、まるで四条河原町から阪急で梅田に向うようなキブンで、ヴェルサイユから見る見るうちにごちゃごちゃと民家が犇めいた色香もなにもない窓からの眺めに「えー、次は梅田ー、梅田ー」と父と笑いあったのだった。パリでは母の要望でシャンゼリゼ通りを歩いたぐらいで、エッフェル塔の写真なども撮らなかったし、じっさい東京タワーのほうが色合いもデザインも美しいと思えたのは気のせいか。そして昼はセーヌ川沿いを散歩しながらマレ地区でファラフェルをがっつき、夜は日本人街ではないパリッ子の集まる回転スシ屋でちらし寿司に満足。この旅のなかでいちばん美味しかったのは、サンラザール駅付近の食堂で疲れきったところでありつけた一杯のオニオンスープだった。

とまあそんなこんなで、典型的な観光旅行とふつうのパリを過ごした旅を終えて、帰って来てから十日も過ぎてからのほうが俄然、「よかったなあ、フランス。また行きたいかも」なんて思えて来る始末。あの二週間で滞在したいくつもの町に今さらのように興味が湧き出してしまった。しかも今回は両親との旅に集中したかったのと、ぞろぞろ説明を聞きながらのツアー見学では思うように写真など撮れる時間もないとわかっていたので、写真らしい写真はほとんど撮らずだったのも今になるともったいなかったと悔やまれる(カメラは持って行ったのにね)。もう一度、でも今度はゆっくりと一ヶ月ぐらいかけながら、思う存分写真も撮りながら、なんて夢うつつ、次なる旅への妄想がおもちのようにぷうーっと膨らみはじめたから始末に負えない。朝焼けに染まるモンサンミッシェルを、朝の光りのころ、午後の風と光り、そして夜の光りの中に浮き上がるその姿を何日でも撮り続けてみたい。宝くじでも買いますかね。