カテゴリー: ユダヤの暦

記憶の日

今日の日没。

たった今、イスラエルの国中に一分間のサイレンが鳴り響きました。
エルサレムの嘆きの壁の前では、式典が行われています。

ヨム・ハ・ジカロン

記憶の日

イスラエルの国のため、愛する家族のために戦い、
命を落とした兵士たちを忘れないための日。

そして明日の午前11時、もう一度長いサイレンが鳴り響きます。
車を運転中のドライバーも、シャワーの途中の人も、
すべての人々が起立して黙祷を捧げます。

去年一年では138人の兵士が亡くなったそうです。

明日の日没からは建国(または独立)記念日となり、お祝いムードへと。
街角や家々の窓からはイスラエルの国旗。
通り過ぎる車にも小さな旗がパタパタパタ。

ちなみに先日は、もうひとつの記憶の日でした。
ヨム・ハ・ショアーと呼ばれるホロコースト記念日。

イスラエルではこの日も国中にサイレンが鳴り響き、黙祷を捧げます。
そして、世界中のユダヤのコミュニティーではユダヤの人々が集まり、
ホロコーストで亡くなった方たちを忘れないように式典が行われました。
式典では犠牲者の名が空に響き、悲しい響きのカディシュと呼ばれる祈りが
ラビによって捧げられました。

今回、私が滞在していた旅先のクロアチアでは、ホロコーストを忘れないようにと、
首都ザグレブからヤセノヴァッツと呼ばれるクロアチア最大の収容所跡に向かって
100キロほどを単独で走りぬかれたクロアチアの方がいらっしゃいました。

日本からは遠い国で起きた遠い昔のはなし。
それでも、ホロコーストは今でも忘れられず、
記憶されています。

忘れ去られたイディッシュ語の歌

「トレブリンカ」  / 訳 by chika okuwa

小さな町の朝早く

服も身に着けないままに
ベッドから連れ去られたユダヤの人たち

どのようにしてその車輪がトレブリンカへ向かったのか
誰にもわからなかった

海の向こうにいる兄弟たちよ
君たちにはここで何が起こっているのか
わかるはずもない

でもこの戦争もいつかはひとつの終わりを迎えるだろう
その時世界は驚愕する

その時君は
トレブリンカに
100万という無数の墓を知るだろう

 

強制収容所には、労働を強制した収容所と、殺すことを目的とした絶滅収容所がありました。世界的に有名な絶滅収容所にはポーランドのアウシュヴィッツや、日本で芝居にもなっているコルチャック先生の話で有名なトレブリンカがあります。これらの収容所に送られた人たちは、主に普通の生活をしていたユダヤ人、キリスト教聖職者、ロマ(ジプシーという蔑称で呼ばれる人々)、同性愛者、政治犯、犯罪者などなどでした。

反ユダヤの感情が強かったポーランドのソビブルや、セルビアで最大のヤセノヴァッツなどの収容所では、収容されていた人々が自らの命を守るために暴動を起こしたこともありました。

ソビブルでは1943年の10月14日に、何百人というユダヤの人々が、収容所内で作業道具を片手に暴動を起こし、収容所の外へと走りました。当然それを阻止しようとナチスの弾丸が飛び交い、柵の外へ逃れた方のほとんどは収容所の外に埋められていた地雷によって亡くなりました。最終的には、ほんの数十人の方が生き延びただけでした。今ではその数ははっきりとはわかりません。

セルビアのヤセノヴァッツは、ホロコーストの記憶の中でも、その残虐さから”バルカンのアウシュヴィッツ”と呼ばれています。ここでも、終戦の少し前 1945年4月22日に暴動が起こり、1,200人ともいわれる人々が収容所の外に向かって弾丸の中を走りました。しかし、柵を押し倒して走り抜けて助かった命はほんの80人だと伝えられています。

ヤセノヴァッツは後に証拠隠滅のために焼き払われ、現在ではその場所には何の記念碑も建てられておらず、人々の記憶からは忘れ去られてしまいました。ヤセノヴァッツは、ホロコーストの記憶の中でもアウシュヴィッツのように世界中の人々に知られることも、語られることもありません。

そんな遠いヨーロッパで起きたこととは何も関係のなかったかのような日本ですが、1941年頃の日本では、ホロコーストを逃れポーランドから北上しロシアを渡って神戸へ逃れてきたユダヤの人々の姿が見られました。その数は6,000人とも1万人とも言われています。彼らはリトアニアの日本領事館に勤務していた杉浦千畝(ちうね)氏が発給したビザを頼りに日本に逃れて来ました。杉浦氏は、「人として今しなければならないこと」としてビザを発給したと。日本に流れ着いたユダヤの人たちは、神戸と横浜にしばらく滞在した後に上海に渡り、そこからアメリカなどの地へと渡ってゆきました。

一方、ドイツ南部ミュンヘン近郊のダッハウ強制収容所には、日本の男性が1人収容されていたと言われます。資料を調べてみてもキリスト教関係の方ではなかったのかという以外には、残念ながらその方の名前も生死も行方もわかりませんでした。

エルサレムには、世界で最大のホロコースト博物館が建っています。世界中(主にヨーロッパですが)の強制収容所と絶滅収容所の記録が残された複数の建物があり、その中には亡くなった子どもたちの博物館もあります。この子どもたちの博物館では、これまでにホロコーストにより死亡したと確認されている子どもたちひとりひとりの名と、歳と、出身地が絶え間なく読み上げられ、そのリストが一回りするには3年もの時間がかかるほどです。2003年には、ヒトラーの本部があったベルリンの中心に、巨大なホロコースト記念碑が建設されました。

ドイツ政府は戦後にホロコーストを認め謝罪し、ユダヤ人のドイツへの帰還に当たり彼らに賠償金を支払っています。さらにドイツやフランスなどの国では、国籍を問わずホロコーストを否定する人に対しての刑罰が法で定められています。