カテゴリー: 心と精神の浄化

舌の持つパワー

こんなユダヤの話を旧ブログに載せたことがあります。もう一度、自分にの心にしっかりと留めるために、ここに記しておきます。

ホフェツ・ハイムという偉いラビがいました。トーラー(旧約聖書)を一筋に学んでいたホフェツ・ハイムは俗世のことはあまり知りませんでした。ある時、ある人がホフェツ・ハイムに言いました。

「ラビ、あなたは劇場に行ったことがありますか?」

「劇場?それはなんですか?」

「これはこれは!劇場をご存じないと?劇場ではたくさんの観客が集まってステージで行われる劇を見るのですよ」

「ほー!どれくらいの観客が集まるのですか?」

「そうですね、200人ぐらいは集まりますよ」

「ほー!それで、その200人の観客は劇場では何をするのです?」

「ラビ、それは劇場ですから、劇を見るのです」

「ただ劇を見るだけですか?」

「そうですよ」

「ほー!劇を見るだけ・・・。その間、観客の誰もが話しをしないのですか?」

「ラビ、そりゃあそうですよ。じっと2時間ほどステージの劇を見るのですから!」

「ほー!!!それはいいことだ!人々にもっと劇場に行くことをお奨めしなさい!」

「ラビ、なぜですか?」

「だって、2時間もの間、誰も人の噂をしないなんて、すばらしいことです!」

「飛び散った羽毛のごとく」

男はいつものようにとある人について陰口や噂話をしていました。

でもある時、男はその人についてまったく思い違いしていたことに気が付いたのです。

そこで男は白いひげのラビ(ユダヤ教の教師のことです)を訪ねて行き、その人に今まで言ったことについて謝りたいが、一体どうしたらよいかと尋ねました。

ラビは言いました。

「この羽毛入りの枕を持って市場へ行きましょう。」

男は何がなんだかわかりませんでしたが、ラビに言われるままに枕を持ってラビと一緒に市場へ行きました。

男はラビに尋ねます。

「さて、ラビ。市場に着きましたが、それと私の質問とどう関係があるのですか?」

ラビは男に言います。

「ではここで、この枕を破って中の羽毛を全部取り出してみなさい。」

男は言われるままに枕の中身を取り出しました。すると瞬く間に羽毛は風に乗ってあたり一面に散らばり、あちらこちらへ飛んで行ってしまいました。

ラビは男に言います。

「では今度は、この羽毛をすべて元のように集めてごらんなさい。」

男は答えます。

「ラビよ、それは絶対に無理です。もう探しようがないくらいに、あっちこっちに散らばってしまいました。」

ラビは男に言います。

「その通り。そしてそれはあなたのしたことと同じではありませんか。散らばった羽毛も、もう発してしまった言葉も、いくら謝っても元に戻すことはできない。あなたは言葉を発する前によく考えるべきでした。」

男は自分のした事の重大さに頭をうなだれました。

ユダヤでは、例えそれが真実であったとしても良い噂話であっても、「人の噂話をすること」や「他人についてあれこれ話すこと」は非常に避けなければならないとしています。

十戒には、「汝殺すことなかれ」と書かれています。タルムードと呼ばれるユダヤの経典では、人前で他人を罵ったりおとしめたり、他人を辱めることは、その人を殺すのと同じに値すると説かれています。人に精神的な苦しみを与えることはそれほど大変な過ちなのだと。そして人を殺した後でいくら反省しても、その人は生き返りはしません。元に戻らぬ、散らばった羽毛と同じように。人は言葉の持つ力を知らなければならない。

また旧・新約聖書では「自分自身を愛するように隣人を愛しなさい」と書かれています。つまり、自分にされて嫌なことは人にはしてはいけないということ。「そんなことは当たり前じゃないか?!」と思っていても、ついつい自分かわいさに忘れてしまいがちなことです。何事も行動するにあたって、まず自分がその人の立場に置かれた時のことを思い描いてみる。すると一つ一つの行い、言葉、はおのずから労わりや思いやりを含むのではないでしょうか。

人は自分のなりたい人になれるのだから。自分は自分の生産物。他の誰のせいでもない。

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カテゴリー: 混沌の文化

スタンな女

先日テル・アヴィヴで久々の自爆テロがあった。旧バスターミナルの付近らしく、幸い死亡者はなし。あ、その魚雷さん以外はです。負傷者は20人だか30人だからしい。まったく、アホナコトヲ。

その日は自宅で仕事をしていたので、テル・アヴィヴにいなくてほっとした。いつどこでこんなことがあるかわからないのが、やっぱり怖い。

この前、テル・アヴィヴで会社に行く途中に現バスターミナルから乗ったタクシーの運ちゃんとの会話。

「オネエチャン、テル・アヴィヴで朝のはよからなにしてんのん?」

「仕事ですがな」

「へー、何の仕事してんのん?」

「コンピュータ」

「え~!!そんなんオレ、生まれて初めて聞いたで!」

でたよ、必殺イスラエル人、生まれて初めてと言うフレーズがお好き。

「何が初めて聞いたん~?」

「フィリピンの人やろ~?」

ズルッ。ちゃいますて・・・。

「あ、ほな、ロシア人、えっ、ちゃう?じゃ、タイ人?えっ?ちゃう?じゃ、チャイナか?」

「あ~、ちょっとちこなってきたね、ほら、そのすぐ近くにあるやん、コンピュータの国がさ~」

「わかったわかった、韓国!え~、ちゃうのん?うーん、その近くねえ・・・あ~、あるわなあ。わかった!これやこれ、カザフスタン!!どや、そこやろ!」

・・・ズッコケマシタ。何で韓国の近くの国ゆうて、スタンに飛ぶのだ?

「ちゃうてちゃうて、ほら、さっきの近くに戻って~」

「ん~、そしたらもうここしかないな、キルギスタン!!せやろっ!」

・・・・・いや、スタンはもうええっちゅうねん、誰がスタンやねん・・・。でもこのおっちゃん、いや、オニイサン、真顔でしたワ、真顔。

以前にもエルサレムのショッピングセンターでダダダーッとピンクのほっぺたで駆け寄ってくる若い男あり。

「むにゃむにゃむにゃ?」

「はっ?」

「むちゃむにゃむ・・・カザフスタン???」

「・・・・ちゃいまふ・・・」

何でいつもスタンなんやろうなあ・・・。そんなにスタンっぽい?あ、スカタンか。

カテゴリー: 混沌の文化

Can we go to Gottex?


ここ何ヶ月かの間、テル・アヴィヴのとある企業のプロジェクトに参加。週に何度かテル・アヴィヴまでバスで通っていますが、それもそろそろおしまい。「あー、よかった」と思っていた先日のこと、この期になってその会社の近くですばらしいものを発見してしまいました。

イスラエルのカジュアル・ファッションの王道を行くのは、何といってもCastro (カストロ)。デザインもヨーロッパ並みでなかなかオシャレ。でも値段もヨーロッパ並みでかなり高め、しかし質はソコソコ。その次はFoxやGolfなど、お手ごろ価格なだけあって一シーズン着たらさようなら~。ちと勿体ないお金の使い方と物質のあり方。

そして~、イスラエルといえばGottex(ゴテックス)! 1980年代の終わり頃にはすっかりイスラエルのGottexと言えば水着界では王様。中東風の派手派手キラキラなデザインが、その頃のイケイケ・ファッションにぴったり。

しかし最近はそのGottexもあまり聞かないなあと思っていたら、なあんと、ありましたありました。昼食をとりに近くのサラダ・カフェに出かける途中、大きなGottexのお店をそのテル・アヴィヴの会社の横で発見!が、一緒に昼食に行く仕事仲間の方々は男性のみ。しかもその一人はおっフランスのオーソドックス・ユダヤのひげもじゃん。彼はできるだけGottexのショー・ウィンドを見ないように歩いてゆく。なのでそんな彼に「ねえねえ、ちょっとここに寄ってもいい?」とは切り出しがたく、「今日、仕事が終わったら帰りにゆっくり寄ろうっと!」なんて甘い考えで、横目で恨めしそうにその大きな店の前を通り過ぎた。

さて仕事が終わり、時計を見るとすでに6時半。8時間も薄暗い部屋の中でのコツコツ作業にすっかり疲れました・・・。かのGottexさまといえども、もう店内をブラブラする気力はなし。帰宅後にインターネットで検索すると、ありましたよ~。でも予想通りに高いね、ほんと。一着150USドルほどもしてますワ。オフ・シーズンだからテル・アヴィヴのあのお店で買うと、少しは安くなっているかと思わないこともないけど。が、それ以前に問題あり。この水着をイメージどおりに着たければ、激しいダイエットと足を長くする整形が必要だす。いや、本当にほしいのはシンプルな黒のワンピースなのよねん。でもやっぱりダイエットが必要なのは変わりないか。冬のエルサレムから一時間も車を走らせれば、そこはTシャツ一枚の夏の世界、死海。ああ、新しい水着で、久しぶりに死海に行きたいなあ。

Gottexの水着はこちらで見れます。男性諸君、鼻血にご注意。http://www.bestswimwear.com/gottexswimwear.html

カテゴリー: 心と精神の浄化

Over the Rainbow

テル・アヴィヴに行く途中の朝、バスの中から虹を見ました。薄暗い雨のイスラエル。田園風景が広がる中に、すーっと七色の虹が雨雲の中へ伸びていました。

虹はノアと神との契約の印。創世記の一話には、ノアの箱舟の話が書かれています。ノアの時代はモラルが欠落した社会で、神はそのような生き物である「人」を創造してしまったことを後悔し、洪水を起こし、それまでの人の犯した過ちと愚かさをすべて洗い流した。そんな世界で選ばれたのは、そのような愚かな社会に流されず、自分の信じる道を生きていたノアだった。

洪水の後、「再び大洪水によってこの世を滅ぼすことはない」と神はノアとその子孫に約束をし、虹をその印としました。虹を見るとそのことを思い出します。社会の風潮に流されずに、マイノリティーであっても自分に正直に生きたい。そして、暗い雨雲の中にも虹を見ることができるなら、人生の雨降りの日々にも、どこかできっと虹を見ることができると信じたい。

ユダヤの祈りのひとつに、虹を見た時の祈りがあります。            
         

                  
←右から読みます

ברוך אתה יהוה אלהנו מלך העולם
זוכר הברית ונאמן ננריתו וקים במאמר

ちなみに、昨日は、国の決めた5月のホロコースト記念日とは別のラビニカルなホロコースト記念日でした。エルサレムにある、世界で一番大きなホロコースト博物館ヤド・ヴァシェムも、去年の夏だったかにリニューアルしたので、一度足を運ばねばと思いつつもお気軽にひょいっと行きたい場所でもなく。いろいろな思いもあって、ズラズラと伸ばし伸ばしになっています。忘れてはならないことがいっぱいある・・・。

カテゴリー: 月と太陽の傾き

電気ありがたや

やっとエルサレムにも冬が訪れたようです。イスラエル・ブルーの空もグレーの雨雲。雨が降りはじめました。エルサレムの家々は夏向きの建築物なので、雨や寒さを考慮していない建物・・・寒いなあ・・・。暖房設備もあまり充実せず、うちにあるのは、小さな電気ヒーターのみ。これじゃあ、寒すぎる。しかしどうせ冬は短いし、それにヒーターを購入するとそれに伴う電気代が恐ろしい。なのでわざわざ高いヒーターを購入する気にもなれず、毎年冬が来るとちょっと慌ててしまう。だったらガスヒーターは?・・・本当に安全なのか、性能にちょっと自信がない。

中東の砂漠の街に冬の寒いのもコマリモノだけど、それより何よりも困るのは、水道の蛇口からはお湯が出ないこと。イスラエルでは、個人個人の家庭で、給水タンクとソーラーシステムを屋根の上に設置して、電気温水器でお湯を作り出す。長い夏の間は電気代もかからずなんていいヤツだと、いつでも熱々のお湯を出してくれる。当然、シャワーだっていつでも好きなときに浴びられるし、台所の洗い物もお湯ですっきり。なのに・・・雨季の冬がはじまると、このソーラーシステムはまったく無用の長物。太陽が照らなきゃ意味がない。そこで給水タンクの水を温める電気スイッチを入れることになるのだけど、これがまた・・・タンクいっぱいのお湯を沸かすまで、時間がかかーるのであーる。

もういいかなあ?2時間ほど待ってシャワーを浴びてみる→途中でお湯が生ぬるくなり、ブルブルと震えながら急いで飛び出す。こんなことは日常的。お風呂で温まるなんて夢のまた夢。ニッポンっていいなあ。24時間、お湯があるのだもんね。

そんな寒いエルサレムの自宅で、昨夜、数通のメールの返事を書いていると、ジージーッジジジジッツ・・・プッツン。

停電ですよ、停電!

HDを代えたばかりで、保管していた写真もすべて消えてしまったこのアホコンピュータのバッテリーも当然いかれている。「あっ!停電かも?!」と思うとすぐに、何も保存する間もなくプチン・・・。電源が切れましたヨ・・・。「あああー!!」と頭を抱えるも遅し・・・。電力会社がどこか近くで工事をしていたらしく、うちと近所の家数軒が停電となったらしい。当然、電気ヒーターも消え、寒いよー・・・暗いよー。「あ、そうだ」と、もらい物のキャンドルがいっぱいあったので10個ほどもあちこちに灯してみるも、寒いワ暗いワすることないワで、眠-い・・・。IBMさまのバッテリーも古くなって非常に乏しいので、コンピュータが使えないと、途端に手持ち無沙汰、部屋中をウロウロと意味もなく徘徊。そんなこんなで2時間ほど、電気のない不便さを実感。いやいや、冬の停電はイヤでごんす。またメールを一から書き直し・・・。脱力。

カテゴリー: 心と精神の浄化

インターネットは恐ろしい

以前からあちこちで見かけて、ずーっと気になっていたこの言葉「ネットは恐ろしい」。果たして、本当に恐ろしいのはインターネットだろうか。

インターネットを使いはじめて・・・何年かなあ?10年ほどかな?ソフトウェアやウェブの開発やローカライゼーションなどの仕事では、インターネットがなければ成り立たないので、仕事上でもインターネットをずーっと使ってきた。そして、この仕事でのやり取りのほとんどはメールやメッセンジャーによってなされ、でも、だからと言って、これといった個人的なトラブルが起こるわけでもない。お互いがごく普通に節度を保つように心がけているせいかな。

そして、エルサレムという地球の僻地に生息している限り、この小さなお山から外の世界を見渡すには、インターネットはなくてはならず、遠い極東の日本の情報などを知ることも、ましてや日本語を読むことも書くことも、インターネットなくしてはほとんどありえない。メールがなければ、実家の父とも、おそらく2年に一度ほどしか話すこともないだろう。まさにインターネットは、使い方ひとつによっては、なんとも便利この上ない道具となる。しかし、当然ながら、インターネットを使うのは、誰でもない「人」である。「人」によっては、インターネットも恐ろしい道具となる。

インターネットの電脳空間上では、世界中のウェブやブログや会員限定のクラブや、さらには掲示板などが星の数ほども散らばっている。そしてそこには、本名ではなくIDや匿名を用いて、何でも好きなことが書けてしまうといったポジティブ・サイドとネガティヴ・サイドがある。インターネットでは、IDや匿名がゆえに本名では恥ずかしくて書けないような心の中を書いてみたり、思いがけず自分でも気がつかなかった様々な可能性が広がったり、いくらでも楽しくポジティヴに活用できる。しかし、その反対に、IDや匿名を隠れ蓑にすれば自分の書いた言葉の責任をとる必要もなく、本名での実生活ではしないであろう嫌がらせや中傷を他人に対してしたりと、普段は押し込めてあるその人のネガティヴな面が出てしまうことがある(ひょっとすると、そういう方は実生活でもそうなのかもしれないけれど)。

このインターネット世界でブログをはじめてから、そういったネガティヴな誘惑に負けてしまった人たちによって、たくさんの人々が意味もなく傷つけられたり、辛くなってブログを閉じたりされたことに出会ってきた。しかし、それはブログなどのIDや匿名性というよりも、実は 「人」にその原因があるのだろう。旧ブログのほうでも、何度かユダヤの知恵袋として「人の噂話をしないということ」について書いたのだけど、いやいや、これがなかなか難しい。勿論、私自身も無味無臭の聖者でも何でもないから、時によってはうっかり口が滑って転んだり、余計な一言を言ってしまったりすることがある。しかし、そういう口が滑った自分というのはイヤなもので、口が滑ったことによって得られるものはネガティヴ感しかない。

「インターネットが恐ろしい」のではなく、それを間違って使ってしまう「人」、ネガティヴな誘惑に負けてしまう「人」が恐ろしい思うのである。インターネットと人の両方は、正しく活用するべきだなと思うのだな。

カテゴリー: イスラエル

和平とはイスラエル全土を受け渡すこと

さてさて、書きたいことが時間に追いつかず、時間ばかりが早足で駆けて行ってしまいます。こんな調子で今年も書きたいことの半分以下も書けないのかなあと思ったり。まあ、いいや、できる範囲でぼちぼち行こう。

まずひとつめ。シャロンさんが倒れて、イスラエルとパレスチナの将来にこれまで以上の不安が広がっているような、まあ、所詮はこんなところで行ったり来たり。そんなに簡単にイスラエルとパレスチナの独立した二つの国の和平などとは、そうは問屋が卸さないというところか。

そんなことを考えていると、昨日、Memri(中東報道研究機関)の日本語訳版からメールが届いていた。そこに掲載されていたインタヴューの内容が、まさに代表的なパレスチナの本心ではないのかなあと思ったり、いや、こんな意見がすべてでもないだろうと多少の望みをかけてみたり。しかし、そこに書かれているように、「パレスチナは現在のイスラエル全土を受け渡されることによってしか和平を実現するつもりはない」というのは、何もイマサラ驚く話でもない。パレスチナが望むように、イスラエルがこの国の全土をパレスチナ側に受け渡すことは現実には不可能だから、だから、和平はいくら進めても実を結ばないのでは?とも思う。しかし残念なことに、世界はこれを知りたくも認めたくもないようだし、イスラエルの左派の多くもそういうことを信じないというか、ナイーヴというか。

この中東から物理的にも文化的にも遠く離れた日本では、なかなか触れる機会もなく理解しがたいアラブ・ムスリムの価値観がここにクリアに現れている。これとはまったくかけ離れた日本の文化と宗教観と価値観。なかなかちょっとやそっとでは語りきれない。

以下はMemriからの引用です。他にもこの問題関係に興味のある方はMemriのウェブへどうぞ。http://memri.jp/

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イスラエル人は民間人ではないので殺しても構わない―息子三人をテロリストに持つ母親PA評議会選挙に立候補―

次に紹介するのはパレスチナ立法評議会選挙の立候補者ウンム・ニダル(Umm Nidal)のインタビューである。息子3人はハマスのテロリストで、殉教作戦に参加して死亡している。インタビューは2005年12月21日、ドリーム2テレビで放映された。

このインタビューを映像で見る場合は、下記サイトへ。

http://www.memritv.org/search.asp?ACT=S9&P1=980

アッラーのため自分を犠牲にするのは身に余る光栄

インタビュー記者

ウンム・ニダルは、占領者に対する抵抗のため、自ら進んで息子達を捧げた女性です。この女性は「私の息子達は自殺したのではない。戦ったのです。息子の誰ひとりとして子供や老人など一般市民を殺そうとしたことはありません。息子達は抵抗者で、敵と対峙し戦果をあげそして殉教者になった」といつも明言しています。

今日、ウンム・ニダルが我々のインタビューに応じてくれました。パレスチナ立法評議会の候補者として、新しい役割を世界に宣明するのです。

ウンム・ニダル

先ず言いたいのは、アッラーをないがしろにしたり、アッラーのお喜びにならぬ生き方を選んだりとか、私は自分の息子達には絶対そんなことをして欲しくないのです。息子達について私が一番恐れているのは、その点なのです。アッラーのために身を捧げるジハードは、或いはなすべきことをやりとげるのは、何とも光栄なことで、自分はうれしい。

記者  なすべきこととは何です。

ニダル  聖なる任務のことです。アッラーのためのジハードのことです。それは神聖な義務です。イスラムの義務のひとつで、放棄するわけにはいきません。放棄すれば罪を犯すことになります。

私はアッラーのために身を捧げるよう、教えに殉じるよう息子達を育てました。全員にその覚悟をさせています。私自身覚悟はできています。困難な道を選ぶ人は、それだけの覚悟が必要です。人によっては、これを悲劇と考える者もいるでしょう。しかしみまかってアッラーの御許に行くのは、祝福なのです。息子ムハンマドの殉教を聞いた時、私は…

女、子供を殺すのは不可避

記者  ムハンマドが実行した作戦について、話してくれますか。

ニダル  アッラーは偉大なり。息子の作戦は大掛りで、それは見事なものでした。第1次、第2次インティファダのいろいろな行動のなかでも、最も成功した作戦のひとつでした。

記者  テレビの前の視聴者は、ムハンマドが女、子供達の一般民の中で自爆したのではないか、と心配したのです。ムハンマドが何をしたのか、結果を待ち望んでいるに違いありません。女、子供を道ずれに殺したのか、それとも何か。その場合は、同情を失いかねない。どうか先を続けて下さい。

ニダル ムハンマドは、士官学校に突入したのです。相手は全員兵隊ですよ。でも、女、子供の問題については、誰も私達を非難できません。なにしろこれは戦争ですから、不可避です。

女や子供をターゲットにしたことはありません。しかし、作戦の場にたまたま居合わせたとなると、それは戦場の不可避ということですね。

息子はカッターでフェンスを切り開き、武器を手に侵入したのです。何処も危険で一杯…。

記者  つまり、息子さんは自爆しなかったのですね。

ニダル  自爆ではありません。携帯したのは通常の武器、カラシニコフ自動小銃と手榴弾でした。建物の中には部屋がいくつかあって、息子は部屋から部屋と銃を乱射してまわったのです。22分間弾薬が尽きる迄、撃ちまくりました。その間沈着冷静、弾薬がもっとあれば勿論戦い続けたことでしょう。

アッラーは偉大なり。相手を沢山やっつけました。兵隊約10人(を殺したの)です。しかしイスラエル放送は、いつも(実際の)損害を隠します。この作戦は大成功でした。アッラーは偉大なり。兵隊10人が殺され、23人が負傷しました。

息子の死は祝福、喜び

記者  敵占領者に与えた損害の方が、あなた御自身の損害より重要なのですね。勿論厭味で言っているのではありませよ。あなたは敵に与えた損害は言われましたが、息子さんが亡くなられたことを口にされなかったので、そう申上げたのです。

ニダル  勿論。息子が殉教者になったことを望みます。もし息子が戻ってきたのなら…いや、そんなことはありませんから。この作戦では殉教が不可避でしたから。入植地に入ったのですから、生きては出られません。殉教は不可避でした。

私は、じりじりして作戦結果の報告を待っていました。2人も殺せないだろうと思っていたのに、それがどうです。殉教志願者がひとつの入植地に侵入したのです。それ自体勝利ではありませんか。大変難しいのですよ。入植地は固く防備されていますから。殉教志願者が入植地に突入するのは難しいのです。

私は、作戦結果を聞いた時、それは、それは、息子については悲しかった。でも避けられないことですから。

私は、息子の死は祝福だと考えています。悲劇ではありませよ。

記者  泣いたのですか。

ニダル  最初は泣きません。私はアッラー・アクバル(アッラーは偉大なり)と叫んで叩頭し、感謝しました。これは悲劇ではなくて祝福すべきことなのですから、アッラー私をこの悲しみから救って下さいなど、恥しくて言えません。私はハルバ(甘ったるい菓子)とチョコレートを箱詰めにして、息子の友人達にくばりました。

記者  ウンム・ニダルさん、西側社会が理解しないのは、その点なのですが。パレスチナ人の母親が、殉教したと聞くと息子の死を喜び、葬儀で祝いごとをして、アッラー・アクバルと叫ぶ。彼等はその喜びを理解しない。奇異に思うどころか、批判します。パレスチナ人の女性には、人間の心がないのか、と言います。換言すれば、目的や成果がどうであれ、世界のどこを見てもそのように反応する母親はひとりもいません。あなたを初めとするパレスチナ人の母親達について、沢山のことが書かれています。彼等は、このような感情が理解できないのです。

ニダル  その人達はイスラムの埒外にあって、その思想が判らないのです。しかし私達は、おおアッラーは偉大なり、私達は信仰心の篤いムスリムです。先程の点については、私達とその人達は、イスラムの何たるかを理解していません。

記者  しかし、人間は皆同じではありませんか。我等が主は、一種類の人間しか創造していません。

ニダル  勿論、ひとりの人間として、私も同じ感情を持っています。自分の息子達に対しては、ほかの誰にも劣らず深い気持があります。しかしこれは神聖な任務なのですから。感情がいりこむ問題ではありません。

記者  撤収が始まっている時でも、それが言えるのですか…

ニダル  私達は心が痛むからといって、身を犠牲にすることをやめるわけにはいきません。犠牲とは一体どういう意味でしょうか。取るに足りないものを捨ててもそれは犠牲とはいいません。大事なものを手放すから犠牲なのです。息子達は私にとって一番大切な存在です。偉大なる大義のため、息子達よりも大切なアッラーのために、捧げたのは、そこに理由があります。私の息子は、息子の神よりも貴くないのです。息子は、イスラムの聖地よりも貴くないのです。息子は、自分の郷土やイスラムよりも貴くないのです。

記者  なかには「有意義な人生を送るように育てあげるべきだ。それができた筈なのに、何故死ぬように仕向けたのか」と言う人々もいます。快楽の人生という意味で言っているのではありません。死んで花実が咲くものか。生きていれば、ずっと多くのことができた筈です。将来偉大な軍司令官になったかも知れない。命を投げだして身を滅ぼすよりも、偉大な人物になった方が(敵に与える)打撃はもっと大きい。そう思いませんか。

ニダル  でも、息子は命を投げだして自分を滅ぼしているのではありません。これは死ではないのです。死とは呼びません。殉教と呼ぶのです。

女、子供を含めイスラエル人は皆兵隊、全ての手段が合法的

記者  最近、レストランや商業センターのなかで沢山の作戦が実行されてきました。世界は、軍事目標に対する作戦とは全然違う、と考えています。(人の集まる民間)施設で爆弾攻撃をやると、パレスチナの大義は世界中で傷ついてしまいます。 パレスチナ自体―ガザとウェストバンクですが、この作戦をめぐって意見がわかれています。

ニダル  パレスチナ人は全員同じ意見です。意見はわれていません。反対して別の見方をするのは、外国人です。私達や私達の大義に一片の同情心もなく、私達のことを何も知らないのです。こいつは無辜の人を殺しに来たと考える人達です。でも私達は、ムスリムとして別の考え方をしています。私達は「誰か攻撃したら、同じやり方で攻撃せよ」というコーランの言葉を身につけています。

そんなことは戦争には不可避ですよ。ほかのやり方で戦争に勝てますか。軍施設や兵隊を狙って攻撃します。でも(民間人を殺すのは)戦争につきもので、不可避です。それに、彼等は全員が占領者だしね。外地から来てパレスチナの地に住みつく者は、誰でも占領者なのよ。女や子供達、老人も同類なの。それに忘れて貰いたくないけど、全員、軍隊に行くのよ。全員が兵隊なのよ。まあ予備役兵なのよ。

更にもう一点、この連中は…御承知のようにこの土地はほかの人達のものなのに、やって来て住みついているのよ。つまり、イスラエル人は全員が私達の土地の占領者なのよ。そこには男と女の違いはありません。全員が…

記者  しかし、ウンム・ニダルさん、沢山の人が…

ニダル  皆、全員占領者なの。だから、合法的手段を総動員してこの占領者と戦わなければならないの。

記者  「合法的」という言葉は、私が…

ニダル  占領が続いている限り、すべての手段が合法的なの。

記者  心理的な見方でも結構ですが、民間人と兵隊に対する攻撃の違いを区別できないのですか。

ニダル  違いはありません。これはイスラムの宗教法なのです。私が勝手に考えているのではありません。この点では私はイスラムの宗教法を順守しています。法を犯せば永遠の地獄に落ちると判っているからです。問題は単純ではありません。この連中の殺しをとめる禁制がないというのは、イスラムの宗教法に立脚してのことです…。

平和とは、ヨルダン川から(地中)海までパレスチナ全域の解放

記者  あなたにとって「平和」という言葉は何を意味するのですか。

ニダル  「平和」という言葉は、我々が目下経験している種類の平和を意味しません。この平和は、降伏、恥ずべき屈辱でしかありません。平和とは、(ヨルダン)川から(地中)海までパレスチナ全域を解放することです。これが完遂された暁に、連中が平和を望むなら、話合いに応じてもよいのです。イスラム国家の旗のもとでの生存を許されるでしょう。これが私達のいうパレスチナの将来です。

記者  この種の思考が平和の妨げになっている、と主張する人達がいます。イスラエル人がおめおめと国の消滅を許す筈がないからです。

ニダル  拒否するのなら勝手に拒否すればいいじゃない。私達は連中が受入れるとは思ってないわ。この連中は占領者なのよ。私達はこの連中を私達の土地から追い払いたいのよ。

アッラーのためなら喜んでテロリストになる

記者  私の前に坐っているウンマ・ニダルは、世界中でテロリストに分類されている人物です。単なるテロリストではありません。テロリストのプロデューサーです。

ニダル  好きなように分類したらいいでしょう。私はアッラーのためなら喜んでテロリストになります。それは名誉、私の誇りなのよ。「アッラーの敵、汝の敵の心臓をつき度肝を抜くべく軍勢と駿馬を集めて準備にはげめ」とあります。私は自分でこのコーランの言葉を遂行しているので、大変幸せ。アッラーのためならテロリストになっても構いません。

記者  あなたには10人息子があるが…

ニダル  そうです。アッラーは偉大なり。

記者  それで別の息子が死んだら…

ニダル  若者だったら沢山います。

記者  悲しい気持には全然ならないのですか。

ニダル  なりません。そんなことはありません。ああ、アッラーは偉大なり。私は全員を犠牲にします。聖なる任務のために全員の犠牲が必要なら、私は拒みません。数百人の息子が犠牲になってもです。
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