カテゴリー: 死海のお話

異国の死海の話

バスルームの石けんが切れてかけていた。クローゼットにずっと前に頂いた日本で販売している(日本とイスラエル企業合作)死海の泥ソープを見つけた。その石けんで手を洗いながら頭の中をこんなことが巡った。

自 宅で死海の泥パック・セラピーをしなくてはならないほどわたしの肌は荒れているわけでも、皮膚疾患があるわけでもない。死海の泥(または塩、ミネラル)入 りの石けんでなくてもまったくなんの問題はない。それでも、もし、死海の泥ソープなどを店頭で見かけたら、「肌がきれいになるのかな?」ぐらいの、ほんの 好奇心で買ってしまうかもしれない。素朴な疑問1:死海製品を同じようにほんの好奇心で購入する人々が世界でどれだけいるのだろう。

死海製 品の製造と販売は今やイスラエルはもとより日本、オーストラリア、など世界中でみられ、石けんからローション、ハンドクリーム、シャンプー、バスソルト、 エステ用泥パック、など様々な用途の製品に加工されているようだ。死海の深層部から採掘した塩など、日本でも簡単にネット販売で購入でき、どんどんと死海 製品は身近になりつつある感がある。インターネットで検索してみると、死海の塩や泥(クレイ)を使用した自宅での手作りソープなども人気のようだ。

イスラエルのベン・グリオン国際空港の免税店にも、イスラエルの土産品として様々なブランドの死海製品がずらりと並び、エルサレムのダウン・タウンにも死海製品の専門店が数軒ある。死海には観光バスが停まる直販店のようなものも建っている。

上 に挙げたような様々な製品に含まれる死海の塩、泥、硫黄。偽物ではないとすれば、素朴な疑問2:これだけ世界に出回るには一体、年間、いや毎日どれくらい の泥や塩(水)がくみ上げられているのだろう。死海への影響は微々たるものなのか、そうではないのか。そういうことがこれから先何十年と続いていけば、ど うなのだろう。手元の石けんのパッケージの成分表には、死海の泥、死海の塩、とだけが示され、何パーセントまたは何グラムなどの細かな表示は見あたらな い。イスラエル企業のものも今度調べてみよう。

さて、ここまで書いて改めて思ったのだが、身の回りをちょいと見回せばこういうことはきっと たくさんある。近所のスーパーなどで何気なく並んでいる遠い沖縄や北海道の物産など、昔はなかなか手に入らなかったものが、今ではボーダーレス、年がら年 中、消費者に手の届くところにある。そんなことを言うと、今の時代、身の回りの製品の 多かれ少なかれがそういうものかもしれないのだが・・・。こうして世界が小さくなった代わりに、その背景で失いつつあるものは何か。それは見たことも行っ たこともない、どこかの異国での話に限ったことではない。

*今週、イスラエルのテレビで死海の危機に関する番組がある。最近この手の死海番組がよく放送されている。

*死海関連リンク
Wikipedia 死海
Dead Sea Official Web
Dead Sea Works

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Jerusalem ←→ Dead Sea

いつもはエルサレムの中央バスターミナルから、エゲッド社のグリーンのバスで死海まで海抜を降りてゆくのだが、公共のバスでは「ここ!」と思っても停まってもらえない。当然だけど(笑)。そこで今回は友人のシガールに車を出してもらった。

し かし自家用車にもそれなりのマイナス点があり、思ったほど利点があるのかどうか、ちょいと要再考。死海への道は途中停車できるところが思いのほか少なく、 しかも他の車も高速並みの早さで走ってくるので、こちらだけゆっくりというわけにもいかず。さらに、バスは車体が高い分、景色がよい。自家用車では低すぎ た。

こうしてみると自家用車の利点はあまりないかもしれない。けれど、死海南部のリゾート街エイン・ボケック周辺を回れるのは助かった。こ の辺りが今回の撮影ポイント。できればもう少し南部にも行きたいのだが・・・。その手前、ちょい北部、地球で一番低い地、そして同じくリゾート地のエイ ン・ゲディは、一般の海水浴場的存在。エイン・ボケックのように水の鏡は見られない。濃度があちらよりも薄いのか。そしてここはなぜかしらアラブ人やロシ ア人(いずれもイスラエルの国民)がよく訪れている。

ともかく、自家用車かバスか、次回はもう少し練ってみよう。

photo trip on 30/Sep.2007

* go to watch → On the Road

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time travel

嘆きの壁とニホンゴでは呼ばれているThe Western Wall。西の壁、という意味だが、わたしはこの表現のほうが好きだ。西の壁とは、かつてあの場所に建っていたユダヤの神殿の西の壁のことをいう。ここで はそのながーい歴史については書くつもりなしなので、思いきってぜんぶ割愛。

約一時間半ほど、狭い岩の間のトンネルをひたすら歩く。個人で は入れないので、ガイドつきのツアーグループとなる。写真一本にすべきかビデオにすべきか迷ったが、以前訪れたときも思ったが実際に入ってみると、写真だ けではなく動きのあるもののほうがよいと思った。ただ、行動と時間の限られたツアーなので、ヨーイドン、一本勝負。撮り直ししている時間がない。ビデオを まわし、止めて、急いで写真も撮る。もたもたしている時間はなく、先を歩くグループの人はすでに先にどんどん進んでいる・・・。まあ一本道だから迷いはし ないが。ガイドはわたしの今回の目的を理解してくれていたので、少々遅れてついて来ても大丈夫だった。

ムービーの最後に登場するのだが、ト ンネルのはじめに巨大な一枚岩がある。世界でも最大のものだそうだ。果たしてどうしてここに運んで来たのか、未だにすべては謎のまま。イスラエルには世界 最大や世界でたった一つというものがけっこうあったりするのだ。岩の間の細いトンネルを歩いてくと、かつて神殿へと続いていた道の入り口、ヘロデ王の町の 名残、柱や民家の窓、マーケットへの道などに出会う。

2000年以上も昔に触れる。そこには確かに町があり、人が住み、祈りがあった。

そして神殿は焼かれ、そこには黄金のドームが建ち、その町はもう消えてなくなった。すべてが時代に押し出されすっかり様変わりしてしまったが、それでも今もそこに祈りはあるのだ。

は じめてこのタイムトンネルを歩いたとき、神殿で最も聖なる場所だった The Holy of Holies にいちばん近いという所に着いた時、グループの一人である若いユダヤ男性が「ここの向こうに・・・!」と声を詰まらせ、涙しながら祈ったのを覚えている。 今回も同じ場所で数人がじっと目を伏せ、トンネルで小さく祈りの声が聴こえた。

トンネルを抜けると、ビアドロローザに出た。もうすっかりあ たりは日が暮れ、お使いの袋を下げて自転車で駆け抜けるアラブ少年や、ガードのユダヤ人の話し声。いつもの日常があった。そしてパラパラと夏の終わりを告 げる初雨が降りはじめ、人々は慌てて軒下に走る。わたしも濡れないように休んでは歩き、歩いては休みし、旧市街をあとにした。

trip on 17/Oct.2007

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why project if

ある日、エルサレムの自宅でみるともなしにテレビをみていた。イスラエルやシリア、ヨルダンに水を運ぶヨルダン川のクライシスがどうしたこうしたという番組だった。ヨルダン川の水が農産業に使用され、または不法に盗まれ、水汚染も激しく、川は瀕死であると。

イ スラエルの東北に流れるこのヨルダン川は何度か訪れたことがあるが、いずれもハイキングや水遊びだった。真夏でも氷のような冷水が流れ、アラブ人、ユダヤ 人、ともにそこに憩いに訪れる人は多い。 ヨルダン川の水問題の影響は川だけではなく、その水が流れ込む死海にもかなりの影響を及ぼしているのだそうだ。20世紀の中頃から死海の水位低下が知られ るようになり、たしかにここ数年でもおや?と思うことがある。さらには、このままではあと50〜100年後には死海の水は干上がってしまうのではないかと いう説があちこちで聞かれる。

2007年、9月末に死海を訪れた時、実際に自分の目の前にその事実を見たような気がした。以前は道路からす ぐだった水辺はずっと遠くなり、土壌が緩みあちこち陥没している。以前ではそれほど気にならなかったが、うっそうと草(葦)が生い茂っているところもかな り目についた。そして2000年あたりから、あっという間に南部のエイン・ボケックは、シェラトンやクラウン・プラザなどが建ち並び、 世界中から観光客が訪れるリゾートホテル街となった。もちろんどのホテル内にも、 死海の水や泥によるエステやスパなどがある。世界的な死海製品の流通などに加え、そういうことも少なからず影響しているのかもしれない。

こ れからの10年、20年で、死海はどうなるのだろう。わたしはどこかの組織団体に属す者でもなければ、巨額の個人資産があるわけでもない。そんな一個人に 世界を指一本で動かし死海を救う大きな力はない。しかし、死海から一時間ほどのエルサレムに住み、死海のほとりをいくども訪れた者として、この世界でも稀 な幻のような塩の芸術のゆく先がどうも気になるのだ。

10 年、20年、その先、自分がどこでなにをしているかはまったくわからない。数ヶ月先のことだって、突き詰めれば明日だってわからない。しかし、今、ここ、 エルサレムにいる。そんなひとりの人間のできることをなにかはじめてみようと思った。欲をいえば、はじめて死海を訪ねた頃からの記録があれば、もうふた昔 分ほどの記録になっていたのが少々残念だが。若い時には10年なんて、そんな気の遠くなるような先のこと。それが混沌としたエルサレムに住みはじめて時間 の過ぎ去るスピードに驚愕し、10年なんて短い昼寝から目覚めたようなもの。あっという間に過ぎ去る。そんなことなどもこのプロジェクトを思いついたきっ かけになった。

project if の「if」 は、もしかして、もしかすると、もしなにかができたら、もし死海が消え失せたら消え失せなかったら・・・。様々なことについて「if」の持つ未来性、可能 性、そこから生まれる意識、そんな意味を込めてみた。このプロジェクトでは死海の問題を通して、できるだけ自由に自分の身近な意識を、2017年10月ま で記録してゆきたい。

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