カテゴリー: イスラエル

おばけなすび

先日、マハネ・イェフダ市場で見かけたおばけなすび。マハネ・イェフダはイスラエルでも古いゆだやの市場ですが、八百屋などはこの親子のお店のように、あらぶのお店もたくさんあります。

住人には、あらぶの店からは一切何も買わない人もいれば、取り立て気にもしない人もいます。

理由はそれぞれにちがいますが、たとえば、家族の誰かが東エルサレムのあらぶ住人にコロサレタリと、政治的なことであったり、それに絡んだ感情的なことであったり、いろいろ。それらは簡単に他者が批判できるものでもないでしょう。

大きなあらぶの市場もダマスカス門にありますが、あらぶの人たちも時々このマハネ・イェフダ市場で買い物をします。

ゆだやとあらぶ、難しいけれど決して共存できないわけではない。ひずぼらもオルメルト首相さんも、一体ればのんに何をしているのでしょう。他国の処置ナシひずぼらはさておき、この国の首相が彼ということと、その内閣。まったくどれだけ死者を出せばよいのでしょうか。この国だけでもすでに50人もの命が無駄に失われました。ればのんでは400人(市民)を超しているでしょう。

先日、テルアヴィヴへ仕事に行く途中のバスは、いつものように兵士でいっぱいでした。私の隣に座っていたのはまだハタチほどの兵士クンで、縁起でもないですが、ひょとすると次は彼でも不思議はない、と、ふと自動的にアタマをよぎるわけです。
政府はなんでも、予備兵士を150人ほど召集したそうですが、まったくいい加減にしてほしいところです。

ということで、なすびの話題だったんですよね・・・、なすびの。

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カテゴリー: ユダヤ雑学

キパとアイデンティティ

さて、「キパ」について少しだけ。

もともといつごろからキパを乗せるようになったのかはわかりませんが、古の中東のメンタリティには、高い地位の男性はアタマを覆うというものがありましたし、離散したユダヤの人たちは住んでいた町の人たちと同じような帽子をかぶったりもしていました。

エルサレムにユダヤの神殿があった時代に、コーヘンと呼ばれる僧職者たちは、神に祈りをささげるときなど神殿の中ではアタマを覆っていました。そして、その僧職者以外の人々が神殿で祈るときもアタマを隠していました。神殿崩壊後いろいろと時代を経て、その習慣が残った、と、まあ、そんなところではないかと。その後にラビたちの説明は、常に頭上に神がいることを忘れず、それに適った行いをするため、というものです。ちなみに、キパはヘブライ語のドーム、または帽子という意味。また、キパの別名でヤマカ、またはヤムルカという呼び方はイディッシュ語です。

キパにも、色々な種類がありますが、写真のようなニットのキパや、正統派(オーソドックス)の黒ひげもに多いベルベットの黒キパ、そして革の黒キパ、などなど。これは、単に好みの問題ではなく、実は政治的、または宗教的な意味合いが込められています。正統派では、黒いキパ。その中でもベルベットはかなりまじめな人たち。政治的には右派であることが多いです。また、正統派でもニットのキパになると、ブルーやベージュが多く、そこそこ伝統的または政治的には右派もいますが左派の人たちも。そして保守派になると、断然ニットのキパになります。黒いキパは見られません。

とまあ、道行く人々のアタマを見ても、その人がどういう政治的思想で宗教的な位置であるのかが、だいだい想像できてしまうエルサレム。

カテゴリー: ユダヤ雑学

M.D.A

そうそう、昨日、仕事の帰りのバスの中で気がついたこと。

旅人には珍しかったり目新しいことが、そこに住んでいる者にはふつうの風景になってしまう。京都に住んでいた時は、なにが世界遺産でなにが国宝で、なんてことも、日常の通りすがりの風景となっていたし、エルサレムでもしかり。自分の裏庭のような旧市街が世界遺産だって、え?そうなんや?

バスで高速を走っていると、救急車がけたたましく走り抜けてゆく。
白い救急車のボディーには、赤いマゲン・ダヴィッドの星。

そやそや、この国では、救急車と救急病院などには、M.D.A (マゲン・ダヴィッド・アドム=赤いダヴィデの星)。これもすっかり日常にとけ込んだサイン、当然、他教のシンボルである赤十字は見かけない。ムスリムの国では、新月。仏教と神道の土着の日本でも、当たり前のように赤い十字架ですが、実はこれは宗教を示すものだったと気がついたのは、この国に来てからだった。

ちなみに、欧米などでよく見かける杖に絡みついた蛇の医療のシンボル。一般的にはその起源はギリシャ神話にあるとされているようですが、旧約聖書にも治癒のシンボルとして蛇が登場します。

エジプトから脱出したゆだやの人々が辛さにてかねて、砂漠で神とモーセを非難した時のこと。神はそんな人々に蛇を送り、その蛇にかまれた人はいのちを落としてしまった。そして人々はモーセにいった。

「神とあなたを非難し、こんなことになってしまいました。蛇が去るように神に祈ります」

モーセは祈り、神はモーセにいった。

「鉄の蛇をつくり、さおの先に掲げなさい。蛇にかまれたものは、それを目にすれば治癒されるであろう」

追記:翌日に高速で救急車が通ったので、じーっと観察してみると、やっぱり蛇と杖の絵が車体に描かれていました。しかも、ダヴィデの星の真ん中に。ということは、この国では、これはギリシャ神話からではなくて、上記した旧約聖書の個所からなんですね~。なるほど。

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茶番

ここしばらく世間をお騒がせなこの中東の片隅の土地です。

といっても、普通に普通の生活をしているこの国の大多数の人たちには、ドンパチな日常というわけではまったくなくて、言ってしまえば、どこか遠いところで起きている出来事のようですらある。

かと言って、拉致されて二度とは戻ってこなかったこの国の4人の若い兵士たち、その家族たちの日常は計り知れない悲しみに包まれていることでしょう。そしてなによりも、またバカな政治のために、尊いいのちがまるで使い捨てかのように奪われてしまったことが虚しい。

旧ブログでは「ぽりてぃか・アタマの痛い話」というカテゴリーがありました。しかし、ある時、ふと気がついたのは、メディアの思惑のお粗末さや、難民をうたい文句にする相手もさることながら、この国の政治がいかにアホらしい茶番劇であるかということ。それが茶番劇ということばでもっても十分でないほどにバカゲタもので、もうすっかり失望したというか、とどのつまりは、この国とここを取り囲む国々の誰も和平なぞ望んでいないということ。そして、この国の国民すらも、その無知によって自国を破滅に向かわせている。そして、何度もヨーロッパや日本が、これまたアホらしい多額の援助をしても、スルスルとどこかへ流れてゆくだけ。そして、これからもこのバカゲタ茶番は続いて、尊いいのちが失われてゆくだけ。双方の首相が誰になろうと、どれだけのいのちを犠牲にしようと、どんな協定を結ぼうと、それはおそらく、変わらない。

そういうことなど、私はすっかり失望し、どうしようもなく嫌気がさして、語るのも考えるのもバカらしく、このブログにはあえてそのカテゴリーを作りませんでした。またいつの日か、もし、天地がひっくり返って何かが大きく変わったときにでも、このことについて書いてみるかもしれません。