カテゴリー: ユダヤの食卓

ほうれん草のサラダを彩る宝石

バラの香りの真っ赤なルビーはいかがですか?
おうちでちょっと贅沢

ローズウォーターをかけた柘榴の誘惑
甘くて酸っぱくてバラの香りが口いっぱいに広がったよ
ほうれん草のサラダを彩る赤い宝石
ドレッシングははちみつレモン&オリーブオイルできゅっと

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カテゴリー: ユダヤ雑学

エルサレムのサラディンの兵士墓地とプラハのユダヤ墓地

エルサレムの新市街の真ん中には、古いムスリムの墓地、マミラ墓地があります。

今となっては「なぜこんなところに墓地が?」と、墓地にするには不似合いな場所ですが、墓地ができた12~13世紀ごろでは、ここは旧市街の外で人も住まない荒野だったのでしょう。映画「キングダム オブ ヘブン」でも登場する、十字軍の手中だったエルサレムを奪還しようと戦ったムスリムリーダー、サラディンの兵士がここに埋葬されているといわれています。

現在の墓地公園はこんな感じですが、向こうに見える塔はエルサレムのYMCA。このビルはニューヨークのエンパイアーステイトビルディングと同じ建築家の作品で、そういわれて正面から見てみればなんとなく共通点があるようなかんじがします。

墓地公園内にある一番大きな墓。これも聖廟というのでしょうか?現在は入り口がふさがれていますが、中に墓があります。何かアラブ語で書かれていますが、読めないので誰の墓なのか不明。

中は暗いので覗いてもほとんど見えませんが、そういうところを覗くのは度胸がいりますね。変なものが写ったらコワイし、あるものまで写ってなくてもコワイし。とか言いつつもちゃっかり覗いてますが・・・。正統派ゆだやのおじさんが「こんなところでなにしとんねん?」と、不思議そうに通りすぎました。 (聖廟内(?)の様子は撮影後にはじめて知った)

古いムスリムの墓。形やレリーフがおもしろい。残念ながらアラブ語なので、何が書かれているのかは不明。

左の墓はその形からも、上の写真の墓よりも新しいものでしょうか。右は東ヨーロッパの特定の町にしかないユダヤの墓石と同じ形のもの。こちらの墓のほうが古いので、これをまねたものかも?と思うも、この形はエルサレムのムスリム墓地でもあまり見ないように思う。

さて、ムスリムの墓もさることながら、世界中にユダヤの墓地がありますが、中でも有名なのはプラハのユダヤ墓地。この旧ユダヤ墓地は、プラハでも人気の観光地のひとつですが、ヨーロッパに存在するユダヤ人墓地では最古のものだそう。1439年から1787年までの348年の間に10万人のユダヤ人が埋葬され、ある一定の時間が過ぎるとその上にまた新しい墓を作ったので埋葬層は12層。さらに、その狭い墓地内にある墓石数は1万2千と、上にも下にも横に斜めにと、通勤ラッシュの電車内のようですね。

この旧ユダヤ墓地には、有名なユダヤの人たちも埋葬されていますが、この墓地で最も有名な墓は、ユダヤ教神秘主義のカバラを学んでいたラビ・ユダ・ロウ(Judah Loew 1525 – 1609)。彼はユダヤ版フランケン・シュタインを作り出したとされ、伝説的人物とされました。そしてもう一人は1439年に亡くなったラビ・アヴィグドール・カラ(Avigdor Kara)。彼は1389年に起こったプラグでのポグロム(集団でユダヤ人に対して行う暴行、破壊、虐殺のこと)を生きのびた数少ない一人でした。このポグロムは、「ユダヤ人はキリスト教の儀式に使う聖体を盗み、黒魔術をかけている」といううわさを信じた住民たちによって行われ、当時プラハに住んでいたユダヤ人3000人のほとんどが亡くなりました。こういったポグロムはヨーロッパの各地で行われていました。

このプラハの旧ユダヤ墓地がヨーロッパ最古のユダヤ墓地となった理由は、第二次大戦でドイツ軍に破壊されなかったため。と、とてもかんたんな理由ですが、ヒトラーはユダヤ人撲滅後にプラハにユダヤ博物館の建設を計画していたので、この旧ユダヤ墓地を残すことにしたといわれています。

プラハの旧ユダヤ人街を見てみると、墓地だけではなく数件のコーシャーレストラン、9軒のシナゴーグなど、現在もユダヤの人々が住んでいるのが伺えますね。ピンク色の旧市役所の時計も、よく見るとヘブライ語文字の時計。ちなみにプラハの有名なユダヤ人といえば、フランツ・カフカですが、でもカフカが亡くなったのは1942年。この墓地が閉鎖されてからのちのことなので、彼のお墓はここではないですね。

カテゴリー: 心と精神の浄化

深い森から見える海

なぜかしら仕事がいっこうにはかどらず、心はあちらこちらと彷徨うばかり。なにか限りなく透明なものを見たくて仕方がない。きっと心が少しくすんでいるのかもしれない。

この近くで「透明なもの」、死海かなと思うものの、バスに乗っていくのもなぜか面倒くさい。モーティベーションも低いなあ。そうだそうだ、去年行ったときにもって帰ってきた死海の水を詰めたペットボトルが、ドアストッパーのかわりになっている。小さなガラス瓶にその死海の水を入れて、紫色の紐でとめた翡翠の輪をかけてみた。少し気分は透明になったかな?・・・なってない・・・。スランプかな?と思うもの、スランプといえるほど普段は生産的なのかと、自問自答してみる。

かなえたい夢のひとつは、いつか水のそばに住むこと。すーっと広く、まわりになにもない海を見ながら一日を終えたい。仕事部屋は当然、海に面している。だけど、もっとよく考えたら、広い海ではなくて、まわりが囲まれた静かな森の奥がいい。そこの仕事部屋から海が見えればそれに越したことはないけど。広い海と深い森、影響と作用する脳と心の部分がどうもちがうような気がする。

秋ですかねえ。どこか心が空回りしているようなエルサレムの日々。イスラエルの乾いたオリーブ色の山ではなく、どこかの深い森で葉っぱをガサガサさせながら歩きたい。

(ということで、しばらく画面のスキンの色が落ち着きません。スキンを濃い色にすると写真は映えますが、文字が読みづらいし、なんといっても書きにくい。うーん・・・。)

カテゴリー: 混沌の文化

らまだん




ラマダンのエルサレムの旧市街
夕暮れが近づくにつれ
あちこちの角から食事の仕度がはじまる

フル豆の炊いたんから上がる湯気
肉を炭火で焼きはじめる角の出店
ひよこ豆の揚げ団子、ファラフェルを仕込む少年

そのにおいにせかされるように
断食の終わりに向けて人々の動きが敏速になる

もう少しで今日もラマダンの旧市街の日が暮れる

(ラマダンのエルサレムの旧市街、アラブ・イスラーム地区)

P.S.ファラフェルを仕込む少年の手が、すーんっごく慣れていて、只者ではないくらいに素早かった。いつも手伝わされているのねーと感心するやら、学校行ってる?と疑問に思うやら。写真を撮った直後に、少年たちの背後のおっちゃんから「No Photo!」とNGを出されたので、ますます「学校に行ってるのか疑惑」が強くなった・・・。アラブ・イスラーム地区では、小学校高学年ぐらいの少年たちが、昼間、家業の手伝いをして働いているのをよく見かける。