カテゴリー: 不思議のクロアチア

なんだろうなあ、もう。

自宅アパートの隣は小さなワンルームアパートで、ある日突然その部屋がSobe(ソベ)よ呼ばれる貸部屋になった。アパートや一軒家などの個人宅内の一室を一泊いくらで旅行者などに提供するSobeは、旧ユーゴな国々では今もたくさん存在する。クロアチアでも観光地のドゥブロヴニクやスプリットなどになると、宿はホテルよりもSobeのほうが多いくらいだ。

前月あたりからこのワンルームのオーナーらしき中年カップルが泊まり込んで、キッチンをつけたりなんだりとがちゃがちゃ改築していた。時々通路で顔を合わせたときの会話では彼らがそこに住むという話だった。それがようやく工事が終ったと思ったら、表札の上に大きくブルーで「Apartman」と書かれたステッカー、建物の入口にも二つ星のついたSobeを示す青いプレートが掲げられた。つまりワンルームの貸しアパートですね。

・・・・これ、思いっきり違法じゃないのですかね。

そもそも集合住宅でこういった貸し宿をするには建物全体の監査だったり、いろいろな手続きがあると聞いていたが、そんな監査はなかったし、ここの理事さんから聞いた話ではオーナー夫妻の話しはあいまいで、どうも裏でコネがからんでいるらしという。外観に掲げられた青いプレートも、住人代表たちが全員一致で賛成しないことには勝手につけてはいけないのだが、オーナー夫妻は知らん顔、つけたものはもう外さないらしい(他にも違反行為たっぷり)。

うちはそのすぐ隣ということもあって、壁一枚で常に見知らぬ旅行者が出たり入ったりするというのは、なんだか不安に感じる。ここは「家」であって、共同オフィスビルでもなければゲストハウスでもない。外部者の侵入を防ぐために建物のエントランスの鍵は当然住人しか持っていないが、それが見知らぬ滞在者たちにの手にも渡ることになるのもなんだかいい気持ちがしない。こういうお国柄、その人たちが前もって悪さをしようとして、ということを想像するのも容易く、セキュリティー的にかなり不安だなあ、ああ、やだなあ、もうっ。なぜ自分たちの建物にSobeや今回のような貸し宿があることをいやがる人たちがいるのかが、今回のことではじめてわかったように思う。

それにしても、いくら考えても、こういう集合住宅で自分たちのことだけを押し通す人たち、その価値観にはどうしても馴染めない。わたしの育った日本があまりにも協調性や他の人のことを考慮する社会だったから、なおのことこういうのにはムカムカする。ふかーい溜め息が出る。もう表札上のステッカー、ビリリリッとはがしてやろうかなとか思っちゃう(笑)。

ああいうふうに自分たちのことだけで生きていくのって、楽なんだろうなあ。でもやっぱりああはなりたくないな。

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カテゴリー: 月と太陽の傾き

うーん。

ここしばらく考案してきたプロジェクト、ふたつ、見事にぽしゃりました。ひとつはわたしが日本に一年ほどいなければどうにも動かないという致命的な理由。とりあえず中止ではなくその時が訪れるまで無期延期。うーん、一年なら帰るっていう手も考えてみるべきだったのか・・・。もうひとつは、こちらザグレブでなのですが・・・それがここゆえに物事が進まず・・・。マケドニア出身の担当Bさんとのミーティングも合計5時間過ぎたところで、

状況1)
担当Bさん「わー、ものすごーい長時間かけちゃったから、もう大丈夫ね」
私「・・・(えっ? たったの5時間なんですけど・・・。しかもこれ、基本みたいなものだけ・・・。ここからもっともっと詰めていかないとダメやん・・・)」

状況2)
私からBさんへメール「明日の打ち合せ、午後1〜2時頃でどうですか?」
担当Bさんから返信「ごらんの通り、息をする暇もないほど忙しいので、来週の水曜にしましょう」
このメールは打ち合せ予定日の翌日に返信してくれました(笑)。

そんなこんなで相変わらずクロアチア時間で無駄に時間が過ぎてゆき、現実的にみてこのままずるずるーーーっと消滅しそうな予感。ま、初めっからそうなるんじゃないかとあんまり期待してなかったから。物事にはすべてタイミングってあるしね。こっちもどんどんやる気が失せてしまいました。いぜんこちらで個展をという話をもらったときも自然消滅してたし、、ま、ここではこんなものですね。それともわたしが日本人的に受け身すぎるのかも、とか。

さー、またなにか探そうかな(笑)。

カテゴリー: 月と太陽の傾き

iphoneと猫ベランダとクーラー

大阪の、もとい浜松のかっちゃんがiphoneを使いはじめ、ふたたびiphone欲しい熱が再発。で、プロバイダーのT-comへ行く。おっさん、もとい、おにいさんの話では「月額150クナオンリーで300分の通話料、ネット、SMS料金込み。」だという。ネットとSMS(ケータイのメールね)の許容量は忘れたけれど、わるくない感じだった。それならいいかもね、なんて帰宅し、後日もう一度T-comへ。

「そうじゃなくて。一ヶ月の基本料金が300クナで、今契約すれば半年間は月額が半額の150クナになりますってこと。そこに含まれるものは前の時の説明と同じだけど。それと、iphone3Gは無料じゃなくて800クナで購入してくださいね。ちなみにこれ、2年契約だから。」

月額300クナ、どんぶり勘定の日本円で約5,000円。高いでしょうがあまりにも。その半額ったって2,500円。しかも半年だけ。あ、その前に、ここでの平均月収がだいたい10万円ぐらいと考えてこの値段はどうかってこと。で、今使ってるケータイの契約だと、月額70クナなの。1,000円チョイよ、1,000円。それでたいていカバーできてるし。ま、ネットはしないけどね。iphoneの他でいいなあと思ってるケータイ機種があって、ノキアのなんだったかなあ、まあなんでもいいけど、使いやすそうなのが400クナぐらいだったから、それでもiphone3Gはその倍の800クナってのはちょっと躊躇するなあ。かなーり安くなったとはいえね。あ、800クナって12,400円ぐらいなのね。前は軽くこの倍、いやもっとしてた。(追記:約6.5クナ=100円。だいぶ変動して来ましたね。以前は2.5クナぐらいが100円でしたが。っていつよ?笑)

そもそもなんでiphoneにしようかなと思ったかというと、今使ってるSony Ericssonのケータイが機能的にちょっとイマヒトツで、しかもメールが非常に打ちにくいこと、中央のボタンがうまく作動しないこと。そしてもう一つの理由は旅に出かける時、できれば荷物は最小限に抑えたい。Mac Book Pro、ケータイ、ipod,コンデジ、一眼レフ、それらの充電機器。もうそれだけで身軽からはかなりほど遠いパッキング。なのでiphoneがあったらそれひとつと一眼とコンデジだけでいいわけでしょ。重くてじゃまなMac book pro、いらないし。

なんだけど、ipodがなんだかかわいそうね。いらなくなっちゃいそうで。あー、なんかこういう無駄な電気器具地獄に陥るのって、いやっ。

そうそう、話し変わって、眼鏡ができ上がって来ました。ええ、3週間かかったよ。コンタクトレンズで一ヶ月だから、まあよしとするのか、ふざけんなーー! と怒り爆発させちゃうか、あなたならどっち?(笑)。それから、猫ベランダもなんとか完成。当初のイメージとはかなーーーーり別物に仕上がりましたが、まあここは安全性第一と思えばそれもOKでしょう。くーし、もう落ちんといてね〜。それからそれから、くーし君同様中東生まれなのに暑さにからっきし弱いたんたん嬢がこの前の猛暑ではもうバテバテだったので、思いきって寝室にクーラーを設置。これがあーた、びっくりよ。早かった、頼んでから下見に来て設置するまで5日ですよ、5日! しかもクロアチアのおっきーいおにいちゃんたちが4人で、一時間半ぐらいで設置してくれた。それも「ちゃんと」ですよ、ちゃんと。もうこれって感動ものっす。

なんだけど。クーラー設置後、天候はまたまた雨嵐に逆戻り。一度だけクーラーつけただけ。今日なんて、暖房入れたんですからもー。なんのこっちゃやで。

カテゴリー: ホロコースト

アルカライ家のネラ

「あの山吹色の建物の、あれがわたしの家だったのよ」そう車の窓から、通り過ぎるバルコニーに向い小さく手を振ったネラ。戦前彼女が家族と以前住んでいたというザグレブ中心街の、もう長いあいだ見知らぬ者が住むアパート、そして学校、よくダンスパーティに訪れたというホテル・エスプラナーデ。ミロゴイ墓地、アルメリア工場跡地。九十に近いネラの、おそらく最後の旅が始まった。

2010年、うだるように暑いザグレブの6月の午後のこと。現在ネラが暮らしているカナダのモントリオールから同行したネラの二人の娘と孫たち総勢7人、+1は、アルメリア・タワー(Almeria Tower)と書かれた丸いガラス張りのビルの前に立っていた。エントランスの回転ドアからはビジネスマンたちが出入りし、ビル一階の「FLY」という名のカフェのパラソルの下では若者が集う。現代のザグレブのごくごくありふれた普通の光景が広がるその場所は、当時その経営者だったネラの父親の家名であるアルカライのアルをとってアルメリアと名付けらた、大きな革の染色工場場跡地の一部なのだった。

1941年。第二次世界大戦中、ネラが19歳のときのこと。ウスタシェ(ナチ同様のクロアチアのファシスト組織)による身の危険から逃れるため、ユダヤ人であるアルカライ家は工場も家も何もかもを残して、当時まだイタリアの支配下にありユダヤ人が虐げられていなかったクロアチア南部のスプリットという街へとザグレブを脱出した。その後一家は1943年までスプリットに留まり、宝石類など身の回りのものと引き換えにイタリアのローマ、米国東海岸のボルティモアへと渡り、カナダのモントリオールへとその長い流浪の旅を生きながらえた。だが、欧州を一緒に脱出しようと持ちかけたスプリットの親類のユダヤ人男性は首を縦に振らず、のちに他のスプリットのユダヤ人男性たちと収容所に送られ、そこで射殺されている。

ビルの受付に座るクロアチア人男性の前まで行くと、ネラはとぎれとぎれのクロアチア語で、以前ここは父の工場だったのだと、一家が生きのびるためにはここを逃げざるを得なかったのだと、葬ることのできない70年近い年月の想いを伝える。男性はこの老婆の言葉にすこし訝しげに頷き、「こちらに連絡してください」と事務的にビルの責任者の名刺を差し出す。そんなものはなんの役にも立たないことはわかっているのに。弁護士を通し政府に掛け合うしか方法はない。

クロアチア政府は欧州の他の国々と同様、第二次大戦中にユダヤ人から略奪した資産の返還には積極的とはいい難い。返還はクロアチア市民権保持者に対してであるなど細かな法律が定められていることやその他の理由から、そのプロセスの多くは長く厳しい。ザグレブのかつてのユダヤ人人口の90%が第二次大戦中にアウシュヴィッツやその他の収容所にて絶命しているため、彼らの資産も自動的にその主を失ったことになるが、そういった資産がかつての所有者で現在も生存しているユダヤ人に返還されたケースはほとんどないに等しいといっても過言ではない。ネラはクロアチア市民権を取得する申請はしているものの長いあいだそれは受理されず、アルメリアという名は残るが工場はすでになくなっているなど様々な角度から見ても、奇跡でもおきない限り将来的に彼女がアルメリアに関するなんらかの権利または代償手当を得ることは難しいのが、現実。企業オフィスビルとなったアルメリア・タワーの玄関を楽しげに行き交う人たちに、人の一生に、時代の流れに、なんだかとても遣る瀬ない気持ちになった。

カテゴリー: 月と太陽の傾き

ホームシックにかかるとき

日本にいたら観すごしてしまったかもしれない。だけど、クロアチア・ライフは基本、一期一会。出会いはスローモーション。なんのこっちゃ。

先週の金曜から三夜にわたり現代美術館にて公演された、江戸系あやつり人形結城座の『宦官提督の末裔』をその最終日に観劇させてもらった。結城座の方々と客演に花組芝居の加納幸和座長をむかえてくり広げられたその、ああ、美しきかな日本の芝居舞台、紙吹雪、伝統芸。YouTubeなんかじゃない、DVDなんかでもない日本語の肉声、すぐそこで感じる俳優たちの吐息、匂い。まるで大阪のどこかのシアターにいるような、そんな夢のような錯覚に酔いしれた時間はあっという間に過ぎ去って、現実をバスで帰路に着く。

「すみません、日本の方ですか?」ちょっと小声で、バスの中。同じ美術館前から乗車し、わたしの前の座席に腰掛けた50代であろう日本の男性の肩越しに、意を決して試みたクロアチアに引っ越してからはじめての「アナタ、ニホンジンデスカ〜?」逆ナンパ(ウソウソ)。なんていうか、懐かしい雰囲気の、そうね、ちょっとアカデミックな香りが漂っていたからかも。

「おお、びっくりした」と、笑顔で振り向かれたその方は、今回の欧州公演の関係者さんで、芝居の原作を翻訳された方だという。「ザグレブにはお仕事でですか?」とわたしに向けられた質問に「えーっと、はい、その、物書きの端くれの・・・そのまた端くれ。・・・のまた端くれ、デス・・・・」と、どんどん小声で、しっちゃかめっちゃか、いったいどこまで落ちてくのよ、自分。いつになったらパーンッと胸を張り「わたくし、こういう者でございます!」と自信に満ちた大人になれるのか。あー、このままじゃ一生無理なような気がする(ほぼ確定)。というか、けっして自嘲しているわけじゃないけれど、本を書いたつもりが恥をかき、写真は邪心じゃないだけが救いなり。しかも明日にだってまったく別の道を歩きはじめるかもしれない心もとなささ。なーんて、 こういう状況では情けないほど戸惑っちゃたりする、と、まあ、いつものパターンに陥りつつ、ザグレブ駅でそのちょっとダンディな翻訳さんとはお別れをし、家の玄関をくぐると・・・あー、ニホンカエリタイー・・・。欧米では見つからない日本の人の笑顔や素朴さ優しさ、そんな愛しいものたちに触れたばかりに、どーん、 望郷、ホームシック。

ホームシックになるとき。おもしろいもので、同じザグレブに住む日本の人と出会ったり話したりしても、まったくホームシックには陥らない。日本を恋しく思うこともまったくない。なのに、日本からの現地直送ブツに出会ってしまったらもう直球ど真ん中。ちょっとした出会いに胸が熱くなり、忘れていたこゝろの奥に押しやっていたなにかが溢れ出て来る。

帰宅後、駅でお別れしたダンディーさんは松井憲太郎さんという世田谷パフリックシアターのプロデューサーさんだったとわかり、いやー、納得。そりゃ、ザグレブにはいてはらへんキリッとタイプな訳だ(いや、ザグレブにもまったくいてはらへんわけではないが・・・)。なんてひとり、へーとかほーとか言いながらメールをチェックすると、ちょっとボロボロな昨夜のわたしがいちばんうれしくなるような、やさしくあり難い言葉と著書の感想をメールで送ってくださった方がいて、よーし、またがんばろうって思えちゃったりした、なんだか上がったり下がったりのジェットコースターな夜だった。あしたもがんばろー。えいえい。

カテゴリー: くーし&たんたん

これが見たくて。

小鳥のさえずりと風をBGMにシエスタなくーし君とたんたん。

作ってよかったーーー。いや、まだ完成してないけど。(笑)

とりあえず今はシーツで代用してるけど、午後はちょっと陽射しがキツすぎるので簾でもつけなきゃね。パチン、パチン、金網と枠組みをとめてある黒い輪ゴムのような留め具が手作り感たっぷりですな。(笑)

カテゴリー: グロスマンを読みながら

「グロスマンを読みながら」更新

2004年から書いているイスラエルとパレスチナの問題についてのブログを更新しました。

今回わたしが書いたのは、先月の初めにマケドニアのオフリドで行われた宗教と和平の対話コンフェレンスで、イスラエルや米国、エジプト在住のムスリムとユダヤの5人の方々にイスラエルとパレスチナの和平への道について伺ったものをまとめたものです。なかなか日本語で知ることができない方々の意見ではないでしょうか。なので、今回はわたし個人の意見は控えました。それと、ちょうどこれを更新をした時にパレスチナ物資援助の船団に関する事件が起こり、それについてもTVなどのメディアとはまったく異なるアングルから書こうかと思いましたが、事件がまだ続きそうだったことなど、わたし自身もまだはっきり理解していない部分があったので今回は保留にしました。

以下、この問題について共同執筆をしている葉っぱの坑夫の大黒さんのレヴューです。

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■ さみだれ式連載・対話ブログ
 グロスマンを読みながら(対話への対話)
 テキスト:大桑千花、大黒和恵

「宗教と和平の対話」in マケドニア(2010.5.30/posted by 大桑)

今回の大桑さんのポストはマケドニアでのコンファレンスに参加して、そこで出会った立場や宗教の異なる人々から聞いた「イスラエル、パレスチナ問題」についてです。大桑さんが話を聞いたのは、ムスリムの人が2人、ユダヤ人が3人。ムスリムの一人はイスラエル人で、自分はアラブ人ではあるがパレスチナで暮らすなど考えられないと言っています。それはパレスチナの政治(政府)への長年の不信感や生活への不満から出てきているようです。多くの人が二つの独立した国家にわけることが、この問題の現実的な解決法と考えているのが印象的でした。それが現実的である、という現実感が日本に住むわたしには欠けていますが、それが理想であったとしても、二つに分けることそのこと自体とどのように分けるか、そのどちらもが想像もつかないくらい難事にも見えます。アラブ人とユダヤ人が共存できないとか、ムスリムとユダヤが相容れない、ということではないところにこの問題の真の難しさがあるのでしょうか。