カテゴリー: フォトウェブ

friends ともだち

フォトウェブのギャラリー『Friends ともだち』を更新しました。
それから先日のポスト『破壊し続けるホロコースト』で改めて気がつきましたが、
どうもBloggerでの写真クオリティーが他のブログに比べてかなりよろしくない。
そこでこの投稿での写真も、フォトウェブのギャラリー『Čakovec』にアップしました。
これからも写真はできるだけあちらに掲載するようにします。
昨日の遠出の報告はチョイお待ちを。日曜も遠出するのでそれが終わってからですね。そ
の他いろいろ忙しくしてますが、なぜかアナウンサーの川田さんの自死が心から離れず、ですが、
今はそっと引き出しにしまっておくことにします。
家族と友だちを大切に。そして自分を大切に。それではみなさん、よい週末を〜。

P.S.
初めてこちらへ来る方へ。Bloggerで書いていたのですが、
このエントリーの後に今のWordpressに引っ越しして来ました。

カテゴリー: Apple + Mac, 月と太陽の傾き

調子悪し。

といってもMacです。

なんでやろ? ここ一ヶ月ほどガタガタ。
勝手にソフトが消えてたりするし、
先週からなぜかEntourageにメールがダウンロードされず、非常に困る。
理由解明をしてみるが、なんやらむっちゃ徒労・・・。
なんとかEntourageは回復させたい・・・。うー。
しょうがないのでブラウザを使ってメールチェックしているが、
やっぱり不便だ。

昨日は予定を2時間ほど遅れて夜の11時頃に帰宅。
はー、疲れた。
動く時はこんな感じで一日中フィールドなのに、
動かぬ時はもうだるまさん状態。
おかげで3ヶ月前に買ったスカートがきつい。
その現実はもっときつい。
人生最悪に運動不足。なんとかせねばっ。

なのにまたしても脳だけは忙しく回り続け、
どんなに身体がくたびれてても
毎夜きっちり明け方まで眠れないのであった。(笑)

P.S.今気がつきましたが、写真をクリックすると拡大しますね。遅いって、わはっ。

カテゴリー: 月と太陽の傾き

since 1949 / 33.7c

いやー、暑い日でござんした。

といっても日中は屋根の下、しかも日当り良好とは言いがたいアパートの中。
幸か不幸か、健康か不健康か、いまだにセーターなんぞ着込んでしまうほど
ヒンヤリとまるっきり季節感がない。

夕方に所用で出かけてみれば、ムーッ。空気が重い。
どこか海沿いの街のようですらある湿気。
今日の最高気温33.7℃。
5月のザグレブの気温としては1949年以来の最高気温だそうだ。

夕暮れのトラム、
ショーウィンドー越しにサンダルを眺める買い物客、
ノースリーブのワンピースの少女、
夏だなあ。

角の定食屋から漂うグリルした魚の匂いが、
子供のころの夏の日の夕暮れ、
遊び終えた帰路、
どこかの家から匂う夕飯の仕度、
そんな思い出とクロスオーバー。


(携帯のカメラで失礼)

おや?こんなところに大きなコスメティックのお店が。
そういえば、化粧品がすっかり切れて久しい。
ひょいと店に入ると、
シャネル、エスティー・ローダー、クリニーク、ジバンシー、
品揃えも店員のおねえさんも気に入った。

おねーさん、ローション何使ってます?
え?あたしですか?Clarins、クラランス使ってます、いいですよ。
へー、じゃあ見せてください。

さっそく帰宅後に購入敷いたものを使ってみたら、
おお、いいね。
エルサレムの乾いた空気にさらされた肌に
まさに砂漠に水がしみ込むように気持ちいい。
アニマル柄のマスカラ、まったく不似合いで笑っちゃいます。
店のおねーさんになんでもいいよって言ったら、これがオススメなんだそうだ。

さー、明日はまた遠出です。
一週間七日はまちがいだな。
せめて一週間十日でお願いします。←誰に?(笑)

カテゴリー: ホロコースト

破壊し続けるホロコースト

金曜、土曜とじゃじゃぶりだった雨が晴れ、クロアチアらしい澄んだ青空がもう夏のような五月も下旬の日曜。ザグレブから車で高速を一時間ほどの町、チャコヴェツ(Čakovec)。

鉄道沿いにはポピーが咲き、なんとも長閑。このチャコヴェツは1941−44年の世界大戦中ではハンガリー領でもあったため、今もハンガリー語を話すお年寄りが多い。


何はなくともまずはカフェで一服。これがクロアチア式。

クロアチア一美しいと言われるチャコヴェツの墓地(カトリック墓地)。確かにイングリッシュガーデンのようで華やかさもある。ザグレブのミロゴイ墓地とはまたちがう美しさ。一般的にクロアチアの墓地は手入れの行き届いた庭園風が多い。

カトリック墓地の隣りのユダヤ墓地内。ホロコースト犠牲者の慰問に訪れた大木の下のチャコヴェツ出身のユダヤ人たち。

この辺りでは第二次大戦前まで700人ほどのユダヤ人が住んでいたのだが、大戦時のホロコーストによりそれらのユダヤコミュニティーのほとんどが全滅し、その伝統と文化が営みがそこで遮断されてしまった。町外れのこの墓地にも、ホロコーストで亡くなった人の墓碑が目立つ。

このチャコヴェツにかつて住み、アウシュヴィッツを生き延びた人もいる。その人の腕には囚人番号の入れ墨がいまでも残る。

ユダヤの墓のちょっと変わったモニュメント。ハンガリーに近いからだろうか、どこかアジアっぽい感じがした。

古いユダヤの墓。

1943と44年没。ホロコーストで亡くなったユダヤ人の墓。

それでも現在のチャコヴェツには10人ほどのユダヤ人が住む。が、そうとはいえ、この地域のユダヤ文化とユダヤ人はもはや歴史の一部でしかなく、現在進行形ではない。このチャコヴェツではユダヤの伝統を受け継ぎたくても、もうそれを教えてくれる人がいない。生まれてからずっとこのチャコヴェツに住み、十代のご子息が二人いるチャコヴェツのユダヤコミュニティーの会長さん(50代前半だろうか)にいろいろ話を伺ったが、戦後生き延びたユダヤ人たちの数人はここに戻り、そしてそれ以外の人はイスラエル北部の港街ハイファの近くにあるユーゴスラヴィア移民のキブツへと移住して行ったという。会長さんも人生の節々で彼自身のルーツや伝統を知りたいと願った時もあったが、残念ながらもうそれを知りようがないのだと。

1944年に破壊されたチャコヴェツのベイトクネセット(シナゴーグ)の跡地に立つと本当に空しい。こういう場ではなにを言ってもクリシェでしかないような気がしてしかたがない。すると「これが現実です」と会長さんが言った。その通りだ。ホロコーストで失われたものは600万人の命だけではない。あの時に失われたものが今もこうして欧州の各地で失われ続けている。ホロコーストはまぎれもなく未だに現在進行形の現実なのである。

P.S.このブログ(Blogger)では写真の発色がイマイチですね・・・。淡い。というか、残念ながら赤や緑の色彩がかなり飛んでしまっています。

追記の追記:このブログではどうも思ったよりもかなり写真がしょぼいので、フォトウェブのČakovecに載せましたので、写真はそちらへどうぞ。

もひとつ追記:このはなしを書いた時はBloggerだったのですが、その後、今のwordpressに引っ越して来ました。

カテゴリー: 月と太陽の傾き

書く殻破り、寝る忘れる、テント、

akiko sato
sklonište za osjećaje
(shelter for feelings)

Gliptoteka HAZU
Zagreb, Medvedgradska 2
5月17日ー6月13日まで

人には感情を表現するのが得意な人もいれば、そういう人よりもそれが何倍も難しい人もいる。わたしはいわずと知れた後者だ。今書いているとあるストーリーがあるのだが、難しいことなど一切書いてないのに、書くのが本当に難しい。というのも、後者のわたしは主人公の心情場面をことごとくすっとばす、そんなおかしな癖がある。だけどそれではストーリーは伝わらない。ちょっとは伝わるかもしれないけど。それでなかなか越えられない壁のような、そんなものにぶちあたる。自分とキャラクターをまったく別の人として分け、別人として心情を書く、それがいったいどこまで可能なのか、ガン、ガン、ガン、ぶつかってまたぶつかる。そうなるともう試験前の学生のように、あっちへこっちへと集中力が遊びに出かけてしまい、なかなか書くべきところに辿り着けない。だけど、その壁を超えられた時がスコーンッと気分がいい。・・・今回はまだまだそこに辿り着けそうもない。さー、がんばろう。

あれこれ書いていると、だんだん「森の中からは木が見えない」みたいな状態にもなる。なに書いてんだっけ?なに言いたいんだっけ?そうして煮詰まって、そこでちょっと頭休めに昼寝をする。でも、ゴロン、と横になっても頭は先ほどからの続きで止まらないエンジンのようにグルグル回転。そういう時に限って、なんだかおもしろい案が出て来たり、ちょっと気の利いた表現が浮かんだり、おー、いいなあ、あとでそれ書いてみよう、そして眠りから醒めるとそれがいったいなんだったのかもうさっぱり思い出せないいつものパターン。だけどベッドにコンピュータを持ち込むのはなんだかイヤなんだ。だったら紙とペンを置いておけばいいのだけど・・・。それもなんだかイヤなんだ。あとでちょっと後悔するってわかっていてもね。ま、人間わかっちゃいるけどやめられない、そんなものさ。

昨日、在ザグレブのアーティストakiko satoさんのエキシビジョンに行って来た。先週のオープニングにも招待されていたのだが、まさかそんなに時間ぴったりに始まり、午後2時に閉館するとは思ってもいなかったから、イスラエル時間で遅れて行ったわたしの前のドアはもうとっくに閉まっていた。およよっ。そこで昨日の夕方、もう一度Gliptotekaギャラリーに行き、ようやくakikoさんの作品とご対面。クロアチアの伝統レースを用いて作られたそのテント。白とグレーの空間にぽんっと置かれたそのテントの中は、海の底、体内、胎内、ずっとそこにいたくなるような安心感と沸き上がる想像力、意識、そんな空間だった。この中でなにかものを書いたらおもしろいだろうなあ。今日の夕方時間の空いたakikoさんとお茶をして伺ったが、ザグレブでの展示のあとはヨーロッパ諸国での展示予定だそうだ。こうしてままならぬ現世で一生懸命なにかを求め、今できることを表現し、生きている女性がいること、とても素晴らしいと思った。わたしも今できることを精一杯がんばろう。だってそれしかないのだから。

カテゴリー: イスラエル

ノーコンセプト 60 exhibition






さてさて、先日ユダヤコミュニティーの企画部に渡した写真、イスラエル建国記念パーティでの展示はこんな感じだったそうです。と、まったく他人事のようですが、ええ、行かなかったんですよ。というのも、昨日今日のザグレブ、雨が降りそうで降らない非常に不愉快な天候で、ズーンっと頭に重く、頭痛ともなんともいえない気怠い状態。ユダヤコミュニティーで行われたイスラエル建国記念パーティは夜の7時から、もうその頃にはわたしはベッドに入ってぐったりしておりましたとさ。ま、いいやね。

コミュニティーのメンバーである映像ディレクターM女史もなかなかよい写真ですねと仰ってくれたそうで、全体としての評価はよかったそうです。が、やはり企画部が付け焼き刃でコンセプトもなしでの選択&レイアウトなので、まー、こんなものでしょう。題して「ノーコンセプト 60」。だけど、冗談抜きで実はこれがState of Israelの現状。イスラエルという国がいったいどうして建国されどうして存在し続けなければならないのか、そのためにはどういう国家でなければならないのか。そんなコンセプトが建国後60年の今、イスラエル第三世代になり確実に失われ混乱しつつあるのだから。

今回の展示数は結局全部で40枚ほど。しかしこうして一種の形になると、いつもの撮りっぱなしとはまたちがって、これからはもっとちゃんとテーマを定めていこうと改めて考えされるのはよいですね。が、今度エキシビションをするならば、もっときちんとコンセプトを練ったのものにしたい。今回もわたしの目を通してのイスラエル展と題してもよいかと聞かれたのですが、写真の選択は自分ではないし、そういうコンセプトならこれとはまったくちがったエキシビションとなるはずだからと、それはお断りさせてもらいました。

で、写真選択時点で「信仰者や宗教的な写真は絶対にイヤ!」とのたもうたかのLさん(「イスラエル60歳、還暦。」参照)ですが、結局コテル(嘆きの壁)もスコット(仮庵の祭り)の様子もばっちり展示してあるじゃないですか・・・。なんなんだ。M女史もなぜこういった写真を省きたいのかわからないと仰っていたが・・・。まあ、正しい正しくないは別として、Lさんの言いたいことがまったくわからないわけではないけれど、とフォローしておこう。

カテゴリー: 不思議のクロアチア

意味不明

一ヶ月ほど前だったと思うが(時間の感覚がないのでひょっとしたら二ヶ月ほどかも)、「結婚式では一切個人撮影は禁止する」というクロアチアの新しい法律を知った。どう理解してよいのか困ったのだが、結婚式(そして結婚式のパーティ)での写真撮影はすべてプロのカメラマンによるもののみで、家族や友人での楽しいスナップ写真など個人撮影は一切ダメ、不法、罰金を課せられるというものらしい。この法律(そう呼ぶのもアホらしいが)の立案理由はプロのカメラマンの仕事を保護する、みたいなものらしいが、ここは・・・共産圏なのだろうか?!と驚いたのだ。結婚式という非常に個人的なイベントに非常に変な規制をかけられ、いやはや腑に落ちない。

そしてあまり知られていない外国人入国に関する法律なのだが、外国人はクロアチア入国後24時間以内に警察に入国届けを出さなければならない。ホテルやソベ(個人経営の宿)に泊まればそこから自動的に警察に届けてもらえるのだが、例えばバックパッカーで夏のキャンプに来た人たちや、知り合いや親戚、家族を訪ねその個人宅に宿泊する場合などは、いちいち自分で警察に出向かなければならないことになる。そして届け出にはクロアチア国籍の保証人(らしきもの)が必要、その人の住所証明みたいなものも提出しなければならない。一般旅行者には到底無理な話だ(だからこの法律を知っていればめんどうを避けるため一泊目はホテルやソベに泊まらなければならないってことになるわけで)。

しかも警察署内の入国届けの窓口は、朝からボスニアなどからの外国人労働者の長い列。運が悪ければ午前中いっぱい立ったまま待たなければならず、早くても1時間はかかる。保証人にしてもふつうに仕事をしていれば、そんなことにはつき合えない。しかももしやむを得ず一人で届け出を出しに行ったとしても(=受理されないと思うが。笑)、窓口のおばさんはクロアチア語のみで英語を話すとは限らない・・・(確率的にはかなり低い)。そしてそして、署内には外国人でもわかるような「入国届けの窓口は二階↑」なんて親切なサインはどこにも書いてない。

しかーし、本当の落とし穴はというと、空港の入管でもバスでの入国でもそんなことは一切告げられず、どこにも注意事項として書いてない。なので、あらかじめそれを知らずにはじめてこの国に入国した場合(ほとんどの旅行者がそうだと思うのだが・・・)、こんな決まりがあるなんて知りようがないのである。どないせいっちゅうねん・・・。ふつうに考えれば、陸路であれ空路であれ、クロアチア入国時にイマドキらしく一括してコンピュータ管理すれば、誰もそんなわずらわしいことをしなくてもよいと思うのだが・・・。しかも現時点では入国者情報は入管と警察の間では繋がっていない。

が、結局この法律は外国人の出稼ぎをコントロールするためのようなものなのかと、まじめなわたしはそう思っているのだが(笑)、かなりなにもかもが個人的な利害で動くこの国、他にもなにか「えええっ???」と驚かせてくれるような理由があるのだろうか。うん、あるような気がする(笑)。