決断の日。
Freedom of choice.
あなたは今年はなにをするのですか?
そのための積み重ねを一昨年でして来ましたか?
世のモラルのために、
世の他のひとたちの行いの責任を持てますか?
あなたは?
そしてあなたは?
これがユダヤの新年、
ティシュリの月のついたち、
初てめの人間アダムの生まれたこの日に
神に尋ね、尋ねられること、
神が、頭の上の存在が、この世にいると確認する日。
その新年からの10日間、
この一年の行いから
なにを改めなければならないかを反省し
神に許しを請うヨム・キプールに向かう。
ザグレブの知人でユダヤ人のL氏と奥さんにディナーによばれたとき、
かつて某大統領のアドバイザーを勤め、
今も一政党の党首であり、
わたしの父より少し若いぐらいのL氏に
「君はなにがしたいのですか?」
と尋ねられた。
それから数ヶ月が過ぎた今もまだ、その答えは見つからないまま。
そんなL氏はこうもいった。
「よい人というのはね、お金を持ってるとか、
学歴があるとか社会的地位とかそんなことじゃない。
人を助けたことがある、それがよい人です。
ぼくはいつも人々に聞きます。
あなたはこれまで人を助けた、力になってあげたことがあるのかと。
さあ、君はこれからなにがしたいのですか?
What do you want to do?
ぼくと家内は異邦人の君の力となる義務がある。
したいことがあればなんでも協力しましょう。」
あり難い言葉だ。
さあ、わたしは今年はなにをしましょうか。
わたしは、今年はなにをしなければならないのでしょうか。
そんな簡単に答えが出せたなら、
そしてこの世の中のみんな、一人一人が、
今年しなければならない社会へのモラル的タスクを考えたらば、
もうそれだけでもこの世は素晴らしい方向に進むはずだ。
ああ、わたしはなにをすればいいのでしょう。
割れたざくろのようにあたまがいたい・・・。
と、今年もそんな時季がやってきた。
エルサレムではロシュ・ハシャナの晩には
シャナ・トヴァ、甘い一年になりますようにと家族が集う。
エルサレム、NY、メキシコシティーから
ロシュ・ハシャナのメールがいくつも届いて、
久しぶりにNYのI君と長電話。
なんの遠慮もいらない友とたまにの長話はええもんよね〜。
あの人はどうしてるかなあ〜、
彼女は元気かな〜、
彼はがんばってるだろうか。
あちこちに散らばる友の顔を思い浮かべながら、
蜂蜜のお酒でも飲んじゃおっ。
ザグレブではザクロにはまだ早いロシュ・ハシャナです。
過去に書いたロシュ・ハシャナは*こちら*