カテゴリー: ユダヤの暦

見つめる光

ハヌカも今夜で4日目を迎えました。エルサレムの自宅付近では、通りの家々の窓や玄関の前に置かれたハヌキヤに灯された火の光が、あちこちに温かく輝いています。

昨日の日没後、カメラを持ってウロウロと、シャアレイ・ヘセッド(よき行いの門)という名の地区へと。この辺りは、二軒に一軒はイェシヴァ(ユダヤの宗教学校)かシナゴーグ、はたまたイェシヴァの男子学生寮、という濃ゆい地区。イェシヴァへと世界中から集まってくる留学生も多く、スーツケースをゴロゴロと引きずる黒い帽子の黒い男の人影がアチラコチラに。そう言えば、昨夜はあの地区では一人も女性とは出会わなかったかも・・・。そのシャアレイ・ヘセッドに、ハヌカ通りと勝手に呼んでいる、あるひっそりとした通りがある。100メートルほどのこの短い通りの両側の家々のドアの前には、毎年、いくつものハヌキヤが置かれていて、なかなか美しい。

ハヌカは、BC2世紀(BC165年)のギリシャとの戦いで、ユダヤ暦のキスレヴ月の25日に、マカビーという少数のコーヘン(ユダヤの神殿に使える司祭のような役職の人たち)がエルサレムを開放しユダヤの神殿を取り戻した勝利を祝うもの。勝利後、ギリシャから取り戻したエルサレムのユダヤの神殿では、コーヘンたちが火を灯すオリーブ油が一日分しかなかった。しかし、それがなんと八日間、燃え続けたのだそう。そこで、ハヌカでは神の存在を忘れないようにと八日間に渡って、日没と共に一本ずつ、一日目は一本、二日目は二本、三日目は三本・・・と、ハヌキヤと呼ばれるオリーブ油に芯を入れたものに火を灯してゆく(家庭によっては蝋燭もあり)。上の写真は、アパートの入り口に置かれたハヌキヤたち。ハヌキヤにも色々なデザインがあっておもしろい。写真のようなボックス型は屋外に置く用。家の中のハヌキヤには、普通の一列に並んだ蝋燭立てのようなものが多いかな。

ちなみに、ハヌカの火の光は、ただ神の存在を忘れないために見つめる光でなければなりません。なので、ハヌキヤの火の光は、本を読んだり物を照らしたり、「使用」することはできず、そのために、毎日一本余分な火を灯します。そうすることで、仮にうっかりと、そのハヌキヤの火の光で本のページをめくったとしても、その余分の一本さんの光で読んだのよ、ということになるからなのですね。

ユダヤの法(ハラハ)では、各家庭にひとつ、ハヌキヤを持つようにとされている。その理由ははっきりしませんが、ユダヤの家庭は神殿を象徴するものだからというものもあれば、こういう話もあります。キスレヴ月の25日にユダヤが勝利するまでは、ギリシャはユダヤに様々なことを禁止しましたが、その中では、ユダヤの人々が宗教的なことを家の中で隠れてできないようにと、玄関のドアを閉めることが禁止されていた。そしてもはや、玄関のドアはドアとしての役割を失い、しまいにはユダヤの各家庭から玄関のドアが取り除かれることに。そしてユダヤに勝利がもたらされたのちは、玄関のドアを取り戻し、そのことから、ハヌカではハヌキヤを各家庭の玄関のドアの前に置くようになった。しかし、反ユダヤの歴史などにより、ハヌキヤは玄関のドアの前ではなく家の中に置かれるようになり、現在は外から見えるように窓際に置くようにと変化したと。

エルサレムの日が沈む頃、家路に向かうお父さんたちの姿。帰宅した家では、窓のそばでお父さんが「さあ、みんな集まって!」とハヌキヤに火を灯すのに合わせて、子供たちが幸せそうな歌を歌う。お母さんの揚げたてのスフガニヤ(丸いドーナツ)に、ユダヤの駒まわし。澄んだ空には大きな星座が見えはじめる。そんなハヌカの祭りは、なんとも言えない温かさというか、何かが心に染みる。じっと火の光を見つめるということが、なんとも心を洗ってくれるというか、そんな気がしてならない。通りの家々の窓に見えるオリーブ油の火の光などを見るだけでも、その日に起きたちょっとした嫌なことや大小諸々のことが、すーっと浄化されるような気がします。

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カテゴリー: ユダヤの食卓

スフガニヤを食べよう!

ハヌカがやって来て、エルサレムの街にも少しは年の暮れの雰囲気が出はじめたような感じがします。夜の街には、たくさんの観光客が探索する姿があちこちで見られます。特にこの時季や祭りの時季に自宅から新市街の方へと歩いてゆくと、行き交う人の話し言葉は、アメリカ語とフランス語。ヘブライ語はほとんど聞こえてきません。うーん、一体私はどこにいるのだろうかと、よく思ってしまいます。こんなだから、ヘブライ語会話がいまひとつもふたつも上達しないのよねん。ここは、ほぼ、リトル・アメリカ&フランスですけん。

しかし、スーパーなどに行くと、少し前まではレジの大きなおばちゃん連中はロシア移民で牛の歩みのごとくだったのが、ここしばらくの間でそれも変わりつつあり、スレンダーな若きニコヤカなエチオピアのオネエチャンだったりする。イスラエルで出会うエチオピアの人って、なんだかとても繊細で憎めない。気がつけば、こんなに小さな街エルサレムも、かなり地球の端から端までの人たちが、何気なくさらりと犇めき合っている。

そんなエルサレムのハヌカの間、うらうらと歩いてみれば、そこもかしこのパン屋とお菓子屋には、おいしそうなスフガニヤ~!そう、あの、まあるいドーナッツ。揚げたては本当おいしおますねんで。スフガニヤの中には、まったく人口の色と味をしたイチゴジャム(おそらく・・・)や、モカクリームなど、入ってないほうがひょっとしたらおいしいんちゃうか、と思うようなものが入っている。が、イスラエルの人たちは、これが好きなのかも?

ここでワンポイント・なぜなに君。

「どうして、ハヌカではスフガニヤや揚げたポテト・パンケーキを食べるのか?」

答えは簡単。前回書いたように、ハヌカはユダヤの神殿に灯したオリーブ油に関係しているから、このお祭りのあいだは油を使った食べ物を食べるのですな。それだけよん。単なる伝統というか、文化というか。小難しいことは一切なしよ。言ってみれば、油揚げでも、串カツでもいいのかもねん。でも、ユダヤの人は伝統に関してはかなり保守的だからね、やっぱりスフガニヤかな。

ではでは、新年を迎えられるみなさま、よいお年をお迎えくださいませ~。

カテゴリー: 心と精神の浄化

心を洗うハヌカの光


ハヌカも今夜で4日目を迎えました。エルサレムの自宅付近では、通りの家々の窓や玄関の前に置かれたハヌキヤに灯された火の光が、あちこちに温かく輝いています。

昨日の日没後、カメラを持ってウロウロと、シャアレイ・ヘセッド(よき行いの門)という名の地区へと。この辺りは、二軒に一軒はイェシヴァ(ユダヤの宗教学校)かシナゴーグ、はたまたイェシヴァの男子学生寮、という濃ゆい地区。イェシヴァへと世界中から集まってくる留学生も多く、スーツケースをゴロゴロと引きずる黒い帽子の黒い男の人影がアチラコチラに。そう言えば、昨夜はあの地区では一人も女性とは出会わなかったかも・・・。そのシャアレイ・ヘセッドに、ハヌカ通りと勝手に呼んでいる、あるひっそりとした通りがある。100メートルほどのこの短い通りの両側の家々のドアの前には、毎年、いくつものハヌキヤが置かれていて、なかなか美しい。

ハヌカは、BC2世紀(BC165年)のギリシャとの戦いで、ユダヤ暦のキスレヴ月の25日に、マカビーという少数のコーヘン(ユダヤの神殿に使える司祭のような役職の人たち)がエルサレムを開放しユダヤの神殿を取り戻した勝利を祝うもの。勝利後、ギリシャから取り戻したエルサレムのユダヤの神殿では、コーヘンたちが火を灯すオリーブ油が一日分しかなかった。しかし、それがなんと八日間、燃え続けたのだそう。そこで、ハヌカでは神の存在を忘れないようにと八日間に渡って、日没と共に一本ずつ、一日目は一本、二日目は二本、三日目は三本・・・と、ハヌキヤと呼ばれるオリーブ油に芯を入れたものに火を灯してゆく(家庭によっては蝋燭もあり)。上の写真は、アパートの入り口に置かれたハヌキヤたち。ハヌキヤにも色々なデザインがあっておもしろい。写真のようなボックス型は屋外に置く用。家の中のハヌキヤには、普通の一列に並んだ蝋燭立てのようなものが多いかな。

ちなみに、ハヌカの火の光は、ただ神の存在を忘れないために見つめる光でなければなりません。なので、ハヌキヤの火の光は、本を読んだり物を照らしたり、「使用」することはできず、そのために、毎日一本余分な火を灯します。そうすることで、仮にうっかりと、そのハヌキヤの火の光で本のページをめくったとしても、その余分の一本さんの光で読んだのよ、ということになるからなのですね。

ユダヤの法(ハラハ)では、各家庭にひとつ、ハヌキヤを持つようにとされている。その理由ははっきりしませんが、ユダヤの家庭は神殿を象徴するものだからというものもあれば、こういう話もあります。キスレヴ月の25日にユダヤが勝利するまでは、ギリシャはユダヤに様々なことを禁止しましたが、その中では、ユダヤの人々が宗教的なことを家の中で隠れてできないようにと、玄関のドアを閉めることが禁止されていた。そしてもはや、玄関のドアはドアとしての役割を失い、しまいにはユダヤの各家庭から玄関のドアが取り除かれることに。そしてユダヤに勝利がもたらされたのちは、玄関のドアを取り戻し、そのことから、ハヌカではハヌキヤを各家庭の玄関のドアの前に置くようになった。しかし、反ユダヤの歴史などにより、ハヌキヤは玄関のドアの前ではなく家の中に置かれるようになり、現在は外から見えるように窓際に置くようにと変化したと。

エルサレムの日が沈む頃、家路に向かうお父さんたちの姿。帰宅した家では、窓のそばでお父さんが「さあ、みんな集まって!」とハヌキヤに火を灯すのに合わせて、子供たちが幸せそうな歌を歌う。お母さんの揚げたてのスフガニヤ(丸いドーナツ)に、ユダヤの駒まわし。澄んだ空には大きな星座が見えはじめる。そんなハヌカの祭りは、なんとも言えない温かさというか、何かが心に染みる。じっと火の光を見つめるということが、なんとも心を洗ってくれるというか、そんな気がしてならない。通りの家々の窓に見えるオリーブ油の火の光などを見るだけでも、その日に起きたちょっとした嫌なことや大小諸々のことが、すーっと浄化されるような気がします。

注:マカビーとは「神よ、強き者の中であなたのような方はいない」という意味のヘブライ語「Mi Chamocha B’elim Hashem」(出エジプト記15章11節)の頭文字からです。

カテゴリー: 混沌の文化

カツラ論争

オーソドックス・ユダヤの既婚女性は頭部を覆うのですが、一般的には、スカーフや帽子、カツラなどを着用。今年のいつだったかに、オーソドックス・ユダヤ界で「カツラ論争」なるものが起きたのですが、オーソドックス・ユダヤの妻たちのかぶるカツラに使用されている毛に、インドなどでヒンズー教などの神々に捧げるために切られた髪が使用されていたことがその原因。その毛がユダヤの偶像崇拝禁止法云々にひっかかり、カツラ一般について認めるか認めないかの論争となった。それからしばらくの間、メア・シェアリムなど、オーソドックス界ではカツラはタブーだったのだが、やはり女性が「美しくありたい」と思うのを抑えるのは、ラビであっても一筋縄ではいかないらしい。それ以来・・・か、どうかは知らないけれど、現在のカツラには偶像崇拝に使われていない毛を使用していることを示すように、カシェル認定が付いている。

先日、久しぶりに時間が取れたので、オーソドックス・ユダヤの街メア・シェアリムにハヌカの祝いに使うハヌキヤという、ろうそく立てを物色しに行ってきた。そこで、なんとなんと、在エルサレム・ン年にして、ようやくはじめて「カツラ」屋さんを発見!おおー、こんなところにあったのか~、と、ビルの奥にひっそりとある店の前をウロウロ。やはり店内に入るにはちと勇気がいる。ましてや、はじめから買うつもりなどないから、冷やかしのような気がしてなおさら気が引ける。で、ふ~ん?と誰もいない店内を覗いていると、青い澄んだ瞳に、きれいなカツラをかぶったオネエサン(といっても人の妻)が、「さあさあ、入ってください!」と、ニッコリほほ笑み、客引き。「いや~、買うつもりありませんから・・・こういう店は入ったことないので・・・」「いいんですよ~、お客さん、カツラははじめて?うふっ」なんだか微妙に変な会話だ・・・。

そして、めでたくカツラ初体験となり、調子に乗って4つほども取替えひっかえかぶってみた。カツラだから、かぶってしまえば髪型は常にパーフェクト。ひょっとしたら、意外とカツラって便利?いいのではないか?・・・なんて思えてきた。さらに調子に乗って、「金髪っぽいのって、ある?」と、かぶってみると、思いっきりイマドキっぽい顔になった自分にびっくり。そこで、オネエサン、「こんなのもあるわよ」と、箱から出したるは、カールしたレイヤーの入ったロングのカツラ。早速かぶってみる。うわ、うちのおかんの若い頃そっくり・・・・。いやや~!!!と、外そうとするものの、「いいえ、コレが一番ピッタリよ!似合ってます!」とオネエサン。「え~?そうかなあ?・・・うーん、まあね・・・おかんと思わなければ、そう悪くもないかも・・・ふ~ん、あれ、意外といけるかも???写真、撮ってもいい?」と、おもしろいもので、自分の中にあるフィルターを通してみる自分と、そのフィルターなしで他人が見る自分の差に気がついた。なるほどねえ。で、ちなみにおいくらよ?と聞いてみたら

「50$まけてあげますよ、850$でどう?ベネイ・ブラクからカスタマー・メイドなのよ。しかもちゃんとカシェルよ。ヨーロッパの人の毛よ。お徳でしょ?初回のシャンプーとセットもサービスしちゃう!」

高すぎますて・・・。

「で、オネエサンは、カツラ、いくつもってるの?」

「ワタシ?4つ!でもねえ、もう一つ買おうかなと思っているところ。だって、短いのも長い目のも、普段用も結婚式などのお出かけ用もいるもの」

・・・うーむ、ひげもじゃの夫さんよ、大変でんなあ・・・。

そんなこんなで、遊んでいると、スカーフをかぶったイスラームな若奥さんが夫ギミといらっしゃった。「おや???メア・シェアリムのど真ん中で?ムスリム???そりゃ、珍しい・・・・んんん???ひょっとして、こっそりお腹に爆弾巻きつけてるとか???」なんて、よからぬことなどを思っていると、若奥さんがスカーフを取って、肩ぐらいまである栗色のレイヤーのカツラをかぶった。

「え?ムスリムもカツラでいいの???」

「うん」

知らなかった・・・。

ムスリムが、メア・シェアリムのカツラ屋に現れたことにも驚いたが、スカーフでなくカツラでもOKというのがよくわからない。東エルサレムや旧市街で見かけたこともないけれど、単にカツラ・ムスリムが存在するということを知らなかったので、気が付かなかっただけかもしれない。そこで、テヘラン大学で教鞭をとられているイスラーム研究者のサラさんに、このことについて現在お伺い中。

追記:イランのテヘランで教鞭をとられているサラさんからのメールでは、明らかに自分の地毛でないとわかるカツラであればよいのではないか、ということでした。しかし、カツラがOKかは、やはり夫の考えによって、ということだそう。なるほど。ユダヤでも同じように、自分の毛で作ったカツラはダメですが、他人の髪で作ったカツラならばOK。が、しかしまあ、コレにも色々と論議はありますが・・・、今は触れないでおきます。

カテゴリー: 心と精神の浄化

まるで「Picnic at Hanging Rock」

私の好きな映画のひとつに、オーストラリア出身のピーター・ウィアー監督の1975年作の映画「Picnic at Hanging Rock」(邦題:ピクニック at ハンギング・ロック)という作品がある。

1900年に実際にHanging Rockで起きた事件を元にしたミステリアスな世界。1900年、バレンタインズ・ディに、とある名門寄宿学校の女学生たちと教師たちは、メルボルン近くのハンギング・ロックにピクニックに行く。そしてまったりと牧歌的な時間が流れ、主人公のメランダを含む何人かはHanging Rockで吸い寄せられるような謎に包まれたままどこかへと消えてしまい、最後まで誰もその真相を知ることはなかった。この主人公のメランダのボッティチェリ的な美しさと、当時の女学生たちの日常、清楚な服装、そして非現実な出来事のミステリアスがぴったりと合い、どんどんと不思議な世界へと引き込まれてしまう。見終えた時には、100年も前に起きた失踪事件の不気味さと謎が今起きた事件かのように思えてしまう。Hanging Rockについてはほとんど知らないけれど、どこか神がかりな雰囲気のある山なのかも。

京都時代の知人に偶然この辺りの出身の男の子サムがいた。「リバー・ランズ・スルーイット」の頃の爽やかなブラッド・ピット似のサムは、子供の頃にこのHanging Rockに何度か遊びに行ったことがあると言っていた。やはりちょっぴり怖かったそうだ。

先日、アナトットの谷へ行った時、あたりの岩山や砂漠にそのHanging Rockを思い出した。・・・と言っても、ワタシは美少女でもなければ寄宿舎の女学生でもないけどね(笑)。でもエルサレムのお山に住んでいるから、ちょっとは浮世離れしているかも。

追記:コレを書いてからなんとなく気になって映画のことを検索してみたら、おやおや、実話に基づくというのはどうもそうではないらしい。Joan Lindsay という作家の本の原作にしているよう。ふーん、1900年にHanging Rockで女学生が行方不明になった事実はなく、何らかの事件があったらしいが、もう関係者がすべてあちら側の世界の人なので、それもはっきりしないよう。

こちらのページの真ん中辺り「PICNIC AT HANGING ROCK THEATRICAL TRAILER」の写真をクリックすると、予告編をダウンロードできます(英語)。

カテゴリー: 心と精神の浄化

静の世界へ

イスラエルには日曜日はない。イスラエルの日曜日はニッポンの月曜日と同じで一週間の仕事はじめの日。がしか~し、今週、ワタシは馬車馬のように、働けど~働けど~、じっと手を見つめる・・・状態なので、この日曜日だけは、先手を打って休みにしておいた。

先日のこと、うちのイラン系ユダヤの大家さんの息子ヨッシー(48歳)が、12月分の家賃を受け取りにいらした時、何気ない会話でヨッシーの英国系の奥方はなんと数年前にキリマンジャロに登られたツワモノで、来月には単独で南米を旅されると言われ、彼の奥方同様、実はワタシも旅や自然探索が大好きだという話になった。そこで、ヨッシーが「だったらぜひ僕の家に遊びに来い!日曜に迎えに来てあげるから」というので、何の遠慮もなく、パレスチナの壁の横を越えて、いわゆる世間では入植地と呼ばれるところへ遊びに行って来た。入植地、壁、そんなキーワードには政治やらなんやら思わしくないネガティヴなイメージが付きまとい、「おいおい、そんなところへ気軽に遊びに行くたぁ、どういう了見でい!」と、眉をひそめて思われるかもしれないが、実際にここに住んでいると、取り立ててそんなこともない。

そのヨッシーと彼の家族の住むアナトットは、車でエルサレムを出て死海方面に向って15分ほど。あっという間にあたりは砂漠、遠くにはヨルダンが見える。右上の写真はヨッシーの自宅付近からヨルダンに向かっての眺め。こういう生命を感じられない過酷な景色を眺めていると、なぜかその反対にまさに創世記のはじめを思わせるすさまじい生命力を感じてしまい、すぐそこに神はいるのではないか、なんて思ったりもするし、モーセやユダヤの人々がこんな荒野を彷徨ったのかなあ、なんて考えたりもする。そしてひょっとすると自分もまた、ここを彷徨っているのではないかなんて、思ったりもする。たまには自然相手にそんなことを考えてみるものいい。

25年ほど前に開拓されたアナトットは150世帯の本当に小さな町で、すぐ近くの砂漠の谷にはまさにオアシスと呼べる泉がある。なんとなんと、そこにはキリスト教が禁止されていたローマ時代(1世紀の終りから2世紀にかけて)に、エルサレムから逃れて来たキリスト者たちが隠れ住んだ洞窟や修道院が今でも残っている。なんだかかつてのニッポンの隠れキリシタンのことを思い出した。残念ながら今回はあまり時間がなかったので、1990年に再び開かれた修道院はちらりと見ただけだったけど、現在ここには現代の騒音と雑音から逃れて来た人たちが生きている。次回はじっくりとこの谷間をゆっくりと訪れてみたい。きっとひとり瞑想するにはよいにちがいない。

しかし今では、その洞窟には遊牧民ベドウィンたちが羊を連れて冬をしのぎに来るという。遊牧民というキーワードだと、なんだかシルクロードでも思い出しそうなロマンが漂うイメージだけど、実際はそんなこたあない。遊牧している身だから、例え犯罪を犯してもまたどこかへ移動してしまえば、はいそれまでよ。彼らの中にはどんな人物が紛れ込んでいるかもわからない。できればあまり関わらない方がいいというのが、そんな彼らを遠からず近からずにして住んでいる人たちの声。だったらひっそりと静かに訪れるには夏がいいのだろうけど、夏休みあたりだと子供たちが水遊びにやって来るだろうから、平日に行くのが一番かな。

カテゴリー: 混沌の文化

日常会話

それは昨日のことじゃったぁ。朝6時半に起床、7時半過ぎにはエルサレムの中央バスステーションに到着。ベン・グリオン空港まで45分ほど朝のイスラエルをバスに揺られ、そこからタクシーでオフィスまでヨッコラセ。オフィスに着いたのは9時20分。長い長い旅じゃったぁ。

オフィスのドアがジーッと音を鳴らして開いた。プロジェクト・マネジャーのエレズがブルーのシャツで「待ってたよ!!」とにっこにっこ顔。「さささっ、僕のオフィスへどうぞ~」と間一髪入れずに拉致される。

「さて、良いニュースと悪いニュース、二つあるけどどっちを先に聞きたい?」

でたー・・・。どっちでもいいよ。んじゃ、悪いのから。

「ごめん!!!今日、君の出番なし!来てもらわなくてもよかったのだな。手違いだったんだよねえ・・・わるいね!」

しめしめ、コレで今日は仕事せずにすむぞ~い。コツコツ電脳空間から開放だ!

「あ、そう~。いいよん、別に」

「ほんとに怒ってない?よかった・・・。で、よいニュースは、今日の日当は払わせてもらいまっせ」

おお、ラッキーではあ~りませんか。それなら毎日でも間違えて呼んでくれたらいいなあ。と、まあ、そんなこんなで、またまた来た道をタクシーに揺られ、ベン・グリオン空港まで戻る。

12月と言えどもまだまだ暖かいイスラエリー・ブルーの空の下、道の脇には延々と農園が続き、やっぱりイスラエルって農産業国なのねえと、少々季節を感じられるような柿がおいしそうに熟れていた。コレがタクシーでなければキキーッと車を停めて、ひょいっと柵を越え、ポケットに一つ二つ柿をしのばせているだろうなあ、なんて思っている間に空港に到着。エルアル航空の大きな倉庫やら、DepartureやArrivalの文字、空港に来るとなぜかワクワク。色々な国の言葉や、鞄のひとつひとつ。そこにはそれぞれの人生のストーリーがあるのだろうなあ、と、あれっ、書く場所がちと違うか・・・。

そうして、到着ゲートからエルサレム行きのシェルートに乗った。が、私の他には乗客はたったひとり、ブロンドのリカちゃん人形よろしいロシアのオネエサン。午前中にイスラエルへ到着する飛行機は少なく、普通は乗客が10人集まらねばシェルートは出発しないから、これは待てど暮らせどシェルートは出発しそうもない。うーむ、それならここから電車に乗った方が早かったかも・・・と、何台も停車している空っぽのシェルートの脇にたむろしているおっちゃんたちの一人に聞いてみた。

「んねー、いつ出発するん?」

「あ~、ほれ、見てみぃ。今さっきラビも到着したこっちゃしな、今みんなで祈ってんにゃんか、その後で出発やでぇ」

乾燥して塩のついたひまわりの種を、ガリガリとかじっては殻を吐き出しながら、面倒くさそうにおっちゃんが答える。シェルートの窓からひょいっと顔を出すと、柱の影では白髭のラビといかにもイカツく、スピリチュアリティなどまったく無関係のようなおっちゃんたちが、大きなお腹を揺らしながら腕とおでこにテフィリンを巻いて祈りを捧げていた。ほー、やっぱり変なところでユダヤ人なんだなあと、これまた変に関心。毎日空港からエルサレムの間を走り抜けるおっちゃんたちは、無事に走り抜けられるよう、やはり祈らずにはいられないのだろう。

そして待つことさらに10分ほどが過ぎ、私とリカちゃん人形の二人だけ、プラス運転手の友達のこれまたさらにイカツイおっさんアルベルトを乗せて、やっとこさ、新しくできた空港の出口をシェルートは出発した。が、あらら、幹線道路に出る以前に大渋滞。なんだこりゃ!と思っていると、どうやら探し人をしているらしい。サングラスのセキュリティーのニイサンが、一台一台車の中を覗いて怪しげなアラブ人がいないかを確認中。そんなこんなで、いやあ参ったなあと思いつつ、すでにもうお昼に近いではないか。

おっ、そうだったそうだった、おやつに持ってきたドーナツがあったんだ。イスラエルでの通勤途中にはおやつを持ち歩く私。だって、こんなふうに一体どこでどう時間を食うかわからないのであるからして。イソイソと遠足気分で鞄の中からドーナツを取り出して、むしゃむしゃ、おいしいなあ。と、途端にシェルートが走り出した。ぽろーん・・・、ドーナツころころドーナツさん。ええ、落ちましたよ、ベージュのスカートの上に、べったりとチョコレートの付いた側のドーナツが。が、そんな時こそ「アズマ?イエ・ベセデ~(それがどうした?何とかなるさ~)」とイスラエル式に自分を慰めてみる。

通常このシェルートは、テル・アヴィヴ-エルサレム間の幹線道路をびゅーんっと走り抜けるのだが、昨日の運ちゃんは裏道走りの名人とみた。彼がびゅーんっと走り出したもうひとつの道、その道の両側は、かつて旅したインドか、まだ見ぬアフリカの平原のような乾いた荒野が広がり、アラブの小さな町が次々と点在。モスクの塔がにょきーんっと遠くからもよくわかり、荒野をでっぷりとしたアラブのおばちゃんが羊を追い、牛が放たれていた。うわーお、やっぱりイスラエル、おもしろいなあ、通勤しながら瞬時に心は旅人になれちゃう。

そして、そんなエキゾチックな風景を一時間ほども走り抜けると、手前に大きく砦のようにそびえ立つのは、我が街、エルサレムの都。なるほど、この道を走り抜けるとエルサレムの裏側の玄関から入ることになるのね。シェルートがエルサレムに入ると、アラブの風景から打って変わってそこはひげもじゃんズの街。あっちもこっちも黒い服を着た人たちがゴミの舞う通りを急ぎ足で行き交う雰囲気が、これまたインドかどこかの混沌に類似。そこからシェルートは東エルサレムへと、ロシアのリカちゃん人形のために走り抜けた。ジャカジャカジャカジャカ、ベリーダンサーが現れそうなアラビックな音楽が鳴り響き、原色ピカピカの看板、スカーフの女性たち、一挙にアラブ・イスラーム・ワールドへと突入。ブロンド・ロシアのリカちゃん人形がそんな異次元でシェルートを降りると、運ちゃんの友達アルベルトおっさんが言った。

ア:「おー、おまえよぅ、なんでこんなトコに入ってくんねん、見てみいな。アラビム(ヘブライ語でアラブの複数形)ばっかりやぞ。入ったらまずいやろが・・・」

運:「なーにが、まずいやねん!おらぁ、ここには一日に3回も4回も入ってくらぁ。それにあんなリカちゃん人形をアラビムのど真ん中に放り出すんかい!できねーね!ったくよぅ、お前ってばさ!」

ア:「だからよ!アラビムばっかりの街にはオラァ、入ってこねえよってこった!でなあ、そこのさあ、あ、ここここ、ここやねん。ここのピタとホムスがむっちゃうまいねんで。おまえ、今腹減ってる?食うけ?」

運:「何でやねん、アルベルト!お前ここの街には来いひんって言うたんに、しっかりどこがうまいって知っるやんけ。が、あかーん!!!アラビムの作るもんは、おりゃ、食わんぞ!お前が欲しけりゃ車停めてやるけどよ!」

ア:「何があかんねーん!ピタはピタやろ?!なんであかんねん!ここの、うまいねんで!」

運:「はー、お前、そんなことも知らんのけ?ちょっと、ネエチャン、あんた、わかるやろ?こいつに言ったってくれよ、何であかんねん?」

おー、黙ってこの掛け合い漫才を聞いていたらば、こっちに振ったか、運ちゃんよ。

チ:「そりゃ、アルベルトはん、アラビムの作るのはカシェルやおまへんがな」

運:「へーっへっへっへ!!ほらみろよ、アルベルト、このネエチャンですら知ってるやんか。お前はなんでも知らなさ過ぎや!!」

ア:「なんやて~!!ピタは小麦やんけ!小麦は小麦や!アラビムもイェフディム(ユダヤ)も小麦は小麦やんけ!何がどうちゃうねん!けー!!・・・でもなあ、オレ、ほんまはそれ、はじめて聞いたわ。そうか、アラビムの作るのはあかんのんかあ。ふーん・・・そうかぁ」

運:「あーあー、お前はよぉ、はじめて聞くことが多すぎやで。聞くことすべてはじめてやんけ!で、ネエチャン、あんた、ヤパニット(日本人女性)やろ?」

チ:「うん」

ア:「えー!!ネエチャン、ヤパニットか???」

ずずずずいっと、アルベルトおっちゃん、車内を腰を曲げて前進。私の顔を覗き込む。

「いや、ほんまや。あんた、ヤパニットやったんや。実はオレ、この前ヤパン(日本)に行って来てんで!ほら、この前イスラエル船の事故あったやろ?あの関係で行って来ててんけど、一ヶ月もおったんやで!オサカやろ、コベやろ、そんでもってキョトや!なあ、ヤパンにもイェフディムはいてるんやなあ、せやろ?おい、おまえ、知っとったけ?」

運:「アルベルト、お前はドアホか!!どこのヤパンにイェフディムがいてるねん!考えてみんかい!」

ア:「なんやて~!!!世界中どこにでもイェフディムはいてるわ!当然ヤパンにもいてるやんなあ、ネエチャン!」

チ:「いやいや、アルベルトはん、元々はいてまへんよ、日本人のイェフディムて。でもシナゴーグはあるよ、神戸と東京に」

運:「ほれ、いてへんやんか。見てみぃ!!!!」

ア:「ちゃう、ちゃう!シナゴーグがあるて、このネエチャン言うてるやんか!そやし、日本人のイェフディムが行くねんや!!イェフディムが行かんかったら他に誰が行きよるねん、えー!!アホはおまえじゃ!」

うーん、だんだんと耳が痛くなってきたぞ、大音量のおっちゃんたちよ。なんや「こち亀」の両ちゃんと部長さんの会話みたいやなあ。

運:「お前はほんまにアホやのー。ヤパンにはぎょうさんイスラエリーがいてるやんか。道端で物売ったり、そんなやつらはいよんねん!ほら、これもはじめて聞いたんやろ!ったくよー!」

ア:「ひょー!!まじかい、日本には根っからのイェフディムっていてへんのか、アー、初めて聞いたなあ。ほんまかぁ・・・。で、ネエチャン、日本に行く時は飛行機やろ?何時間かかんねん?」

チ:「そやねえ、ドアからドアまでで30時間ほどかなあ」

ア:「おー、アホ言うな!あり得へんて!!!ここからやったらヤパンまで12時間くらいで行くわい!」

運:「12時間やて?!行くかいな!!ネエチャン、ヨーロッパ経由やろ?ほれ、そうやって言うてるで、ったくおまえはよ・・・!!」

ア:「ちゃうちゃうちゃう!!!何言うてんねん!オレはシンガポールまで飛んでやねえ・・・」

チ:「なあ、運ちゃん、話の途中で悪いけど、ほら、私のうちここやねん。ここで降ろしてくれる?」

キキーッとシェルートは自宅の前で停まりドアを開けてくれたが、おっちゃんたちの口は止まらない。

運:「お前はシンガポールまでどんだけかけて飛んでん??ほれ計算してみい!!!あ、ネエチャン、ほなさいなら。ほら、アルベルト、計算してみいや、シンガポール・・・そこからトキョ・・・」

ア:「エーット、エーット・・・9時間でシンガポールで、その後が・・・」

チ:「ほな・・・、さいなら~」

シェルートからぴょんっと降りまして、ほー・・・。私が降りたのも関係なく、まだまだ二人のドツキ漫才は続いていた。なんや、やっぱりエルサレム人って、こち亀というよりもコテコテの吉本劇場やなあ。おっちゃんら、そのままで十分新喜劇やワ、と妙にうれしいような、妙な旅の疲労感で帰宅したのでした。

で、こんなのんきなことを書いてはいるものの、今日、テル・アヴィヴから車で30分ほどの地中海沿いの街ナタニヤで、久々の自爆でございます。テレビをつけたら、黒い覆面のタコボウズ・ハマーたちが演説しておりました。ったく何考えてんだか。今テレビで流れているニュースではシャロンさんが「イスラエルは忍耐の時・・・云々」と語っておりますが、さてさて。