カテゴリー: 勝手にレシピ備忘録

ぶれるのもまたよし

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最近、よくぶれる。
集中力が足りないから、
テキト—だから、
情熱じゃないから、
だから、ぶれる。
うん、当分こんな感じやなあ、きっと。

今日は来月の写真展の打ち合せに行って来たよー。
展は来月半ばか後半ですな。
ま、なんにしたって、
そのうちなんとかなるでーしょーおー。

夜はドラツ市場の魚屋さんで買って来た
新鮮なサーモンをおさしみで。
いつもは刻んだネギとおしょうゆで、
新鮮だからひねりはいらない。

今日はちょい遊んでみた。
美味しい柿があったんやんか。
そう、これもドラツで買って来るよ。
Japanska Jabuka、
そ、ヤパンスカ ヤブカ、
日本のりんごって言うねんて。

「日本の実家に柿の木があるよー。
昔よく屋根の上に登って穫ったでー」

そうザグレブッ子の知人にいったら、

「えっ?ほんとにこの実が木に鈴なりになるの?」

「えっ?そりゃなるでー(笑)。なんでやー?」

ふしぎな会話が生まれたのでした。

そのふしぎな柿とサーモン、刻みネギ、
そこにぎゅぎゅーっと搾ったレモン、おしょうゆ。
サーモンと柿の甘さがなかなかフルーティで新鮮で
だけどちょっととろーん、
ひとつ、アクセントが欲しいなあ。
…あ、せやっ、コリアンダー!
香菜があれば、きゅっ、
引き締まってばっちりやんかいさ。
エルサレムならシュークでもどこでもあるのにね、
クロアチアには売ってへんなあー。

お正月の変わり一品にもなるかもね。
でも男性よりも女性向けな味、かもヨ。

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カテゴリー: 不思議のクロアチア

ザグレブ裏話

19〜20世紀のザグレブのユダヤ人たち、興味深い人物が多い。そしてこの街の発展にもひそかにユダヤ人が貢献しているようだ。とあるザグレブの歴史パンフレット制作ミーティングに出席した時に耳にした話しのおすそ分け。

世界で初めてシャープペンを作ったザグレブのペンカラ氏がユダヤ人だった。かどうかは、いまひとつはっきりした記録はないので、ミステリーのままにしておきましょう。その商品を作っていた工場主はユダヤ人だったという。

今ではクロアチアの代表的なチョコレートの老舗となったクラシュ(Kraš)も、もともとはザグレブのUNIONというユダヤ人がオーナーの企業だったという。クラシュが1911年創業としているのはこのUNIONがスタートした年を言っているんだね。さらに話を聞いてみると、なんだ、このUNIONのオーナーは知人S君のおばあちゃんの伯母だったから、へー。

そしてそれよりも驚いたのは、ツェッペリン。いやレッド・ツェッペリンじゃなくってサ、飛行船のツェッペリン。一般には1890年代にこの飛行船はドイツのツェッペリン社の社長であったツェッペリン氏が自ら開発したと伝えられているが、おっ、これがちがったんだな。ザグレブのデイヴィッド・シュワルツ(1852-1897年)(←シュワルツ氏のウェブ、当時の飛行船実験写真を見るだけでもおもしろいですヨ)というユダヤ人が発明したものを貧困から彼が若死にした後にツェッペリン社が買い取り自社の発明だとした。こんなことは今も昔もよくあることだけどね。

1860年の終に写されたセピア色の一枚の写真を見た。もともとのザグレブのはじまりである丘の上のゴルニグラドやカプトル地区の大聖堂の他は、ただずーっと原っぱが広がっている。なんにもない。が、よく見ると大聖堂の下に数軒の建物があり、そのひとつの大きな四角い建物は1867年に建てられたシナゴーグだった。中世では北クロアチアに住むことを許されなかったユダヤ人だが、1780年代に居住が許され、ザグレブではその丘の下に住みはじめた。そして約90年後にはこの大きなシナゴーグ(1941年、ウスタシェによって破壊)が原っぱのふちに建てられ、そのあたりから町が、現在の商業と文化の街が発展したのだろう。なので現在のユダヤコミュニティー周辺はかつてユダヤの所持地だったのも頷ける(第二次大戦でその多くが没収され現在に至る)。そんなことを頭においてザグレブを歩いてみると、以外と今でもユダヤ人たちの軌跡がところどころに残っていておもしろいものだ。ま、こんなことはガイドブックには載らないけれど。ちなみに、なぜ欧州のユダヤ人たちが農夫でなく商人や医者、技術士など手に職を持ったものが多かったのかといえば、ひとつには一般の国民のようにそこに土地を持つこと、居住することなどが許されていなかったことにあるのだろう。

1900年頃かもしれない(くわしい年はわからない)ザグレブのイェラチッチ広場。
写真左にはトラムがトコトコ、市場は今のように上ではなくここだったのよ。
広場右手や写真中央の建物なんかは今といっしょですね。
zagreb-jalacicev-plac

そして1930年頃になると、かなり近代化されましたね。
トラムも線路が増えました。写真左にはホテル・ドゥブロヴニクも見えます。
jelacicev-plac1930

あれ?・・・なんかこの二枚、なにかがへんだぞ?
そうです、
どっちむいてんねーん、イェラチッチ総督!
彼の像の向きが今とは逆ですな。

カテゴリー: ユダヤの暦

ハヌカの夜

一昨夜のハヌカのパーティーに続き、
昨夜はザグレブにあるユダヤ系の老人ホームで行われた
ハヌカの集いに出席。

ホロコーストで身寄りをすべて亡くした人、
戦後に幸せな家庭を築いて今はここにいる人、
ここに住む高齢者の多くはユダヤ人。
その第二次大戦中のホロコーストを生き延びた彼らたち。

住居人たちと家族がそろったダイニングルームで
ハヌカ一日目のキャンドルが灯されると、
一生懸命練習を重ねたであろう女性コーラス隊の、
80代とは思えない澄んだ伸びやかな声でハヌカの歌とピアノが響き渡る。
彼女たちにとって、
歌い続けることはとても大切なこと。
虐げられ奪われ殺された民族であるユダヤというアイデンティティを、
誇りとするもの。

クネイデルのスープが運ばれ、
それからメインに温かいラトケスと温野菜。
そしてこれまで食べたクロアチアのケーキでも
ひょっとしたらいちばん美味しかったフルーツケーキ。
家族団らんのひととき。
ハヌカなひととき。

エルサレムからメールが届いた。
ホロコースト体験者を両親に持ちドイツで生まれ、
家族とともにトロントへ移住したのち、
ひとりでエルサレムへと移住してきた、
その独り身の女友達。
知り合って長い、
60代に差し掛かろうとする彼女は、
特に年末、クリスマスにハヌカ、
この時期にはいつもよりも増す孤独感にボロボロになる。

それがほんとうにどういうことなのか、
彼女のその孤独を誰も心から理解してあげることなどできない。
この先もたったひとりで生きることになりそうな彼女。
そんな人生を選んだのも彼女自身。
だけどそれじゃあちょっと、友だちとして冷たいじゃないか。
人生自分ではどうしようもないことだっていっぱいあるんだもん。
迷路に迷い込んだ彼女になにを言ってあげたらいいのか、
大丈夫だよ、いつでもメールちょうだいね、
それぐらいしか言ってあげられない。
エルサレムからザグレブに来る前にも
「いつでも遊びに来てね」、
そう彼女に告げては来たものの。

家族。

これ以上に現世で大切なものってないんじゃないかな。
そう思ったりしたハヌカの第一夜。

カテゴリー: 不思議のクロアチア

TOKYO FM 「Blue Ocean」

TOKYO FMの『Blue Ocean(朝8:30〜11時)』という番組の『るるぶ』さんのコーナーで
チョコットダケですが、クロアチアからのオイラの声が電波に乗ります。
19日(日本ではもう今日ね)の10:30分すぎでしょうか。

東京あたりにお住まいのみなさん、
どうぞ聴いてみてくださいー。

ちなみに、おなじく19日には『るるぶクロアチア・スロヴェニア』が全国の書店にて発売されます。クロアチアとスロヴェニアの見どころはもちろん、お土産品や食べ物、旅に役立つ情報がいっぱいの力作。ぜひぜひ見てみて(←買って、ですな。笑)ください。ワタシも書いてますー、撮ってます。これでイチオウ、メジャーなクロアチアのガイドブックは出そろいましたかな。

jtbcroatiaるるぶクロアチア・スロヴェニア

カテゴリー: 混沌の文化

ほんとうのはなし

ザグレブに住むイスラエル人の友人ドリが家に遊びに来たとき、何気なく、彼女の女友達がザグレブ出身のLさんというユダヤ人と結婚してイスラエルに住んでいるという話しになった。

なんでもザグレブの実家もすごいオーソドックスユダヤ(戒律を守る正統派ユダヤ)で、その彼も信心くイスラエルに移住した。そしておなじくイスラエルに移住して来たエチオピア移民のユダヤ人女性と恋に落ちたが、彼の住む正統派ユダヤのコミュニティーがそれを阻止し残念ながら結婚には結びつかなかった、とかなんとか、そういう話しだった。

あれーっ?

ところどころで引っかかった。どうも話しがおかしい。第二次世界大戦後から現在にいたりザグレブに、いやクロアチア全土で、そういったこの土地出身の正統派ユダヤ家庭はほぼ皆無だと認識している。だけどひょっとしたらどこかに、ずっと昔のスペインなどの隠れユダヤみたいな感じでそういう家庭や人がいたのかもしれない。彼はそういう家庭に育ったのかもね。

ちらりそういうと、「あたしの友だちがどうしてウソをつかないといけないって言うの!」とドリが怒ってしまった。なんのためにウソなんてつくのだと。

別にウソをついていると言葉にしたのではないので、まあまあまあまあ、とその場は気落ち着かせてもらい、あとはいつも通りたわいない話をして、ドリは帰って行った。

後日、ザグレブのユダヤコミュニティーに顔を出した時、40代後半ほどのD氏に会ったので、何気なく彼と同年代のLさんって知ってますかと尋ねたところ、よく知っている同級生だといい、そのあとはもうこちらが聞かずとも芋づる式に生い立ちから家庭環境から家庭構成までまるでラジオのD氏一人トークショー。

そして、つまりはすべてLさんの偽りだった。D氏がいうにはLさんの家庭は正統派ユダヤどころか祖父以降からは誰もユダヤ人ではないらしく、Lさん自身もユダヤの法的にはユダヤ人ではないだろうと。なるほど、そういうことか。エチオピア女性のはなしもおかしいのも納得いった。エルサレムのメアシェアリムやブルックリンのウィリアムズバーグあたりの閉鎖的なユダヤの町に親戚一同で何代も住むようなド正統派ユダヤ家庭ならいざ知らず、ふつうのコミュニティーが個人の結婚話にそこまで立ち入るのはふつうではない。ひょっとしたらLさんはユダヤに改宗でもしている途中にその女性と恋に落ち、なんらかの理由でうまくいかなかっただけなのかもしれない。それならまあ話しとして通る。

様々な理由で異国へ移住した人たちが、その生い立ちを偽ることは珍しくはない。祖国ではものすごい豪邸に住んでいた、会社の社長だった、一流大学を出た。ボスニアから難民としてイスラエルに移住した人たちの多くは大富豪だ。祖国ボスニアでは何軒も豪邸を持っていたのだが、その全財産を置いてほとんど無一文でイスラエルにやって来たという。そんな夢話を、自分のことを誰も知らない土地で自分の輝かしい過去として語る。つまりは、偽ることでその新しい土地の人々に受け入れられ認めてもらうために。

そんな夢の偽りの過去をノスタルジックに語り続けるうちに、いつしか自分でもそれがほんとうのことだと信じ込むことはよくある。そもそも人の記憶なんて怪しげなものだ。よくもわるくも自分の憶えていたように作り替えられていくもの。世の中だって歴史だって。真実や事実は定かじゃない。

Lさんの奥さんがどこまでこの真相を知っているのかいないのかはわからない、が・・・、知らぬが仏ということだってある。だからドリにはこのことは黙っていようと思った。だってLさんは今は幸せに結婚しているのだから。

・・・うーん、少々わだかまりが残るのが本音だが、そういうことにしておこう(笑)。

カテゴリー: 月と太陽の傾き

すらんぷ

5日もブログを空けたのは久しぶり。
なんていうのかな、

ちょっとスランプ、

かもしれない。

抗生物質で気管支炎は消えたけど、
どうもイマヒトツすっきりしない体調と、
どこかビタミンがカケタような心もよう。
ここに降る粉雪のように
淡く所在なく頼りなげ。

スナップに毛がはえた程度の写真もヤメー。
だーらだーらブログもおもしろくナイー。

ワクワクすること、
ほんとうに好きなこと、
ちょっと見失ってるかも。

jbook1夏の終に彼の国のたくさんの本屋さんに並んだ、
エルサレム・クロック。
あ、売ってる売ってる、いたいた(笑)、青山ブックセンター。
こうしてドナドナ売られている様子を
こころ優しきトウキョウのTさんに届けてもらって、
はじめて遠い異国のこの子たちを実感しました。
こんな風景を散歩途中の本屋さんで見かけたらどーぞ、
このオレンジ色の家ナシ子たちと、
すらんぷなワタシにぎゅぎゅっと愛の手を(笑)。