カテゴリー: ユダヤの食卓, ユダヤの暦

チキンスープと秋

ご心配をおかけしましたが、ぼちぼちアタマも働くようになりつつあります。今回のウィルスはしんどかったぁ・・・。疲れ気味のこともあって、長引いてしまいました。ウィルスもどんどん進化するので、困ったものですね。春も、ヨーロッパから帰ってすぐにマハネ・イェフダの市場へ買い物に行ったら、即効で何かもらって来ました。その後、数日は気分がすぐれなかった。エルサレムは雑菌が多すぎるのでしょうか。

さて、ユダヤの新年。今年は安息日と重なりました。ショファーも安息日だと吹いてはいけないので、静かな新年でした。新年がやってくると、やはり秋も近くなりつつあるエルサレムです。夜は寒いので、毛糸の靴下。でも昼間はまだ灼熱してますが。そしてこのあとは、一年に一度の贖いの日がやってきて、それから仮庵の祭り。それが10月の終わりごろでしょうか。そうなると雨が降り始めます。これからの一ヶ月は、イスラエルへ旅行するにはちょうどいい季節ですね。

休養中と新年の間に、いろーいろと人生の方向について考えることがあって、まあ、西暦の2006年は、自分にとっては考える年なのでしょう。今年の答えは来年だなあ、きっと。それはそれでよし。物事にはすべてそれにあったタイミングがあるわけですから。と、「オーラの泉」という番組をYouTubeで見ていて、なんておもしろいんだと思ったここ数日です。東京に住む私のいとこは全部丸見え&すごい体験の数々で、美輪さんやら江原さんやら、ああ、そういう方たちってやっぱりいるんやなあ、へー、と。

で、以前お世話になったチベット仏教学の長尾先生が、去年98歳で亡くなられたのですが、「現世ではもう間に合わないから、来世でしてみよう」と笑いながらおっしゃっていたことなどなどを「オーラの泉」を見ながら思い出したり。先生のような悟られた方でももしまた輪廻するなら、今はどこにいらっしゃるのでしょうか。またどこかでお目にかかれることを願わずにはいられません。と、こういう輪廻という観念はユダヤにはないので、ユダヤの友人たちに話したところでピンとこない。なぜかしら、自分の中では、秋から冬にかけては仏教的な感覚が強くなります。不思議ですね。

と、とりとめもなく書いてしまいました。で、書きついでにもうひとつ。休養中に友人が訪ねて来たのですが、「高熱で気分悪いから・・・」「えー?!なんか作ってあげるよ!ダブルめだまやき?!サラダ?!」うーん・・・・、めだまやきなんてそんな濃いものはいらん・・・、サラダは体が冷えそう&消化に悪い・・・。この感覚の違いっておもしろいなあ。で、結局、自分で作ったのが、手羽先のチキンスープ!わはは・・・。これも、日本では、病気のときの食べ物ではないですね。ユダヤの家庭だと、病気のとき=チキンスープ。でも意外といいんですよ、これが。すーっと体に沁みるし、栄養もあるし。と、これはかなりユダヤな影響部分ですね。

ということで、ぼちぼち再開していきます。またよろしく。

カテゴリー: 不思議のクロアチア

わかりにくい話し

クロアチアって、すごく人が穏やかみたいなイメージだけど、実際にそうかといえばそうでもない。第二次大戦時にウスタシュと呼ばれるクロアチアのナチや、ユーゴ紛争でも見られるように、なかなか激しい人たちだなあと思ったりもする。

だからどうしたという話しでもないけど、まあ思いつくままに、下書きナシで書いているので、あしからず。で、今でこそ、ユーゴ紛争当時とはちがってきたから、ユダヤの人もセルビアの人も、まあまあそれほど身の危険を感じずにクロアチアの街の通りを歩けるようになった。

とはいっても、アホな人はどこにもいつでもいるもので、2か月ほど前の安息日の夜に、ウスタシュを名乗るアホな人たちが、ユダヤの髭のラビを路上で脅すという事件もあったりした。ユダヤの人が通りを普通に歩くには、やはりキパなどは頭に乗せないほうが無難ではあるね。

シベニクという、なんともアウトローで灰色な雰囲気の港町がある。しかしなぜかしら、この街からは有名な俳優やら音楽家が育っていて、日本でも有名になりつつあるピアニストのマキシム君やら、ERのコバッチ先生(ゴラン・ヴィシュニッチ)もこの街の出身。

このマキシム君やコバッチ先生、どーも見た目がクロアチアっぽくない。どちらかというとセルビア系なのかなあと。ちなみにマキシム君はそれほどかっこいいとは思わん。コバッチ先生のほうがまだいいかも。・・・って、誰も聞いてないですね。で、マキシム君の苗字も、あのあたりのクロアッツ(クロアチア人)にしては珍しい。そこで、何代もシベニクの近くの町に住む知人に聞こうと思っていたところ、ユダヤの知人にとめられた。

うかつに聞いてはどういう反応が返ってくるかわからないから、やめたほうがいいよ、と。たかがマキシム君のことではないか~?と思いつつ、ああそうか。仮に有名なマキシム君がセルビア人だとすると、「クロアッツよりもセルビア人のほうが優れているって言いたいの?!」と、そういう流れになる可能性。

なかなか、あの紛争、そしてずーっとそれ以前からの民族差別、というか、そういうものがすごく深く根ざしている。反対にイスラエルだと、家族に犠牲者がいても、アラブ人についての話はタブーでもなんでもない。まあ、イスラエル人とクロアッツのメンタリティーのちがいも、かなりあるからね。イスラエルからクロアチアへ行くと、このあたりを心に留めておくのに、いつも少々のタイムラグがおきるのが、どうもよくない癖だなあ。

やはりあの土地は、ティトーのユーゴスラビア時代がよかったんだなあ、きっと。

葉っぱの抗夫の大黒さんと書いている「グロスマンを読みながら」で、春にちょこっとだけ触れているので、興味がある&暇じゃー、なお方はどうぞー。⇒『マイノリティー・リポート』

<ノート> クロアチア人=クロアチア国民ではない。クロアチア人=クロアチア民族(クロアッツ)。クロアチアに住む人々:大多数がクロアッツ(カトリック教徒)。少数派として、セルビア人(主にセルビア正教徒)、ユダヤ人、ロマ(ジプシー)、イタリア系の人々、他。

カテゴリー: 不思議のクロアチア

雑感

最近のクロアチアブームで思うこと。

これまでひっそりと旅人に愛されてきたがゆえに、森も海も空も水もきれいなままだった。

ところが、やっぱり観光の波に乗って物価も上がるし、人の質もサービスも落ちてしまう。ドブロヴニクなんかだと、店のウェーターさんもやる気ナシ、愛想ナシ、ということも多かったりする。まあ、ドブロヴニクという街の人の気質がもともとそうだから、でもあるけどね。ここ数年のアメリカの有名人のあいだでのドブロヴニク ブーム(舌噛みそうやね)で、あの街の物価は跳ね上がったよう。夏にはSobe(貸し部屋)が200ユーロとか、あいた口がふさがらない。こうして、素朴だった人たちはお金に目がくらんでいくのかな。

プリトヴィツェの森で、たくさんの日本からの団体客を見かけた。たいていは年配の方が多いから、それほどマナーを心配するほどもないけど、ああやって、日本から団体さんが来るようになったんだなあと、妙な気持ち。

たくさんの人に美しいものを見てもらいたい、知ってもらいたい。そう思う反面、ブームなんかになって、その美しさが破壊されることは避けてほしい。観光、だけならまだしも、やがてゴルフ場ができたり、産業が盛んになれば当然水も森も汚れていく。

やっぱりひっそりと、のんびり美しくあってほしいなあ

カテゴリー: 不思議のクロアチア

高いなあ・・・

いきなりこんな話もなんだけど、やはり生活に密着していることといえば、物価。なんて高いんだろうか、クロアチアの物価は。
2006年4月の新聞記事による、国民の平均月収は500ドル前後だとかなんだとかだった。しかも、平均ということはそれ以下の人もたくさんいるわけで、月給600だったか800ドルは国民の15%ほどだったような記憶。

月給が低くても物価がそれにあっていれば問題もないけれど、人生そんなに甘くない。スプリットなんかだと、市内を走るバスも10クナ(約200円)ほどしてしまう。まともにチケットを買っていたら、それだけで赤字になりそうな金額。しかも、ユーロの影響のおかげで、スーパーマーケットではアホみたいな値段がついている。レストランでパスタを注文すれば、8ドルほどにもなる。はー・・・。さらには、ザグレブの普通の家族用賃貸アパートは800ドルほどもする。

テレビ局に勤める知人の場合は、現金のかわりに番組のスポンサーからそれ相当の商品をいただいている。家の中は平べったいテレビもあるし、ピアノもある。一見ちょっとした中級家庭に見えるけど、実際には生活する現金がないから、年老いた母親の年金を生活費に当てている。

みんな大変そう。

ちなみに、100円は4.8クナ。

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願い

8月はいろいろと忙しかったのですが、仕事と夏休みをかねて、ヨーロッパに少し滞在していました。ちょうど、今回のレバノンとの停戦をする前あたりでしょうか。この中東の状況を、新聞など外国のメディアで見るというのは、なかなかおもしろかった。

なんというか、いまさらではないけれど、メディアの嘘が状況をさらに悪化させるとでもいうか、白々しいというか。いかにも「ああ、やらせだなあ」と思う映像が、まるで事実のように流れている。インターネットでも、そういったやらせ映像を取り上げているウェブなどもあるのですが、日本ではなかなか知りようもない。

たとえば、こっちで「このひどさを見ろ!」と訴えていた男性が、むこうの写真では死体を演じている。レバノンで泣いてるこのおばちゃんは、数ヶ月前にはガザで泣いていたよなあ。『黄金のドームのそばでパレスチナ人を虐待するイスラエル兵』という写真をよく見れば、道路標識が立っている。でも実際には、あそこにそんなものが一切あるわけがない。ってな感じで、以前も書いたことがあるのですが、『石を投げるパレスチナの少年たち』は、もう誰もが知っているやらせの代表的なものだったりと、報道をそのまま信じるわけには行かない世の中。

この背景にある簡単な理由のひとつは、国やメディアが「わが国(またはメディア)は親イスラエルだ」と表明すれば、アラブ諸国との関係がまずくなる。それに反イスラムをとって、テロなんてされたら迷惑千万。今回のレバノンとの戦争でも、レバノンだけではなく、こちらのハイファもかなりの被害をこうむっていてる。でもそれはあまり伝わらないし、「イスラエル=悪者」という形式を作るには、それを伝えるわけがない。

そして、イスラエルの代表的な左派の新聞すらが、外国メディア同様の反イスラエル主義ではどうなるのか。それを外国のメディアが使うものだから、もう処置がない。こういった左派のイスラエル社会を見ていると、いったいこの国はどこに向かっているのかと心配になってしまいます。

そういったあふれかえるメディアの中で、いったい何が本当か、またはそれに近いのかを見極める。そうでなければ、そのまま偏見と思惑に犯されてしまう。まあ、限られた情報で、いったいどうしたら見極められるのか、それもまた難しい話ですが。

今回、数人の方からも質問をいただきましたが、イスラエルがどうしてあそこまでレバノンの市民を狙わなければならないのか。これについては、まず、イスラエルは他国からの攻撃に対して防衛の権利がある。とはいうものの、今回はすっかり墓穴を掘ってしまい、弁解の余地はない。これまでイスラエルにそれほど反感を持っていなかったレバノンの人たちも、もうイスラエルはサイテイの国だと思うことでしょうね。

つまり、まちがった人たちを国のトップに持つとこういうことになる。そしてそれを選んだのが、無知な国民であるということ。今回の戦争に関しては、首相のオルメルトや数人の政治家たちは、戦犯として償うべきではないのかとさえも思う。まったくアホな人たちである。でも、だからといって、メディアで伝えられるほど、イスラエルは本当に悪の国なのかといえば、そんな短絡な話ではない。というか、世の中はそんなに白か黒かではない。

そして、「これまでイスラエルが好きだったのに、今回のことでは、かばいきれない」というコメントを何件かいただきましたが、私はかばわなくてもよいと思います。愛する人のよいところだけを見て愛すのではなく、間違ったことをしたときには愛を持って本当に怒ってあげる。だから私はイスラエルに対して、怒ってもいるし、頼むからもう少し(いや、かなり)お利巧さんになってほしいと願うばかりなのです。

と、短くするつもりが長々と話してしまいました。ひとりひとりそれぞれに考えがあるでしょうから、投稿するのはよそうかと思いましたが、せっかく書いたので載せておきます。なんのこっちゃ。疲れた方、ごめんなさいよー。

(写真はBBCだったかCNNだったかの、とあるキャスター。旧市街にて)