カテゴリー: 混沌の文化

祝島と原発

原発で町はほんとうに潤うのだろうか。
こんなに貴重で美しい自然を未来に残さないでいったい何を残すのだろう。

上関原発を建てさせない祝島島民の会
スナメリチャンネル
虹のカヤック隊
小中進(前山口県議会議員)

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旅立ち

下の階のNちゃんが11月半ばの早朝、アメリカのオーランドへと旅立った。これからの半年を、記念写真カメラマンとして世界を旅する大型客船に乗り込む。

クロアチア。相変わらずのコネ社会。どこかになにかのコネがなければ未来は知れたもの。大卒、有資格のNちゃん、それまでの仕事先だった役所関係のオフィスでは、いつまでたってもキャリアに繋がるどころかたらい回しの雑務役止まり。しかも正規雇用されずバイト扱いのため、他の人たちのように夏の休暇を取れば休んだ日数分を給料から差し引かれた。しかし多くの若者が職に就けない中、仕事に就けただけでもましかもしれないと思うも、それでもそんな彼女にこの先この街でいったいどんな”アカルイミライ”が待っているというのか。

9月初旬、そんなNちゃんが珍しく晴れ晴れとしていた。ザグレブで行われた、アメリカ系客船の従業員募集の面接に行って来たという。当初ベビーシッターとしての乗船を希望したNちゃんだったが、エージェントからそれは大変だからそれよりもカメラマンのほうがと勧めらたという。そこで、どうかこのチャンスを気だてもよく謙虚で向上心あるNちゃんに掴んでほしいと祈るような気持ちで、一眼レフなど触ったこともない彼女と連れ立って、近所のズリニェヴァツ公園へ、カメラの構え方、体重のかけ方、撮り方、光りとシャッタースピードの関係など簡単なワークショップに出かけた。

日も暮れはじめ、もう今日はこのくらいでいいかと、どこかでお茶でもということになった(同じ建物の上下に住んでいるのに外でお茶というのもなんだけど、たまにはそういうのもいいじゃない・笑)。イェラチッチ広場まで歩き、グラツカ・カヴァナに行こうというと、ダメだと拒むNちゃん。高いから行ったことないし、普段着だから、と。ザグレブって、そんなところ。なにかと体面を気にしすぎる。「なに言ってんの!大丈夫、大丈夫。行こう、なんだかんだ言ってもたかがカフェだよ。それにNちゃんもわたしと同じ外国人観光客だから」とザグレブっ子のNちゃんにウィンクし、めでたくNちゃん初めて、グラツカ・カヴァナでお茶をする。

それから一ヶ月ほどが過ぎ、二次面接も突破したNちゃんはアメリカ行きのチケットを手にした。それから出発まで、興奮と期待と不安に揺れ、眠れる夜が続いたが、それでもなにか吹っ切れたようなNちゃんはキラキラと輝やいていた。ザグレブに、クロアチアに残してゆく母親のことを除けばなんの未練もなく、底辺からの脱出の向こうにはアメリカという”アカルイミライ”だけがある。そう願い、信じたい。そして多くの人たちが変化を嫌い惰性と不平と不安の中で生きていくこの街で、それを断ち切る決断をし、そして行動したNちゃんの勇気はすばらしく、それを支え背中を押したNちゃんのママもすばらしい。しかしこの冬が過ぎ、春が来て、ザグレブにまた夏が訪れる頃、Nちゃんはここに帰って来るだろうか。母親に会いにしばらくの帰省はあっても、またここで”アカルくないミライ”の不安と溜め息の中に沈みながら暮らしていくことは、もうきっとないだろうと思う。家族が、仲間が、人生の楽しい思い出を作るための船に乗り、そんな人々の笑顔を写真に収める。そこでNちゃんもなんらかの幸せを、そこから繋がる大きな可能性あるミライを掴んで欲しい。昨日、彼女からバハマにいるとメールが届いた。ディズニー客船だ。うん、がんばれ。いいね。ちょっと、羨ましくもある。

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死の文化

なんだかうまく書けないんだけれど。

一ヶ月ほど前に近くの映画館で『おくりびと』を観てから、母が送ってくれた何冊かの雑誌といっしょに届いた『納棺夫日記』。映画とはまったく似ても似つかない北陸、浄土真宗、生死、宗教、近年の日本人でも馴染みが薄れつつあるテーマ。これを映画にしたらハリウッドでは無理だった。

『おくりびと』と『納棺夫日記』の共通点に世間では死にまつわる職業は穢れて恥ずかしい職業とされているとあった。それでは寺や僧侶も穢れているのかと問うて「そうだ」と答える人は稀だろう。なのに葬儀屋や納棺する人はそうなの? 

子供時代の12年を著者の住む富山に近い北陸の真宗寺院ですごしたわたしにとって、死は日常だった。死は学校から帰宅するとそこにあった。といってもそのほとんどが他人の死、ではあったけど。深夜遅くや朝方に家中に響く電話はたいていがそれで、それからすぐに父が黒い衣をまとい枕行(まくらぎょう)にでかけていく。その翌日か翌々日には、学校から帰ると境内にはすでに運び込まれた大きな花輪、葬儀屋さんのトラック、祭壇を組み立てる喪服の大人たち(葬儀屋さん)、祭壇に飾る花を運んできた花屋さん、「あ、お棺屋さんが来た来た!」という母の声、泊まり込みの遺族の部屋のお布団を出したり湯のみや薬缶の用意をするお手伝いさんで家中がバタバタしていた。いつもより美しい祭壇のときはまだ誰もいないときに母が「ちょっと見ておいで、きれいだよ」と呼んでくれたっけ。薄暗い御堂の大きな祭壇の両脇に、淡い電気のロウソクの光りにくるくる照らされる蓮の花の雪洞が幻想的で美しかった。玄関口に設えられた小さな日本庭園風な風流な飾り。そんなデザインが70年代終わりから80年代初頭にかけて北陸の葬儀では流行っていた。うちによく出入りしていたその葬儀屋さんは、つるっと丸坊主で目がくりくりして、あだ名はキューピーのおじちゃんだった。いつも喪服を着たところしか知らないそのキューピーちゃんは、とてもやさしい人だった。もうずっと前に亡くなってしまったけれど。それから90年代になって、寺での葬儀の数がぐーーんっと減った。世代が変わり時代が変わり、宗教ばなれもあって、なにもわざわざ抹香臭い寺でしなくてもいわゆるセレモニーハウスでの葬式セットのほうがいいというわけ。

子供のわたしには、その日の夕食のメニューが気になった。通夜の晩だとかその前夜に遺体と遺族が泊まっていた日の夕食は、カレーだとかスパゲッティーだとか焼き魚煮魚だとかふわふわ匂いが漂うものはNGで、野菜の煮ものなどどこか茶色い食卓だったイメージが脳裏にある。そしていつもよりも音をたてないように気をつかって静かにそおーっと食べた後、音を小さくして茶の間でテレビをみていると、たいてい古い漆塗りの廊下の軋む音とともにふすまががたがたと開いて、喪服のおじさんがわたしの隣でいっしょにテレビを観ている祖母に挨拶に来たりした。御堂の裏の香部屋に泊まっている遺族の夜の過ごし方で、だいたいどんな人が亡くなったのかがわかった。どんちゃんどんちゃん、宴会の酔った笑い声が聞こえて来るのはお年寄りの大往生。そういうときはこちらもあまり気にせずにテレビを観られたけれど、かなり離れた茶の間まで大きな泣き声が聞こえて来たりした夜はまだ死ぬには早いと惜しまれる人で、だけど同じ屋根の下で繰り広げられているそういった死のシーンとわたしの日常は交差しないようでしているようで、でもそこには聖も穢れもなくただ両者が同じ空間の中にある。それだけだった。

葬式の終わりに金沢独特の黒塗りの豪華な霊柩車が境内から出て行くのも、週末などで家に居合わせたときは二階の広間の窓から見ていた。時々お葬式の最後に境内で子供たちにお菓子がくばられることがあって、遺族の子供たちに混ざってお菓子をもらったこともある。葬式のお供え物の籠盛りもふつうにありがたく美味しくいただいた。果物にカルピスやホットケーキミッスク、カール、桃缶がとてもうれしくかったっけ。座敷の裏の廊下の大きな水屋には葬式や法事などの死の行事からいただいた食材がいつも溢れんばかりに入っていた。

そういう生い立ちだからかどうなのか、わたしにはその巷の「死と穢れ」という概念自体が、まるでふしぎなはなしを聞いたような感覚でしかない。まったくピンと来ない。物心ついたころから生活の中になんのフシギも疑問もなく死にまつわる人や物がいつそこにあり、またそれが穢れたものだという外的なインプットがほとんど届かない世界にわたしは住んでいたらしい。大人になった今、それもかなり特殊なことなのかもしれないとわかってきたけれど。ユダヤの死の文化では死者の遺体を清めるタハラという作業があり、それを行う人はもっとも尊い人とされるけど、そのほうがなんだかピンと来る。

ちょっと話は変わるが、ミロゴイ墓地で葬式に参加した時、棺を墓穴に下ろし土をその上からどーん!どーん!と無雑作に放り投げるようにするのは少々気分的に馴染めないといったことを以前ザグレブの友人に話したことがある。そこから日本では火葬だからという話になり、斎場で遺族が故人の骨をおはしで拾って壷にいれ、場合によっては自宅に保管することもあると聞いた彼は、それがへんな新興宗教とかカルト宗教だとかではなくほんとうにごくごくふつうの習慣なのがとうてい信じられなかった。まあ、そう言われてみると確かにおどろおどろした行為ともとれるかもしれない。だけどクロアチアの死の文化のひとつに、先に土葬したところに何層ものレイヤーとなって他人を埋めるが、そのほうがなにかゾッとする。ということを父に話したところ、日本だってかつては土葬だったし同じように上に重ねて埋葬しましたよ、といわれて、へー。まだまだ知らないことばかり。

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誰もいないねドゥブロヴニク

一月のドゥブロヴニク。
所用でちょっとびゅーんっと飛んで一泊。

さすがにほんまに、
ヒトッコヒトリいてない宵の口の旧市街。

夏。
ご機嫌な旅行者たちで溢れ返るストラドゥン通り*と裏路地。
絶えず笑い声が響いてくる今や外国人たちの手に渡った、
この旧市街の多くの家屋。
みやげ屋も世界中からの観光客でここ掘れわんわん、
小判ざっくざく、シーズン中だけの殿様商売で、
目玉が飛び出るほどの店舗の家賃もなんのその。
旅行者用のレストランにカフェにみやげ屋に、
ちょっとしたソベ*をすればあっという間に懐潤う。

冬。
放置された映画のセットのようにしーんと、
誰も訪れるものもない。
レストランもカフェもみやげ屋のシャッターも、
家々の雨戸も下りたまま。
人のいない街。

もはやここも
日常生活を営むには非現実的すぎる街となってしまったのかな。

観光ブームって、オソロシイ・・・。
それに惑わされ踊らせれないようにって、
地に足をつけて生きるのって、ムズカシイね。

最近読んだ一冊、梅棹忠夫・著「京都の精神」。
京都人としての誇りある著者が
現代において京都という街はどう発展して行くべきなのかを説いているのだけど、
これがなかなかおもしろかった。
読みながら、
ザグレブやスプリット、ドゥブロヴニクのクロアチア三都物語、
今後、どのように現代の都市として発展させるかを
今から真剣に考慮していかないといけないのではと。

今年から新しい大統領になったことだし、
以前のようなマフィア繋がり的な泥臭いことはもう時代遅れ。
クラシック作曲家でもあり知識人であるヨシポヴィッチ大統領に
これからのクロアチアを期待したい。

うーん、なんか話しがずれちゃったような、
へんなオチ。(笑)

(*ストラドゥン通り=地元ではこう呼ばれているが、
日本のガイドブックではプラツァ通りとなっている旧市街のメインストリート。
*ソベ=個人宅の一室を旅行者に間貸しする民宿業のようなもの。)

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そんなの、いやだお。

自分と同じように外国から来た異邦人たちとつるむことに抵抗がある。その国の人たちとつるむのではなく。

なんていうのかな、クロアチアに移住して来た人たちはたいてい、この国の社会に行政に職場になんらかの不満を抱えている。だって、欧米諸国やアジアのいわゆる文明的な国々から比べれば、独立20年ほどの新生児クロアチアはまだまだなーんにでも気が遠くなるほど時間がかかる国。しかも地方の小さな町ならまだしも、首都ザグレブですら口先ばかりのとんだぬか喜び文化。とにかく変化を嫌う保守的なメンタリティー。ただなにも起こらずに日々が過ぎていくのを死んだように待っている。そんな印象が強い。そういう風習を受け入れるのは、ここで生まれ育っていない者、そんな生き方がイヤな者には大変なことだ。

同じく異邦人としてこの国にやって来たDちゃんが言う。もっと同じような境遇の人たちとわたしもつるめばいいじゃないと。みんな似たようなことでストレスを溜めているし、アドバイスしあったり同感することもあるだろうし、そういう過程で友だちができるよー。と。

言いたいことはわかるけど、とりあえず、一晩考えた。それで、やっぱりちがうと思った。助け合いやストレスを発散はよいけれど、傷の舐めあい愚痴の言い合い、それがメインの交流なんていらないな。そこから始まるものが見えないもの。一度、このDちゃんとDちゃんの友人(夫君がクロアチア人)でドイツから移住して来たとい女性と3人でお茶したことがあったが、二度とヤダな。ちょっと視点を変えてみれば理解できることも、彼女たち、鼻毛が飛ぶほどアンチ・クロアチアなトピックでエスカレート。そうだね、と相づちをうちながら早よ帰りたい・・・。でも在住何年経っても、こういう場所から抜け出せない異邦人たちはDちゃんたちだけに限らず、どこにでもにいる。

日本でもあるよ。外国人がバーであれこれ日本の悪口大会。言いたいこともわかるけど、それが日本。受け入れるか受け入れないか。イヤなんだったらここにいなくてもいいよ?誰も頼んでないし。母国へ帰れば?悪口を聞かされた日本の人はそう思うだろう。こんな国とは言えクロアチアでだって、それは同じだ。

ぷはーーーっ、うそーーっ、なんやそれ、げーっ、またか・・・ふざけろよ。脳みそがひっくり返りそうになる。失望にまた失望のくり返し。ドンキホーテのように立ち向かっても結局諦めるしかない自分に苛立ち、そして、どかーんっと空しくなる。そんなことが日常茶飯事だ。でも、それでも「国に帰れば?」なんて冷ややかに扱われるような、そんな寂しい悔しい外国人には成り下がりたくない。緒形拳さんの言葉、「あきらめなさい、それが人生よ」その意味を考えることの多い日々なのデス。

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できること

在ザグレブのイスラエル人の友人が言った。
欧州に住むイスラエル人の奥様方って、最悪だ。
と。

ああ、
いわゆる暇を持て余している、海外在住成金マダムたち。
国に関わらず、よく耳にする話だなあ。

ヒトの価値は学歴職歴社会的地位。
伴侶の社会的ポジションすらも左右する、
計算された利害関係なお付き合い。
そんな振るいがけをするマダムたちには、
テル・アヴィヴからザグレブに引っ越して来て、
知り合いも少なく職もまだ見つかっていない友人、
つまりつき合ってもなんの得にもならない彼女には
なんのキョウミもない。

友人は頭のてっぺんから足の指まで品定めされ、
ゴミのように扱われて泣きたくなったそうだ。
ただひと言でいいから、
「なにか必要だったら言ってね」
そう言ってほしかったと。
そう、知らない外国に住みはじめた当初は、
誰かが少しでも自分のことを気にかけてくれるような
そんなほんのちょっとしたひと言に救われたりするものだ。

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イスラエルに住むイスラエル人はおせっかい好き、
質問攻め好きが多い。
相手が見知らぬヒトでも関係ない。
移民のメルティングポット、
新しい隣人が地球のどこかからやって来たなんてことは
日常の一こま。
あれこれあれこれこーしろあーしろ、
そのヒトによかれと口を挟む。
アメリカのユダヤのコミュニティーでも
そういうことは割に多かった。
離散の歴史、
つまりユダヤ人同士助け合いながら異国の地で生きて来たこと、
そしてユダヤのツダカ(社会貢献、福祉、喜捨)の教えにあるのだろう。

それなのに、
ミズラヒ系・スファラディ系の成金マダムたちは、
憧れの欧州での表面的なハイソサエティな生活で
すっかり無感覚。
もともとツダカなど気にもしないヒトたちなのかもしれないが。

ヒトの価値。

本当に心から他人のことを思いやれる、
そしてそれを行動にできる。
それがどんなヒトでも関係なく、
他者に手を差し伸べる。ただそんなことかもしれない。
これって簡単に思えるけれど、
本当にそれが実行できるヒトはどれほどいるのだろうか。

他者のためになにかをする。
そういうものがなくなったら、
マダムたちのようなラベル付け、私欲だけの世界になってしまったら、
世の中は崩壊する。
現にわたしの友人とマダムたちの関係はあっけなく崩壊した。

今日、誰かのためになにかしただろうか。
一日に一度でいい、小さなことでもいい、
自分以外の誰かのためになにかをする。
家庭。
誰かのためになにかをしてあげられる、
いちばん身近なレッスン場だ。
そこから世の中へ伸びてゆく。

ン、なんとなく話の結びがズレたかも・・・(笑)。

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ほんとうのはなし

ザグレブに住むイスラエル人の友人ドリが家に遊びに来たとき、何気なく、彼女の女友達がザグレブ出身のLさんというユダヤ人と結婚してイスラエルに住んでいるという話しになった。

なんでもザグレブの実家もすごいオーソドックスユダヤ(戒律を守る正統派ユダヤ)で、その彼も信心くイスラエルに移住した。そしておなじくイスラエルに移住して来たエチオピア移民のユダヤ人女性と恋に落ちたが、彼の住む正統派ユダヤのコミュニティーがそれを阻止し残念ながら結婚には結びつかなかった、とかなんとか、そういう話しだった。

あれーっ?

ところどころで引っかかった。どうも話しがおかしい。第二次世界大戦後から現在にいたりザグレブに、いやクロアチア全土で、そういったこの土地出身の正統派ユダヤ家庭はほぼ皆無だと認識している。だけどひょっとしたらどこかに、ずっと昔のスペインなどの隠れユダヤみたいな感じでそういう家庭や人がいたのかもしれない。彼はそういう家庭に育ったのかもね。

ちらりそういうと、「あたしの友だちがどうしてウソをつかないといけないって言うの!」とドリが怒ってしまった。なんのためにウソなんてつくのだと。

別にウソをついていると言葉にしたのではないので、まあまあまあまあ、とその場は気落ち着かせてもらい、あとはいつも通りたわいない話をして、ドリは帰って行った。

後日、ザグレブのユダヤコミュニティーに顔を出した時、40代後半ほどのD氏に会ったので、何気なく彼と同年代のLさんって知ってますかと尋ねたところ、よく知っている同級生だといい、そのあとはもうこちらが聞かずとも芋づる式に生い立ちから家庭環境から家庭構成までまるでラジオのD氏一人トークショー。

そして、つまりはすべてLさんの偽りだった。D氏がいうにはLさんの家庭は正統派ユダヤどころか祖父以降からは誰もユダヤ人ではないらしく、Lさん自身もユダヤの法的にはユダヤ人ではないだろうと。なるほど、そういうことか。エチオピア女性のはなしもおかしいのも納得いった。エルサレムのメアシェアリムやブルックリンのウィリアムズバーグあたりの閉鎖的なユダヤの町に親戚一同で何代も住むようなド正統派ユダヤ家庭ならいざ知らず、ふつうのコミュニティーが個人の結婚話にそこまで立ち入るのはふつうではない。ひょっとしたらLさんはユダヤに改宗でもしている途中にその女性と恋に落ち、なんらかの理由でうまくいかなかっただけなのかもしれない。それならまあ話しとして通る。

様々な理由で異国へ移住した人たちが、その生い立ちを偽ることは珍しくはない。祖国ではものすごい豪邸に住んでいた、会社の社長だった、一流大学を出た。ボスニアから難民としてイスラエルに移住した人たちの多くは大富豪だ。祖国ボスニアでは何軒も豪邸を持っていたのだが、その全財産を置いてほとんど無一文でイスラエルにやって来たという。そんな夢話を、自分のことを誰も知らない土地で自分の輝かしい過去として語る。つまりは、偽ることでその新しい土地の人々に受け入れられ認めてもらうために。

そんな夢の偽りの過去をノスタルジックに語り続けるうちに、いつしか自分でもそれがほんとうのことだと信じ込むことはよくある。そもそも人の記憶なんて怪しげなものだ。よくもわるくも自分の憶えていたように作り替えられていくもの。世の中だって歴史だって。真実や事実は定かじゃない。

Lさんの奥さんがどこまでこの真相を知っているのかいないのかはわからない、が・・・、知らぬが仏ということだってある。だからドリにはこのことは黙っていようと思った。だってLさんは今は幸せに結婚しているのだから。

・・・うーん、少々わだかまりが残るのが本音だが、そういうことにしておこう(笑)。