カテゴリー: 心と精神の浄化

ザグレブの片隅で。

そうしてザグレブの旅が終わりました。
なんだろう、これまでの人生できっといちばん意味深い旅だったかも。

もうこれが最後かも?いや、そんなこと決めなくても・・・こころゆらゆら揺れながら、小さなザグレブ空港から市内へとタクシーの窓から眺める道は、まるでこの数年間どこにも行かずそこにいたような不思議な、だけどごくごく日常的で当たり前の風景だった。

町の中の抜け道もレストランも、お店も、どこもかしこもからだはまだちゃんと正確に、でも時々少し危うげに覚えていた。昨日の朝もその前の日の午後もその道を歩いていたかのようで、ここにいなかったことがむしろ、とっても、パラレルワールド。ドラツのそばの行きつけだったレストランのウェイターも「うわー、久しぶりじゃないか!」と笑顔で話しかけてくれる。そしていまも友達だと言ってくれた人たちの大きなハグ。イェラチッチ広場のカフェで待ち合わせた従姉夫妻と、いつもみたいにお茶の後にピッツァを食べたあとの別れ際、「ファミリーなのに。せっかく帰って来たのに。また日本に行ってしまうの?」従姉の眼からははらはらと涙がこぼれた。

毎日がそんなシーンのくり返しの中で、重いアパートのドアを開ければ、くーしとたんたん、そして銀ちゃんが「あれ〜?どこ行ってたの?今日はちょっと遅かったね〜」。眠たそうに伸びをして、お出迎え。数年の時の流れなんて、まるで知らんぷり。

一週間という短いザグレブの滞在で、この町のあちこちに今も生きている自分のカケラに出会って、これからもいつだってここは自分の町なんだって自然に受け止めてゆく自分がいた。そうメッセージで伝えた東京の友人の「そんなのあたりまえじゃないー!いつだってそこはあなたの町だよ!」。いつも元気な彼女のそんな言葉にほろり、ザグレブの片隅で涙。そうして心はすーっと晴れて。

よし、またザグレブに戻ってこよう。以前のように住むことはきっともうないだろうけれど。だけど。家族と友人たちと、そしてなによりもくーしとたんたん、銀ちゃんにいつだってまた会いに来よう。ザグレブと、そしてクロアチアとの新しい章の幕開け。

p.s. おとんおかんとのドタバタ劇、そして「ああ、やっぱりここはクロアチア!」はまた次回。

広告
カテゴリー: 心と精神の浄化

see you, Amy.

Amy Winehouseが死去。
才能あふれる彼女だったのに。

ノルウェーの事件にしろ、そのほかにしろ、
世界中のあちこちで無駄に失われる命が多くて、
とても遣る瀬ない。

カテゴリー: 心と精神の浄化

thank you…!

バタバタと日々が過ぎて、もう5月も下旬。ほえー。今週はワークショップがふたつありました。ひとつは公園で行われた老人ホームのイベントで。いきなりのテレビのインタヴューは福祉士のアナに任せてわたしは最後にちょっとだけ。もうひとつはザグレブ大の繊維技術学部でのワークショップ。さすが、技術系、ファッション系、手先が器用。どちらのワークショップもとても楽しかったです。興味のある方はどうぞこちらへ。

そしてアヤちゃんが送ってくれた羽織は繊維技術学部の生徒さんに大人気でした。羽織、はじめて見たんだって。試着して写真撮る学生さんたちもいて、いい刺激になったようでした。(^^)

それから、遅くなりましたが、かっちゃん発足の「クロアチアに折り紙を送ろう会」から届いた折り紙はやっぱりすばらしいです。柔らかい。発色が美しい。できあがった鶴もこちらの紙のとはぜんっぜん別物。「日本から届いたんやで〜」ですでにみんなの目、キラキラ輝く。

手元には今日までに下記の皆様から無事届きました。

東京のOkudaさま
東京のTsunedaさま
浜松のかっちゃん(二つ目はまだです)
浜松のアヤちゃん
沖縄のやっきーにぃにぃ
千葉のTakadaさま

ほんとうにどうもありがとうございました!

カテゴリー: 心と精神の浄化

啓蟄来たる。

眠れない夜たちの向こうには、かならず明るい朝日が昇って来るってこと。

そんな暗い夜がいくつも過ぎて、一つのピークに差し向かった。ぎゅぎゅーーーっと、あたまの中ですべてのこの街で「できないこと」を消去していったら、そこから可能性が見えて来た。あっけないほど簡単なことだった。

おかんの作ってくれた今日の夕食のすべてが気に入らなくてだだをこねたら、おかんは言うだろう。「そんなに気に入らないんだったら、自分で作りなさーい!!」お店に行った。探している物が見つからなかったら、「それじゃあ自分で作ればいいじゃない。」

そうなのだ、たったそれだけのことなのだ。できないから、ないから、ちがうからっていじけてちゃ先は繋がらない。ゼロからでいいじゃない、自分で納得する物を作って行けばいい。パッと明けて、未来展望の朝来たり。

この眠れない夜たちを体験して、オモシロいことに気がついた。エルサレム時代の知人にいつも不満ばかりの女性がいた。ノートパソコン1台買うのに4年ほども「ほんと、買わなきゃ」と言うだけで、一向に買う気配はない。家にそれがないために、彼女の生活は不便だったし、それをいつも周りにブツブツ不満がってはそのうち「またか・・・」と相手にされなくなっていた。

「なんでもいいから適当なもの買えばいいじゃない」と、何度に言っても”買えない理由”ばかり挙げて来る。ある時、あまりにもうんざりしたわたしに彼女が言った。

「だって、買ってしまったらもう不満が言えなくなるじゃない!」

彼女は至って本気だった。病気だと思った。パソコンを買ってしまえば、前進することは、その終わりを意味する。始まりではなくて。「かわいそうな自分」が好きすぎて、身動きが取れないのだ。だけど、眠れぬ夜を通り過ぎてわかったのは、つい先日までのわたしも似たようなものだったかもしれないってこと。以前から頂いている写真の個展の話も「やったところで、なに?なんの意味があるの?」とか拗ねていた。講義や仕事を頼まれても、”断る理由”ばかりを探していた。生まれて初めて味わった「かわいそうな自分」を愛でることの快感。「かわいそうな自分」はなぜかフシギと心地よくて、だからすべてを否定的に受け止め、そこにある可能性をシャットアウトする。

あー、あぶなかった。なんかいつの間にかそういうとこに陥るなあ、ここの生活。

でも。

精神的、啓蟄来たる。春近し。

カテゴリー: 心と精神の浄化

はじまりは古いカメラ。

「ぼくはアウシュヴィッツ」「私はベルゲン・ベルゼン」

腕に一生消えることのない番号が刺青されたそのおじさんたちは、青年の頃にホロコーストを体験した、今はもう数少ない悲しい歴史の生き証人たち。ユダヤ人クラブのカフェに毎朝やって来てカフェを飲んだり、コンピュータクラスに通ったり、そろそろ100歳に手が届きそうな彼らの姿勢に頭が下がる。

「古いカメラが好きなんだって?」そう笑って、アウシュヴィッツのおじさんは古いカメラを一台くれた。

それからワタシはシフォン・ケーキを焼くことにした。毎日ではないけれど、週に3回ほど夜中にごそごそシフォンを焼いて、翌朝にカフェに持って行く。そんな小さなことしかできないけれど、おじさんたちの笑顔が見られるならば、ちょっとでも彼らになにかが届くのならば。自己満足だっていい。なにもしないよりは小さなことでも続けていけばいい。きっとそれがなにかに繋がるから。

あまりにも保守的で変化を受け入れないこの街の空気に負け、方向を見失いそうな日々に、「夢を失うよりもかなしいことは、自分を信じてあげられないこと」そんな歌詞に、ちょっと、動かされた。また少しがんばんべ。

今夜のシフォンはいい具合に焼けたヨ。

カテゴリー: 心と精神の浄化

no title.

ちょっとした事件があっていろいろアレコレ書いてはみたものの、到底そんなものはここに載せられるわけもなく、また書き直した。けっきょく「書く」という行為によって心の整理をつけただけ。ま、そんなものですね。

富、名声、権力という病魔に取り憑かれたニンゲンほど見境なくどうしようもない生き物はいない。追い払っても追い払っても、台所に出没する黒光りした昆虫のように、墓場から蘇るゾンビのように、いくらでもわき上がって来る。

「なぜ災難は善人に降り掛かるのか」というラビ・ウェインバーグの講義がある。こう訳すとまるで仏教講話のようだが、慎ましやかに静かに暮らしている真面目な者には災難が降り掛かるが、私利私欲に生きる者はのうのうと肥り続ける、世の中の不条理。何千年も前の聖書時代にモーシェがすでにそのことに心悩ましていたという。しかし理論でいくらも語ることができても、それじゃあ実際にどうしたらいいのかとなると、ムズカシイ。

タイムリーにも(?)、今月の日曜3週に渡り、トールキンの『指輪物語』がテレビで放送された。悪と善、白と黒。ラストシーンでは単純にも、よし、ワタシもがんばって行こう!と感動してしまう、わかりやすい展開で、何度観ても好きな映画だ。

だけど実世界のワタシたちには、物語のようにここぞという場面で弓を放ってくれる不死身のエルフも、白い魔法使いのガンダルフもいない。悪を倒すその術も力もない。彼らにつける薬もない。だけど、ワタシたちは日々の小さなこと、そして社会的な善を行う術は知ってる。彼らに影響されることなく、指輪のパワーに支配されず、自分たちの住む世界を少し、今より良くしていくしかない。それがいつかきっと広がって行くと信じて。うん、簡単じゃないけど、でもできないことじゃない。

カテゴリー: 心と精神の浄化

どうか許してください。

わたしにはこれまで誰にも言えなかった、どうしても許してもらいたい一つの事柄がある。厳密に言えばこの人生での懺悔は一つどころではないが、その中でもこれだけはどうしてもなんとかしなければ死んでも死に切れない。

欧州を経由してエルサレムに移る前、京都でピタという名の茶色い猫と数年暮らしていた。出国にともない、ピタをいくらかの食事代とともに、当時一人暮らしをしていた友人のTちゃんに預けた。一年後には帰国する、また戻ったら彼女と暮らす、はずだった。

なのにわたしは一年が過ぎても、いつもピタのことを思いながらも、それでも日本には帰らなかった。その時「帰る」という選択は自分の中にはなかった。エルサレムでやってみる、それがなによりも先決だった。自分のことだけで精一杯の生活で、ピタを引き取る余裕などなく、住むところも仕事も明日のこともわからず、不安定な毎日だった。そして1年が過ぎた頃、静かなとある住宅街のAlfasiという通りに住んでいた頃だからおそらくそうだ、Tちゃんから一通のメールが届いた。「なにか大切なことを忘れていませんか」

その言葉に、ちゃんとTちゃんと会って話したかった。「わかりました」とTちゃんからメールでの返事があったのに、その後数年帰国しなかったわたしは、それっきりTちゃんとは連絡が途絶えてしまった。

それからまた一年が過ぎて、Ha Madorigotという、階段通りという名の車の入れない静かな通りに引っ越した。家の前には小さな公園があり、たくさんの猫たちがいた。ある日、ダウンタウンに行く途中、近くで一匹の茶色い子猫に出会った。彼が隠れていたそこを通るたびに大急ぎで、まるでわたしを見逃せないとせんばかりに飛び出して、鳴いて、後を追って来る小さな小さな子猫だった。母猫はいないようで、後日またそこを通るとまたその子猫が大急ぎで飛び出して来て、まるで助けてと訴えているようで胸が痛かった。帰り際、もしこの子がまた出て来たら、と心を決めた。案の定、帰り際もその子猫はわたしを母のように、後を追って鳴いた。少し大きくなるまでだよ、と家の玄関口の段ボールに住んでもらうことにした。

その子猫にはモルデハイ・カッツという立派な名前をつけた。でも普段は短くMo(モー)と呼んで育てた。だけどMoを完全に引き取ることはできなかった。それができるのなら、誰を差し置いてもまずピタだったからだ。他の猫を引き取って一緒に暮らすことはとてもできない。ピタがいる。だけどピタはまだ呼べない。そんな中途半端な状況で、けっきょくMoにもかわいそうなことをしてしまった。

そして月日が流れ、数年が過ぎ、その後何度か日本に帰ったものの、Tちゃんに連絡はしなかった。彼女からも連絡はなかった。そして十年が過ぎ、それからまた数年が過ぎてしまった。その間、何度かTちゃんと連絡をとる方法を考えなかったわけではないが、今もしピタが元気なら16、7歳ぐらいだろうか。ひょっとするともういないのかもしれない。でもどこかでピタが誰かに愛され元気でいるのなら。幸せに食べることに困ることなく、温かい誰かの膝の上で彼女が一生を終えられたのならば。ただただそれだけが願い。それ以上、なにを願えばいいのか。いまさらどんな顔をして会えるというのか。そう、「今さら」なのだ。Tちゃんにしても、ピタにしても。いまさらなんなの。なのだ。どう言葉を並べてもそれはこちらの勝手な都合でしかない。

いま、ここまで書いて、思わず嗚咽するわたしをたんたんが傍で見つめています。エルサレムの枯れたオリーブの木の下に捨てられていた彼女とくーしに出会ったとき、ピタを想い、迷いました。だけど、今度こそは償わさせて欲しいと、彼女とくーしが今ここにいます。彼女とくーしに接するとき、いつもそこにピタがいます。にゃーというあの柔らかい声。あの仕草。あの短いしっぽ。まん丸の寝姿。

Tちゃん、ごめんなさい。あなたにもあなたの人生があったのに、きっと長いあいだ迷惑をかけることになってしまいました。あなたに甘えて切ってしまったわたしをどうか許してください。ピタちゃん、ごめんなさい。大好きだよ。あなたを迎えに行かなかった、行けなかったわたしを許してください。そしてモルデハイ・カッツ、やさしい君が大好きだったよ。最後に君を見たのはあの夜だったね。たくさんの猫が月夜の下にいた。君は今もエルサレムで、階段通りを元気に駆け上がっていますか?君のことも忘れたことはないよ。どうか、許してください。