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「ハワイアンレッスン」の著者ノートと大黒さんとの会話

一か月ぶりの更新です。さて、すっかり春めいて来たザグレブですが、わたしはというとマケドニアに数日行って来ます。はじめてのマケドニア、はじめてのエリア、うーん、いったいどんな国でしょうか。楽しみ。

春先に終えたこの物語のライナーノートと大黒さんとの会話が葉っぱの坑夫にて掲載されましたので、どうぞ読んでみてください。以下、葉っぱの坑夫のレビューです。

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■「ハワイアンレッスン」連載を終えて
 ノート:大桑千花
 会話:大桑千花、大黒和恵
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この3月に連載を終了した「ハワイアンレッスン」についての、著者のノートと著者とエディターの会話を掲載しました。「ハワイアンレッスン」はいろいろな読み方ができるストーリーだと思いますが、ノートでは著者が自作を振り返って解説しています。「会話」の方ではストーリーからは少し離れて、これが書かれたバックボーンを探っています。ある国に異なる言語や文化、習慣をもって暮らすこと、そこには日本に住む外国人や外国籍の人たちも含まれるわけですが、そういった「外からの目」をもって世界を見ることが、生きることの中でどういう作用を及ぼすのかについてたくさん触れています。大桑さん自身、外国人として海外に長く暮らしてきて、イスラエル時代には「日本語=日本文化の持つコンセプトやニュアンスと自分の世界(ヘブライ語と英語)がまったくマッチしなかった」経験をもっています。この「会話」では、二人の話がジグザグとあっちへ行きこっちへ行きしているように見えますが、「ハワイアンレッスン」を紡いでいる目の位置、世界の見方、といったものがどういうものだったのか、何によってこの話は特徴づけられているのか、ということに近づこうとしているのだとわたしは思っています。この世界にはまだ、語られていないたくさんの「目のあり方」があるんだ、と気づかされます。

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柚子小町

なんていうか、とっても平々凡々な、ゆるやかな日々。

家から近江町まで歩いていけるぐらい左足の捻挫もよくなって、
坂道や階段を降りるのはまだちょっと辛いが、
平坦な道であればさほど問題なく歩けるようになった。

近江町の小さなお店で見つけた、
竹久夢二のラベルが雪の金沢らしい「柚子小町」。
金沢の郊外、
湯涌温泉の天然水を使用した、

硫黄風味のソーダ。

なんてはずはないが、
少女の、なにもかもがキラキラしてたころの、
そんな懐かしさがこみ上げる水色の、
口いっぱいに柚子が広がるソーダ水。

藩政時代には藩主の湯浴び場として、
竹久夢二が笠井彦乃と至福の日々を過ごしたという、
開湯1300年の湯涌。
父方の祖母がよく日帰りでも泊まりでも行っていたっけ。

柚子街道も竹久夢二館
ここ数年にできたもの。
がんばれ、湯涌。

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『レ・ミゼラブル 輝く光の中で』(1995年製作 仏)

12月4日にBSで観た映画。ひとこと、名作。これほどにも見応えがあり、かつ美しい作品があまりにも人知れずひっそりと、存在している。


(追記:歌 – LA CHANSON DES MISERABLES by Patricia Kaas)

『男と女』など数多くの作品を生み出しているクロード・ルルシュ監督、『気狂いピエロ』などフランスの名優ジャン・ポール・ベルモンド。

善と悪、なんていうと仰々しく他人事。それならば正と負でもいい。人はみんなその正と負を自分のなかに持つ。正常な人間には正だけもいなければ負だけの者もいない。自分の中の正と負と社会のそれと、みんなその合間を行ったり来たり、流されては流されてはならぬと模索しながら生きていく。今も昔も人間の本質にあるものは変わらない。

人の世の悲しさ、切なさ、欲望、失望、希望、未来、絆、が凝縮された174分。赤い腕章のドイツ軍将校の、息を飲むほどに鋭いピアノ(おそらくワーグナー)の旋律は彼らのあの歪みきった世界での揺るぎなき正。天使のように清い少女たちの奏でるピアノは夢と愛と希望の光、救い。1940年代のフランスでナチの手から逃れようとする裕福なユダヤ人一家とそこに関わる人々と、ヴィクトル・ユゴーのあの『レ・ミゼラブル』が交差する。逃走するユダヤ人一家を助けたジャン・バルジャンも、そして彼に絡む刑事もまた常に自らと社会の正と負の狭間を揺れ動く。刑事の自殺は彼自身の中の正が勝ったから?それとも負?逃亡中に騙され待ち伏せされナチの一斉射撃に倒れる社会的に負とされたユダヤ人たち。その銃撃を逃げ延びたユダヤ人一家の主人を助けた心やさしき農夫とその妻は、やがて人間の誰しもの中でわき起こる煩悩に翻弄され、それまで彼らが保っていた正は影を潜め、変わりに恐ろしいまでの欲という万人に潜む負に包み込まれ、ついには悲しき崩壊を迎える。

クロアチアのホロコーストに触れて以来わたしの中でテーマになっている「誰もがなりえる加害者への道」そうなること、ならないこと、そんなことなども改めてこの映像を通して考えさせられた。テーマがホロコーストだけに留まらないこの映画はこれまで観た映画の中でも群を抜いている作品にも関わらず、残念ながら日本ではDVDにもならず購入もレンタルも不可能(ビデオはあるみたいですが)。どなたかDVD録画、されませんでした?(笑。うちのはなぜか再生オンリー・・・)

(ちなみに本日のプチ雑学:監督ルルシュと逃げ延びたユダヤ人男を演じたミシェル・ブジュナーは共に実生活でユダヤ人。映画のシーンでは、逃亡しようと地下の倉庫に集まったユダヤ人たちの男性たちが一団となり壁に向かって祈りを捧げるところがあるが、ユダヤ人男性は毎日祈りを捧げることが義務づけられており、祈りを捧げる時はかつてユダヤの神殿があったエルサレムの方向に立って行う。まだ日暮れ前らしいので時間的にみてあのシーンはミンハ(午後)の祈りでしょうか。)

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『僕の大事なコレクション ー Everything is illuminated』

以前から下書きだけしてあったものですが、投稿しますね。

原題『Everything is illuminated』(すべては明らかに)のイメージとはかなり異なる邦題で日本上陸の『僕の大事なコレクション』。

アメリカの若きユダヤ人作家ジョナサン・サフラン・フォアの同名小説をベースにした、ロードムービー(2005年公開)。『ロード・オブ・ザ・リング』のイライジャ・ウッド演じるアメリカのユダヤ青年が、ホロコーストを生き延びた亡き祖父の過去を知るべくアメリカからウクライナへと渡るもうひとつの指輪物語だ。言葉と文化の壁からクスッと笑いが込み上がる不思議なストーリー展開(まだ観てない方もいるでしょうから内容は書きませんよ)でこの作品の監督を勤めたリーヴ・シュレイバンはハラハ(ユダヤの法)的にユダヤ人で、今年公開された映画『Defiance(ディファイアンス)』では1940年初頭のドイツ占領下のポーランドの森に隠れ住むユダヤ人コミュニティーの中枢となったユダヤ4人兄弟の次男役で力強い演技力を発揮している(実在したビエルスキ兄弟の実話に基づいたこの映画もおもしろいですよ)。

この『僕の大事なコレクション』では、全編に渡りユダヤポイントと言えるほどのシーンはあまりなく、音楽もユダヤ音楽ではなくジプシー音楽だ。あえてユダヤポイントとして挙げるとすれば映画の冒頭と終りでジョナサンが彼の祖父の墓を訪れるところぐらいだろう。祖父の墓碑には他のユダヤ人のものにも見られるようにダヴィデの星とヘブライ語で (Tehei nishmato zrura b’zrur hachaim)תהא נשמתו צרורה בצרור החיים(安らかに眠れ)の略字「ת’נ’צ’ב’ה」が刻まれ、墓碑の上には小石がいくつか置かれている(理由はこちらを参照)。

というのも、原作で描写されているユダヤ的ポイントが映画では撮影後に編集でカットされている。例えば、前記の祖父を埋葬する冒頭でカットされたのは、黒いキパを頭に乗せたジョナサンが墓に撒くべき砂をジップロックに入れて彼のコレクションのひとつにしてしまうシーン。これはユダヤポイントとしても映画としても残しておいた方がよかったと思うのだが、遺族の手の中の一握りの砂はおそらくエルサレムの砂である可能性が高い。離散ユダヤ人(イスラエル以外に居住するユダヤ人)ーそれが生前は信仰もなく政治的に反イスラエルであったとしても、彼らの多くは死に際にエルサレムに戻ることを願う者も多く、埋葬時にこうしてエルサレムの砂をひと掴みほど棺桶(または遺体)の上に撒く習慣がある。しかしジョナサンはその象徴的な行為に思わず踏みとどまり、ジップロックしてしまう。この冒頭シーンがカットされているため、ジョナサンの成長を汲み取れるラストシーンでの効果が半減してしまっている。しかもそのラストシーンだけでは、そこにユダヤ的な習慣があることもわかりずらい。

そしてもう一か所カットされたのは、ウクライナでの通訳者である若いウクライナ人アレックスと、今回運転手を勤める羽目になったアレックスの祖父との道中でのワンシーン。話の流れからその時点でアレックスのおじいさんはかつてナチ側でユダヤ人を殺した苦しみを引きずっているのかもしれないと頭をよぎっているのだが、車内でなにも知らずにアレックスにイディッシュ語(字幕ではユダヤ語となっていた)の単語の説明をするジョナサンのイディッシュ語に、運転席のおじいさんがちらりと反応するのである・・・つまり、え?おじいさん、イディッシュ語わかるの?ってことは、隠れユダヤ人かも?と思えるポイントなのだが、これがカットされていたため、おじいさんがどちらに属していたのか、最後までわかりづらい。

もうひとつ、ここはカットではなく、和訳の限界のため、わかりずらくなっていた部分があった。一軒家に住むとある老女にジョナサンが探している村を知っているかと訪ねる。老女は「Ya(わたしがその村よ)」と困惑気味に答える。英語の字幕も「I am」だが、日本語の字幕では「わたしの村」となっていたため言語的なニュアンスからくるおもしろさが欠けてしまったのが残念だった。そしてもうひとつは、その老女の家に保管されている数々の遺品の入った箱のひとつに、キリル文字で「MEHOPA」つまりひと目でそれがユダヤの燭台だとわかる「メノラ」と書かれていたのだが、和訳は単なる「燭台」。ああやっぱりね!と来るところで来れないロスト・イン・トランスレーション的もどかしさ。などなど、映画はおもしろいものの、カットや訳の限界でユダヤ的なポイントが明確でないため、Everything is NOT illuminatedとなってしまったのが少々残念でした。

その他には、アレックスのピッカーンッと輝く金歯、プラスチックおんぼろ車トラバント、ジョナサンは肉を喰わない=コイツどっか異常なんじゃねーの?なウクライナ・東欧・ポイント。

アレ「腹減ってるか?」
ジョ「うん。なにかぼくの食べれるものがあるといいんだけど」
アレ「なんでだよ?」
ジョ「ぼく、お肉は食べないんだ」
アレ「・・・な、なんだって?!」
ジョ「だから、ベジタリアンなんだよ」
アレ「なんだと?!肉食わねーなんて、ありえねえだろっ?!」
ジョ「だって、食べないんだもん」
アレ「じーさん、こいつ、肉食わねーんだってよ・・・」
じい「・・・なんだって?」
アレ「ほんとにかよ?」
ジョ「うん」
アレ「ステーキも?」
ジョ「うん」
アレ「チキンも?」
ジョ「う、うん・・・」
アレ「じゃあ、ソーセージもかっ?!」
ジョ「・・・そうだよ・・・お肉は食べないよ。ソーセージでもね・・・」
アレ「じーさんよぉ、こいつ、肉は一切食わないってさ」
じい「ソーセージもか?」
アレ「そうだとよ」
じい「どっかおかしいんじゃないか、この子?」
アレ「おい、おまえ、大丈夫かよ?」
ジョ「なにがさ?!大丈夫だってばっ!ただお肉を食べないだけだ」

宿のいかついおばさんが注文をとりに来る。
アレックスとおばさんのウクライナ語の会話をジョナサンが聞いている。

アレ「す、すみません・・・肉以外でなんかある?このアメリカ人なんだけど、肉を食わなくってさ・・・」
おば「大丈夫なのかい?その子」
ジョ「なんて言ってるの?」
アレ「肉以外に食いもんはないってよ」
ジョ「ジャガイモか何かないかな?」
アレ「あるけど、肉に添えられてんだよ」
ジョ「じゃあそのジャガイモだけ、もらえないの?」
アレ「すみません・・・その、このいかれたアメリカ人にジャガイモだけってのはだめですかい?」

おばさんは黙って奥へ行き、お皿にゆでたジャガイモが丸ごと運ばれてくるのだが、ジャガイモが床に落ちてしまう。

アレ「ウクライナへようこそ!」

そして・・・。

はらはらさせられつつも、くすくすっと思わず笑みがこぼれるシーンだ。

そしてもうひとつのシーンでは、なぜか昔からオデッサという響きに限りないロマンを感じているわたしにとって「オデッサは男と女が出会って恋をして、家庭を築くのにぴったりの街だった」というアレックスのおじいさんの台詞にきゅんきゅん、オデッサポイント高し。そしておまけは、冒頭で墓地にいるジョナサンの後ろを枯れ葉を掃除する男性が横切ってゆくが、どうもそれはこの小説の作者であるジョナサン・サフラン・フォアらしい(笑)。

最後に、第二次大戦中にウクライナではユダヤ人に対する迫害があったのかという点について。映画の中でもアレックスがおじいさんに「え?そうなの?ほんとかよ?」と驚いたり、おじいさんが「おまえはなにも知らん、ポグロム(欧州各地で行われたユダヤ人を狙った暴動、焼き討ち、虐殺)についてもな(日本語字幕では「ポグロム」は削除されていた)」と言うシーンなど、それとなしには触れているものの解明されていないが、答えはイエス、ポグロムもあれば、反ユダヤの風も吹き荒れ、多くのユダヤ人が亡くなっています。

そしてジョナサンたちが探していたトラキムブロド村は、かつては実在した村だ。ロシア皇女ソフィアがユダヤ人に与えた土地で、ソフィオヴカという別名でも呼ばれていたトロチェンブロドまたはトロチンブロドという村のことだ。1835年に開拓され大きなシュテトル(ユダヤ人村)となり、1930年代末には住民3000人すべてがユダヤ人となったが、第二次大戦中の1942年、ナチによりこのシュテトルのラビはシベリアへ輸送、逃げ延びた30〜40人を除く住民のすべては近郊の村に集められ殺害、シュテトルは焼き払われて地上から抹消。そこにはハシディック派を含む7つのシナゴーグがあったという。しかしこういったことは当時の時代の流れから、ウクライナやポーランド、ロシア、などでは珍しくもないことだった。

そういったユダヤやホロコーストの背景を抜きにしても、ロードムービーとしてとてもよい作品に仕上げっているので、ぜひ観てみて下さい。

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ハワイアンレッスン第5章

しばらくお休みしていたハワイアンレッスンの第5章が更新されました。
以下、葉っぱの坑夫のだいこくさんによるレビューです。

■Based on a True Story 「ハワイアンレッスン」(日本語)
テキスト:大桑千花
切り絵:川瀬知代
デザイン:Yoshimean.T
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http://happano.org/hawaiian_lesson/index.html

第5章
5-1 あるがまま
5-2 生きたい
5-3 嫉妬
5-4 エゴイスティック

この作品はbased on a true storyとあるように、著者自身の体験が元になって書かれたものです。しかし、写真が必ずしも「真」を写さないように、ひとたび文字に書かれ作品となったものは事実そのものと同一ではあり得ません。どんな体験もどんな事件も、書くという行為の中で一つの独立した世界を形成し、だからこそ作品と言われるものは、他の人(部外者)が読んでも楽しめるものになるのだと思うのです。第5章は、今までにも増して著者が苦労して書き上げたパートです。大桑さんはこの作品を書くことに実に真摯に向き合ってくれていますが、それは書いても書いても書ききれない、という表現上の問題と、過去の(とはいえ今に連続する)自分をどう扱っていいか、対象となっている自分をどこまで突き放して他人のように見ることができるか、という問題が混ざりあった大変さなのではないかと想像しています。この連載を決めたとき、大桑さんと間でこの物語は希望の物語であると大きくは解釈したつもりでした。そこから大きくはズレていないだろうということを、川瀬知代さんの明るく生命感あふれるトーンの絵と毎回合わせながら、確認しつつ進めています。川瀬さんのギャラリーページも更新しましたので、ぜひご覧ください。

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映画「in her shoes」にみるユダヤなポイント

久しぶりに、ブログに困った時のユダヤネタでも(笑)。

日本に来てからけっこうテレビを観る。BSがメインだけど、寄席や映画、世界の列車旅行、伝統工芸、コンサートなどなど、それほど洗練されていない文化圏のクロアチアではあまり感じられない幅広いチョイスがあってなかなかおもしろい。

先日は「in her shoes」を観た。

キャメロン・ディアス主演、2005年のコメディー映画で、まだ観たい人もいるだろうから内容は詳しく書かないけれど、アメリカのユダヤ人作家ジェニファー・ウェイナーの著書をこれまたユダヤ系のFOXの配給で映画化したものだから、その時点で観なくてもなんとなくユダヤ系の話だろうと察しがつく。ということで、知らなきゃ知らないで別にどうでもいいけど、知ってるとさらにデープに観れるこの映画のユダヤなポイントを挙げてみる。

まずは、キャメロン扮する主人公のマギーと姉のローズ。映画のはじめではこの二人の姉妹がユダヤだと匂わすものはなにも出て来ないのだが、そこでヒントになるのが彼女たちの意地悪な継母。この中年女性の嫌らしさたっぷりの継母には前夫とのあいだに自慢の娘マーシャがいる。そこでおお?とすると?とユダヤポイントが入る。このマーシャという名はユダヤに多いのだ。そして映画の中盤ではこのマーシャという娘は、実はJews for Jesus(ジューズ・フォー・ジーザス)といういわゆるユダヤ人をキリスト教に改宗させる新興宗教にはまって、母親はキリスト教に改宗されては困ると気が気ではない。もうこの時点でこの親子のユダヤ確定。つまりこのマーシャの母でありマギーとローズの継母もユダヤ人で、そのユダヤ女性と再婚したマギーとローズの実父も、おそらくユダヤ人だろうとなる。であれば彼の前妻もそうだろうし=マギーとローズたちもユダヤ人という簡単な芋づる式ユダヤ方程式。それをさらに確信づけるのが、シャーリー・マクレーン扮するマイアミの高級老人ホームに住んでいる彼女たちの母方の祖母エラだ。マイアミにはエラやその子供世代など、いわゆる「マイアミの裕福なユダヤ人」が多く、一般の人には手の届きそうもない設備の行き届いたこの高級老人ホームに住んでいるエラの友人たちもその容姿や名前、友人の下着にメノラー(燭台)がプリントされてる辺りのちょっとした会話からも、エラと彼女を取り巻く友人たちがユダヤ人だとわかる。

そしてもう一人の登場人物、マギーの姉ローズの同僚でローズの恋人となるマーク・フォイアスタイン扮するサイモン・スタイン。わははっ、この役名とあの風貌でもしユダヤ人じゃなかったら誰?ってなぐらい、紛れもなくユダヤ人。そんなマギーがラストシーンでサイモンに「ローズがハヴァナギラ(ユダヤの民謡)を歌う時はとっても怒ってる時よ」というあたりもさりげなく、結婚式の様子もマギー一家とスタイン一家がユダヤ系であることを伝えるには十分すぎる。

だが、そんなことを知らなければ単なるハリウッドコメディーとしてサラリと観れてしまうほど、この映画の最初から最後までユダヤ人特有のちょっとひねたユーモアやジェスチャーはほとんど見られず、ユダヤ社会を描いた映画としてはまったく物足らない。が、アメリカ社会のカケラとして一般向けな演出になっているあたり、まあ今のアメリカの世俗ユダヤ社会もこんなものかもな、というところでしょうか。原作がどうなのか気になるところではありますが。

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カナザワ・ノート

なるものを作りました。

カナザワ・ノート

どーぞ、カナザワへお越しの際は参考に・・・なるんかいな?(笑)
追々、追加していく予定ー。

こんな店を知りたいなどなど、リクエストも受け付けてます。
コメント欄にどーぞ。

追記:ブログ、ちょっと見やすくなりました? 秋になるとこのデザインが好き(笑)。