カテゴリー: ユダヤ雑学

ユダヤ・ユーモア 結婚編

1:あるユダヤ女性がラビを訪ねてブネイ・ブラク(イスラエルのとある街)に行った。「ヤンケレとヨセレのふたりがわたしを好きだといいます」とラビに言った。ラビは「そのどちらが幸せ者ですか?」と尋ね、こう続けた。「ヤンケレがあなたと結婚するでしょうね。ということは、ヨセレが幸せ者ということですね」

2:もし既婚のユダヤ男性がひとりで公園を歩きなが独り言を叫んでいたとしたら、それでも彼が悪いのですか。

3:父が言った。「わたしたちと同じ信心を持つ娘と結婚しなさい」「父さん、なぜ僕のことをシュマック(大バカやろう)だって思う娘と結婚するわけ?」

4:結婚カウンセラーのアドバイス。「美男や美女とは結婚しない方がよいでしょう。別れようって言われるかもしれないでしょ。ま、でも醜い相手からでもそう切り出されることもありますね。だったらどっちでもいいんじゃないですか」

5:モリスは彼のラビにアドバイスを求めに行った。「ラビ、人が他人のミスから利益を得るのは間違っていますか?」「その通り。他人の過ちから利益を得てはなりません」ラビは答えた。「ほんとにほんとにだめですか?」「もちろんそういうことはいけません!」ラビは自信を持って答えた。「わかりましたよ、ラビ。あなたがそれほど確信を持って言うのなら、わたしと妻が結婚した時にお渡ししたお礼金の200ドル、返してもらえませんかね?」

6:ユダヤの格言。「ユダヤ人の妻は許し、忘れてくれる。しかし彼女は決してなにを許したのかを忘れることはない」

チカオノート:まだこういうのたくさんあるのですが、文化のちがうところのジョークって説明なしではわかりにくいことが多いのですね。が、結婚に関しては万国共通でしょうか(笑)。

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ユダヤ・ユーモア 悲観癖編

イタリア人が言った。「疲れて咽もカラッカラさー。さあ、ワイン、ワイン!」
フランス人が言った。「疲れて咽がカラッカラだね。こういう時はコニャックだね」
ロシア人が言った。「疲れて咽がカラッカラだなーも。ウォッカ飲むんだなーも」
ドイツ人が言った。「疲れて咽がカラカラです。こういう時はビールがよいでしょう」
メキシコ人が言った。「疲れて咽がカラッカラ〜。テキ〜ラが最高〜」
ユダヤ人が言った。「疲れて咽がカラッカラ。・・・俺って、糖尿病!?」

The Italian says, “I’m tired and thirsty. I must have wine.”
The Frenchman says, “I’m tired and thirsty. I must have cognac.”
The Russian says, “I’m tired and thirsty. I must have vodka.”
The German says, “I’m tired and thirsty. I must have beer.”
The Mexican says, “I’m tired and thirsty. I must have tequila.”
The Jew says, “I’m tired and thirsty. I must have diabetes.”

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『レ・ミゼラブル 輝く光の中で』(1995年製作 仏)

12月4日にBSで観た映画。ひとこと、名作。これほどにも見応えがあり、かつ美しい作品があまりにも人知れずひっそりと、存在している。


(追記:歌 – LA CHANSON DES MISERABLES by Patricia Kaas)

『男と女』など数多くの作品を生み出しているクロード・ルルシュ監督、『気狂いピエロ』などフランスの名優ジャン・ポール・ベルモンド。

善と悪、なんていうと仰々しく他人事。それならば正と負でもいい。人はみんなその正と負を自分のなかに持つ。正常な人間には正だけもいなければ負だけの者もいない。自分の中の正と負と社会のそれと、みんなその合間を行ったり来たり、流されては流されてはならぬと模索しながら生きていく。今も昔も人間の本質にあるものは変わらない。

人の世の悲しさ、切なさ、欲望、失望、希望、未来、絆、が凝縮された174分。赤い腕章のドイツ軍将校の、息を飲むほどに鋭いピアノ(おそらくワーグナー)の旋律は彼らのあの歪みきった世界での揺るぎなき正。天使のように清い少女たちの奏でるピアノは夢と愛と希望の光、救い。1940年代のフランスでナチの手から逃れようとする裕福なユダヤ人一家とそこに関わる人々と、ヴィクトル・ユゴーのあの『レ・ミゼラブル』が交差する。逃走するユダヤ人一家を助けたジャン・バルジャンも、そして彼に絡む刑事もまた常に自らと社会の正と負の狭間を揺れ動く。刑事の自殺は彼自身の中の正が勝ったから?それとも負?逃亡中に騙され待ち伏せされナチの一斉射撃に倒れる社会的に負とされたユダヤ人たち。その銃撃を逃げ延びたユダヤ人一家の主人を助けた心やさしき農夫とその妻は、やがて人間の誰しもの中でわき起こる煩悩に翻弄され、それまで彼らが保っていた正は影を潜め、変わりに恐ろしいまでの欲という万人に潜む負に包み込まれ、ついには悲しき崩壊を迎える。

クロアチアのホロコーストに触れて以来わたしの中でテーマになっている「誰もがなりえる加害者への道」そうなること、ならないこと、そんなことなども改めてこの映像を通して考えさせられた。テーマがホロコーストだけに留まらないこの映画はこれまで観た映画の中でも群を抜いている作品にも関わらず、残念ながら日本ではDVDにもならず購入もレンタルも不可能(ビデオはあるみたいですが)。どなたかDVD録画、されませんでした?(笑。うちのはなぜか再生オンリー・・・)

(ちなみに本日のプチ雑学:監督ルルシュと逃げ延びたユダヤ人男を演じたミシェル・ブジュナーは共に実生活でユダヤ人。映画のシーンでは、逃亡しようと地下の倉庫に集まったユダヤ人たちの男性たちが一団となり壁に向かって祈りを捧げるところがあるが、ユダヤ人男性は毎日祈りを捧げることが義務づけられており、祈りを捧げる時はかつてユダヤの神殿があったエルサレムの方向に立って行う。まだ日暮れ前らしいので時間的にみてあのシーンはミンハ(午後)の祈りでしょうか。)

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ユダヤ映画アンケートの結果

先月の11月初めに行ったユダヤ映画のアンケートの結果をまとめてみました。

■ユダヤ映画に興味はある?
1:とてもある 46%
2:まあまあある 22%
3:特にない 22%
4:少しある 8%
5:まったくない 2%

■ユダヤ映画が上映されたら観に行く?
1:とても行きたい 39%
2:映画によっては行くかもしれない 28%
3:そもそも「ユダヤ映画」がどんなものなのかわからないから答えられない 12%
4:まあまあ行きたい 11%
5:暇があれば行ってもいい 11%

■映画と合わせてイベントがあるならどんなもの?
1:ユダヤの伝統的な食卓が味わえる 26%
2:ゲストによるユダヤ文化についての講演 21%
3:ユダヤ音楽のライブ 18%
4:生・正統派ユダヤ人に会える触れる話せる(笑) 17%
5:ユダヤの伝統的な工芸品の販売 12%
6:ゲストによるトークショー 6%
7:その他 1%

ユダヤをテーマに扱った映画に興味がある方が思ったよりも多かったので、うれしい驚きでした。今回参加してくださったみなさま、どうもありがとうございました。このようなアンケートをまたさせていただくこともあるとおもいます。みなさま、ぜひぜひご協力お願いいたします。

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映画「in her shoes」にみるユダヤなポイント

久しぶりに、ブログに困った時のユダヤネタでも(笑)。

日本に来てからけっこうテレビを観る。BSがメインだけど、寄席や映画、世界の列車旅行、伝統工芸、コンサートなどなど、それほど洗練されていない文化圏のクロアチアではあまり感じられない幅広いチョイスがあってなかなかおもしろい。

先日は「in her shoes」を観た。

キャメロン・ディアス主演、2005年のコメディー映画で、まだ観たい人もいるだろうから内容は詳しく書かないけれど、アメリカのユダヤ人作家ジェニファー・ウェイナーの著書をこれまたユダヤ系のFOXの配給で映画化したものだから、その時点で観なくてもなんとなくユダヤ系の話だろうと察しがつく。ということで、知らなきゃ知らないで別にどうでもいいけど、知ってるとさらにデープに観れるこの映画のユダヤなポイントを挙げてみる。

まずは、キャメロン扮する主人公のマギーと姉のローズ。映画のはじめではこの二人の姉妹がユダヤだと匂わすものはなにも出て来ないのだが、そこでヒントになるのが彼女たちの意地悪な継母。この中年女性の嫌らしさたっぷりの継母には前夫とのあいだに自慢の娘マーシャがいる。そこでおお?とすると?とユダヤポイントが入る。このマーシャという名はユダヤに多いのだ。そして映画の中盤ではこのマーシャという娘は、実はJews for Jesus(ジューズ・フォー・ジーザス)といういわゆるユダヤ人をキリスト教に改宗させる新興宗教にはまって、母親はキリスト教に改宗されては困ると気が気ではない。もうこの時点でこの親子のユダヤ確定。つまりこのマーシャの母でありマギーとローズの継母もユダヤ人で、そのユダヤ女性と再婚したマギーとローズの実父も、おそらくユダヤ人だろうとなる。であれば彼の前妻もそうだろうし=マギーとローズたちもユダヤ人という簡単な芋づる式ユダヤ方程式。それをさらに確信づけるのが、シャーリー・マクレーン扮するマイアミの高級老人ホームに住んでいる彼女たちの母方の祖母エラだ。マイアミにはエラやその子供世代など、いわゆる「マイアミの裕福なユダヤ人」が多く、一般の人には手の届きそうもない設備の行き届いたこの高級老人ホームに住んでいるエラの友人たちもその容姿や名前、友人の下着にメノラー(燭台)がプリントされてる辺りのちょっとした会話からも、エラと彼女を取り巻く友人たちがユダヤ人だとわかる。

そしてもう一人の登場人物、マギーの姉ローズの同僚でローズの恋人となるマーク・フォイアスタイン扮するサイモン・スタイン。わははっ、この役名とあの風貌でもしユダヤ人じゃなかったら誰?ってなぐらい、紛れもなくユダヤ人。そんなマギーがラストシーンでサイモンに「ローズがハヴァナギラ(ユダヤの民謡)を歌う時はとっても怒ってる時よ」というあたりもさりげなく、結婚式の様子もマギー一家とスタイン一家がユダヤ系であることを伝えるには十分すぎる。

だが、そんなことを知らなければ単なるハリウッドコメディーとしてサラリと観れてしまうほど、この映画の最初から最後までユダヤ人特有のちょっとひねたユーモアやジェスチャーはほとんど見られず、ユダヤ社会を描いた映画としてはまったく物足らない。が、アメリカ社会のカケラとして一般向けな演出になっているあたり、まあ今のアメリカの世俗ユダヤ社会もこんなものかもな、というところでしょうか。原作がどうなのか気になるところではありますが。

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Once Upon a Time in…

なんだか頭の中が忙しくて。

疲れてベッドに入るとあれこれ思っていたことがブワーッとひとりでに話しはじめて、ブログに書こうと思うものの、それから起き出すのもなんだか眠れるタイミングを失いそうで。

久しぶりに好きな映画を観た。Once Upon a Time in America. あの物悲しげな曲が今もぐるぐる回る。限りなくロマンチックで、切なくて、ゆっくりと丁寧に進むこんなフィルムは今では到底作れない。舞台はアメリカの禁酒時代、1920年代のブルックリン。バックにウィリアムズバーグ橋が映っているから、舞台はロシアやリトアニア、ポーランドなどからのユダヤ移民が多く住んでいたウィリアムズバーグあたりなのだろうか。そのユダヤ移民の子供たち、ギャングとなっていく彼らを描いた映画のはじまりでは真っ黒な服ばかりのユダヤ人街も、時代の移り変わりとともに変化してゆく。いかにも欧州またはロシア系のユダヤ人っぽく黒いキパの、マゲン・ダヴィッド(ダヴィデの星)が窓ガラスに描かれた主人公たちの出入りするレストランも、後半では窓のマゲン・ダヴィッドの上に「カシェル」とヘブライ語。これほど美しく風格あるカシェルのレストランが実際にあったのだろうか。今までの実生活では見たことがない。今もウィリアムズバーグの片隅にあるのなら、そのドアを押してみたいと思わせる。

少年時代の主人公(大人になってからはデ・ニーロ)が恋する少女、そのレストランの娘、デヴォラ(ジェニファー・コネリー)だって、ほんとうに美しい。バレリーナを目指してレストランの倉庫で蓄音機から流れるメロディーに舞う。おやっ?あの当時のウィリアムズバーグのユダヤ社会で、しかもハシディック家庭に見えるその一家の娘としてそれが可能だった?映画だから?そのおなじ街に実際に主人公たちのようなユダヤ・マフィアがいたのだから、当然移民ユダヤ人のみながみな信仰ある者だったわけもない。今のウィリアムズバーグとはまったくちがう。ペサハのシーンではみなが信仰ある人に見えるのに。おもしろい。このあたり、もっと知ってみたい。こんどI君にメールして聞いてみよう。アメリカの中の一種独特な移民たちの小さな世界、友情、哀愁、音楽が、これまたデ・ニーロのDeer Hunterとオーバーラップしたりしながら、だけど映画ってこういうものをいうんだよなあって思える名作。


「メシュガ(またはムシュガ)(meshuga=狂ってる)」「シュマック(schmuck=アホなヤツ、ワ〜サイアク、)」なんていうイディッシュ語も。
街角の様子もすばらし。


ペサハの祭りのころのシーン。

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なにをしましょうか5769

決断の日。
Freedom of choice.

あなたは今年はなにをするのですか?
そのための積み重ねを一昨年でして来ましたか?

世のモラルのために、
世の他のひとたちの行いの責任を持てますか?
あなたは?
そしてあなたは?

これがユダヤの新年、
ティシュリの月のついたち、
初てめの人間アダムの生まれたこの日に
神に尋ね、尋ねられること、
神が、頭の上の存在が、この世にいると確認する日。

その新年からの10日間、
この一年の行いから
なにを改めなければならないかを反省し
神に許しを請うヨム・キプールに向かう。

ザグレブの知人でユダヤ人のL氏と奥さんにディナーによばれたとき、
かつて某大統領のアドバイザーを勤め、
今も一政党の党首であり、
わたしの父より少し若いぐらいのL氏に
「君はなにがしたいのですか?」
と尋ねられた。
それから数ヶ月が過ぎた今もまだ、その答えは見つからないまま。

そんなL氏はこうもいった。
「よい人というのはね、お金を持ってるとか、
学歴があるとか社会的地位とかそんなことじゃない。
人を助けたことがある、それがよい人です。
ぼくはいつも人々に聞きます。
あなたはこれまで人を助けた、力になってあげたことがあるのかと。
さあ、君はこれからなにがしたいのですか?
What do you want to do?
ぼくと家内は異邦人の君の力となる義務がある。
したいことがあればなんでも協力しましょう。」

あり難い言葉だ。
さあ、わたしは今年はなにをしましょうか。
わたしは、今年はなにをしなければならないのでしょうか。
そんな簡単に答えが出せたなら、
そしてこの世の中のみんな、一人一人が、
今年しなければならない社会へのモラル的タスクを考えたらば、
もうそれだけでもこの世は素晴らしい方向に進むはずだ。
ああ、わたしはなにをすればいいのでしょう。
割れたざくろのようにあたまがいたい・・・。

と、今年もそんな時季がやってきた。
エルサレムではロシュ・ハシャナの晩には
シャナ・トヴァ、甘い一年になりますようにと家族が集う。

エルサレム、NY、メキシコシティーから
ロシュ・ハシャナのメールがいくつも届いて、
久しぶりにNYのI君と長電話。
なんの遠慮もいらない友とたまにの長話はええもんよね〜。
あの人はどうしてるかなあ〜、
彼女は元気かな〜、
彼はがんばってるだろうか。
あちこちに散らばる友の顔を思い浮かべながら、
蜂蜜のお酒でも飲んじゃおっ。
ザグレブではザクロにはまだ早いロシュ・ハシャナです。

過去に書いたロシュ・ハシャナは*こちら