カテゴリー: 心と精神の浄化

啓蟄来たる。

眠れない夜たちの向こうには、かならず明るい朝日が昇って来るってこと。

そんな暗い夜がいくつも過ぎて、一つのピークに差し向かった。ぎゅぎゅーーーっと、あたまの中ですべてのこの街で「できないこと」を消去していったら、そこから可能性が見えて来た。あっけないほど簡単なことだった。

おかんの作ってくれた今日の夕食のすべてが気に入らなくてだだをこねたら、おかんは言うだろう。「そんなに気に入らないんだったら、自分で作りなさーい!!」お店に行った。探している物が見つからなかったら、「それじゃあ自分で作ればいいじゃない。」

そうなのだ、たったそれだけのことなのだ。できないから、ないから、ちがうからっていじけてちゃ先は繋がらない。ゼロからでいいじゃない、自分で納得する物を作って行けばいい。パッと明けて、未来展望の朝来たり。

この眠れない夜たちを体験して、オモシロいことに気がついた。エルサレム時代の知人にいつも不満ばかりの女性がいた。ノートパソコン1台買うのに4年ほども「ほんと、買わなきゃ」と言うだけで、一向に買う気配はない。家にそれがないために、彼女の生活は不便だったし、それをいつも周りにブツブツ不満がってはそのうち「またか・・・」と相手にされなくなっていた。

「なんでもいいから適当なもの買えばいいじゃない」と、何度に言っても”買えない理由”ばかり挙げて来る。ある時、あまりにもうんざりしたわたしに彼女が言った。

「だって、買ってしまったらもう不満が言えなくなるじゃない!」

彼女は至って本気だった。病気だと思った。パソコンを買ってしまえば、前進することは、その終わりを意味する。始まりではなくて。「かわいそうな自分」が好きすぎて、身動きが取れないのだ。だけど、眠れぬ夜を通り過ぎてわかったのは、つい先日までのわたしも似たようなものだったかもしれないってこと。以前から頂いている写真の個展の話も「やったところで、なに?なんの意味があるの?」とか拗ねていた。講義や仕事を頼まれても、”断る理由”ばかりを探していた。生まれて初めて味わった「かわいそうな自分」を愛でることの快感。「かわいそうな自分」はなぜかフシギと心地よくて、だからすべてを否定的に受け止め、そこにある可能性をシャットアウトする。

あー、あぶなかった。なんかいつの間にかそういうとこに陥るなあ、ここの生活。

でも。

精神的、啓蟄来たる。春近し。

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