カテゴリー: 混沌の文化

死の文化

なんだかうまく書けないんだけれど。

一ヶ月ほど前に近くの映画館で『おくりびと』を観てから、母が送ってくれた何冊かの雑誌といっしょに届いた『納棺夫日記』。映画とはまったく似ても似つかない北陸、浄土真宗、生死、宗教、近年の日本人でも馴染みが薄れつつあるテーマ。これを映画にしたらハリウッドでは無理だった。

『おくりびと』と『納棺夫日記』の共通点に世間では死にまつわる職業は穢れて恥ずかしい職業とされているとあった。それでは寺や僧侶も穢れているのかと問うて「そうだ」と答える人は稀だろう。なのに葬儀屋や納棺する人はそうなの? 

子供時代の12年を著者の住む富山に近い北陸の真宗寺院ですごしたわたしにとって、死は日常だった。死は学校から帰宅するとそこにあった。といってもそのほとんどが他人の死、ではあったけど。深夜遅くや朝方に家中に響く電話はたいていがそれで、それからすぐに父が黒い衣をまとい枕行(まくらぎょう)にでかけていく。その翌日か翌々日には、学校から帰ると境内にはすでに運び込まれた大きな花輪、葬儀屋さんのトラック、祭壇を組み立てる喪服の大人たち(葬儀屋さん)、祭壇に飾る花を運んできた花屋さん、「あ、お棺屋さんが来た来た!」という母の声、泊まり込みの遺族の部屋のお布団を出したり湯のみや薬缶の用意をするお手伝いさんで家中がバタバタしていた。いつもより美しい祭壇のときはまだ誰もいないときに母が「ちょっと見ておいで、きれいだよ」と呼んでくれたっけ。薄暗い御堂の大きな祭壇の両脇に、淡い電気のロウソクの光りにくるくる照らされる蓮の花の雪洞が幻想的で美しかった。玄関口に設えられた小さな日本庭園風な風流な飾り。そんなデザインが70年代終わりから80年代初頭にかけて北陸の葬儀では流行っていた。うちによく出入りしていたその葬儀屋さんは、つるっと丸坊主で目がくりくりして、あだ名はキューピーのおじちゃんだった。いつも喪服を着たところしか知らないそのキューピーちゃんは、とてもやさしい人だった。もうずっと前に亡くなってしまったけれど。それから90年代になって、寺での葬儀の数がぐーーんっと減った。世代が変わり時代が変わり、宗教ばなれもあって、なにもわざわざ抹香臭い寺でしなくてもいわゆるセレモニーハウスでの葬式セットのほうがいいというわけ。

子供のわたしには、その日の夕食のメニューが気になった。通夜の晩だとかその前夜に遺体と遺族が泊まっていた日の夕食は、カレーだとかスパゲッティーだとか焼き魚煮魚だとかふわふわ匂いが漂うものはNGで、野菜の煮ものなどどこか茶色い食卓だったイメージが脳裏にある。そしていつもよりも音をたてないように気をつかって静かにそおーっと食べた後、音を小さくして茶の間でテレビをみていると、たいてい古い漆塗りの廊下の軋む音とともにふすまががたがたと開いて、喪服のおじさんがわたしの隣でいっしょにテレビを観ている祖母に挨拶に来たりした。御堂の裏の香部屋に泊まっている遺族の夜の過ごし方で、だいたいどんな人が亡くなったのかがわかった。どんちゃんどんちゃん、宴会の酔った笑い声が聞こえて来るのはお年寄りの大往生。そういうときはこちらもあまり気にせずにテレビを観られたけれど、かなり離れた茶の間まで大きな泣き声が聞こえて来たりした夜はまだ死ぬには早いと惜しまれる人で、だけど同じ屋根の下で繰り広げられているそういった死のシーンとわたしの日常は交差しないようでしているようで、でもそこには聖も穢れもなくただ両者が同じ空間の中にある。それだけだった。

葬式の終わりに金沢独特の黒塗りの豪華な霊柩車が境内から出て行くのも、週末などで家に居合わせたときは二階の広間の窓から見ていた。時々お葬式の最後に境内で子供たちにお菓子がくばられることがあって、遺族の子供たちに混ざってお菓子をもらったこともある。葬式のお供え物の籠盛りもふつうにありがたく美味しくいただいた。果物にカルピスやホットケーキミッスク、カール、桃缶がとてもうれしくかったっけ。座敷の裏の廊下の大きな水屋には葬式や法事などの死の行事からいただいた食材がいつも溢れんばかりに入っていた。

そういう生い立ちだからかどうなのか、わたしにはその巷の「死と穢れ」という概念自体が、まるでふしぎなはなしを聞いたような感覚でしかない。まったくピンと来ない。物心ついたころから生活の中になんのフシギも疑問もなく死にまつわる人や物がいつそこにあり、またそれが穢れたものだという外的なインプットがほとんど届かない世界にわたしは住んでいたらしい。大人になった今、それもかなり特殊なことなのかもしれないとわかってきたけれど。ユダヤの死の文化では死者の遺体を清めるタハラという作業があり、それを行う人はもっとも尊い人とされるけど、そのほうがなんだかピンと来る。

ちょっと話は変わるが、ミロゴイ墓地で葬式に参加した時、棺を墓穴に下ろし土をその上からどーん!どーん!と無雑作に放り投げるようにするのは少々気分的に馴染めないといったことを以前ザグレブの友人に話したことがある。そこから日本では火葬だからという話になり、斎場で遺族が故人の骨をおはしで拾って壷にいれ、場合によっては自宅に保管することもあると聞いた彼は、それがへんな新興宗教とかカルト宗教だとかではなくほんとうにごくごくふつうの習慣なのがとうてい信じられなかった。まあ、そう言われてみると確かにおどろおどろした行為ともとれるかもしれない。だけどクロアチアの死の文化のひとつに、先に土葬したところに何層ものレイヤーとなって他人を埋めるが、そのほうがなにかゾッとする。ということを父に話したところ、日本だってかつては土葬だったし同じように上に重ねて埋葬しましたよ、といわれて、へー。まだまだ知らないことばかり。

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