カテゴリー: ホロコースト

67年後のふたつの新しい墓碑

夜3時半に寝て朝5時に起きて夜の7時半に帰って来たよ。
今年もこのガソリンスタンドへ行った。

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ジャコヴォ収容所跡地

ジャコヴォのユダヤ墓地ではふたつ、
去年はなかった新しい墓石を見つけた。

ハナちゃん、2歳(1940−1942年)。
そして彼女のお母さん、27歳(1915−1942年)。

戦後イスラエルに移住したお母さんの息子、
ハナちゃんのお兄さんメナヘムは、
彼の家族を連れてこの地へやって来た。
お母さんと妹の墓石を建てるために。

真新しい御影石の墓石の前で、
もう初老の、イスラエルの陽に焼けて真っ黒のメナヘム。
あの当時、欧州で戦争が起こっていた時、
60年以上前の話し。

「サラエヴォからお母さんと、小さな妹と弟と一緒にぼくは、
このジャコヴォの婦女子用の収容所に連れて来られた。
病気が充満し、もう自分は助からないと思ったお母さんは
ぼくに弟と一緒にここから逃げるようにと言った。

だから、ぼくは、助かった・・・」

それ以上は・・・、
ハナちゃんとお母さんの墓石に手をそえ、
その時の記憶に咽がつっかえ、
手で頬を伝う涙を拭いながら、
もうそれ以上声にならなかったメナヘム。
わたしはカメラをひざの上に置いた。
そんな悲しい事実は、撮れないよ・・・。

「お母さんには今、15人の孫がいるんだよ」

いろいろなことを思った。
ふわふわ宇宙遊泳状態の脳ではこれ以上書けそうもない。

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67年後のふたつの新しい墓碑” への9件のフィードバック

  1. ホロコーストを思うと、凄まじい実感はないものの、身に置き換えて想像してみる。
    その現場で、その瞬間に居た人に会う、その辛さから逃げたい僕は卑怯者かもしれないね。
    でもよ、昨夜はスカパー、ジオグラChのアウシュビッツ地獄絵図を録画しましたぜ。
    これもchikaちゃんの影響大かもしれへん。

    1. かっちゃん。

      >その辛さから逃げたい僕は卑怯者かもしれないね。

      いや〜、卑怯とは思いませんよ。
      実際、こういったことを直視するのはしんどいですね。
      わたしもまだまだ未熟。

      アウシュヴィッツの地獄絵図・・・ううー。
      見たくないなあ・・・。
      あそこはきっと一生行かへんやろなあ。

  2. ロンドンの町を歩き、ユダヤ人博物館を訪れた時、家族の歴史と民族の歴史を重ねて感じた。
    日本ではこんなふうに一族の生き方を、敬意と熱意を持って残しているだろうかとさえ思うほど。
    戦争と迫害の歴史が記録し、残し、語り伝えることを意識したのかどうか、
    今の私たちの生活に欠けている「何か」を強く感じずには入られない。
    日本が戦争に関わったのは、ついこの間のことのはずなのに、
    私たちは知らなさ過ぎるし、しろうとしない。それは何故・・・。

    旧ユーゴスラビアを含む、欧州巡礼の記憶は20年から30年近い昔にの記憶。
    更にその倍の時間、かの地に墓を望み続けた・・・その人の心を思う。
    赤の他人の私でさえも強い衝撃を受けた、悲惨な傷跡。
    まして、その人が忘れ去ることができようか。

    1. 寧夢さん。

      確かに、ユダヤの人たちの、自分たちの歴史と伝統のかたり伝えは見習うべきことなのかなと思うことが多いですね。くり返しくり返し伝えることの大切さ、これは今の日本にはあまり重要ではないような。様々な史実を伝え残すことの一つに、日本こそ原爆のことを世界に訴えれる国だと思うのですが。

      この男性のお母さんは、今のわたしよりもはるかに若くして、子供を救い、また幼い子とともに死んでいった。さぞ無念だったでしょう。そしてその母を、二年で殺されてしまった妹を、けっして生涯忘れることはないでしょうね。ようやく建てた墓の下に彼女たちの遺体はなくとも。まだコメントがあまりまとまらなくてごめんなさい。いつもありがとうございます。

  3. ごぶさたしています。ちかごろ、再び、
    チカさんのブログを拝見させてもらっています。

    6/8(月)の朝日新聞夕刊に、写真家のテーマで、
    記事が連載され始めました。そこで、
    写真家の、東松 照明さんが
    長崎原爆の被爆者の片岡 津代さんの写真を撮る事が書いてあって、
    彼女が、「東松先生だけは、傷の無い左側からも撮ってくれた。」
    とあったので、

    私が感じたことは、
    戦争に対しどう思うか。
    なぜそう思うか。
    これから、私たちはどうすればいか。
    今、それに対し、何をしているか。
    そして、現在の様子も撮ればよいのではないかと思いました。

    長々とすみません。

    1. 4090さん。

      こんにちは。お久しぶりです。
      戦争への思いというのは本当に複雑で、
      まだまだ当分まとまりそうもありません。

      現在の様子を撮る、そうですね、
      ぼちぼち、迷いながらやっていこうと思います。

  4. うーん、なんと辛い、すさまじい体験だろう。
    逃げろと言った母も偉い、弟を連れて逃げたメナヘムさんも偉い。
    お互いどれほどつらかったか、別れは想像を絶する悲しみだったと思う。
    しかし、メナヘム兄弟が生き延びたことで、お母さんとハナちゃんは、
    彼らのこころの中に生き続けることができた。
    けれど、メナヘム兄弟もまた、こころの一部をこの場所で失った。
    その傷の痛みが癒えることは絶対ないのだなと思う。
    なぜホロコーストのような悲劇が起こるのか、私にはまったく理解できない。

    1. おやびーん。

      そうね、なんとなく想像してみるものの、
      なんとなくでしかなくて、
      それはどうやったって想像でしかないのよね〜・・・。
      でもそういう体験をした人たちが今も生きていて、苦しんでいる。
      それがわたしたちが知ることのできる事実よね。

      >なぜホロコーストのような悲劇が起こるのか、私にはまったく理解できない。

      あー、これ、難しい問題。
      ただいま考え中。

  5. コメント遅れてすみません。

    報道写真のこと、詳しく知らないのですが、
    どんなに、悲しくても、悲惨でも、
    そこに、希望の光が見えたり、愛がみえたり、しているから、
    美しいというか、価値があるというか、よい写真なのだと思う。

    そして、よく、グロテスクなものが、美しいと勘違いしている人がいますが、
    それも、同じように、生きる希望の光が少し入っているところが、美しいのだと思うのです。

    作家のよしもとばななさんは、その状態のことを、
    最低のものの中に、最高のものが、ちょぴっと入っている。というようなことを、言っていました。
    (ちょぴっと、とは言っていない)

    チカさんのことを、どうこういうのではなく、
    そういうことを思い出しましたとさ。

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