カテゴリー: 不思議のクロアチア

ザグレブ裏話

19〜20世紀のザグレブのユダヤ人たち、興味深い人物が多い。そしてこの街の発展にもひそかにユダヤ人が貢献しているようだ。とあるザグレブの歴史パンフレット制作ミーティングに出席した時に耳にした話しのおすそ分け。

世界で初めてシャープペンを作ったザグレブのペンカラ氏がユダヤ人だった。かどうかは、いまひとつはっきりした記録はないので、ミステリーのままにしておきましょう。その商品を作っていた工場主はユダヤ人だったという。

今ではクロアチアの代表的なチョコレートの老舗となったクラシュ(Kraš)も、もともとはザグレブのUNIONというユダヤ人がオーナーの企業だったという。クラシュが1911年創業としているのはこのUNIONがスタートした年を言っているんだね。さらに話を聞いてみると、なんだ、このUNIONのオーナーは知人S君のおばあちゃんの伯母だったから、へー。

そしてそれよりも驚いたのは、ツェッペリン。いやレッド・ツェッペリンじゃなくってサ、飛行船のツェッペリン。一般には1890年代にこの飛行船はドイツのツェッペリン社の社長であったツェッペリン氏が自ら開発したと伝えられているが、おっ、これがちがったんだな。ザグレブのデイヴィッド・シュワルツ(1852-1897年)(←シュワルツ氏のウェブ、当時の飛行船実験写真を見るだけでもおもしろいですヨ)というユダヤ人が発明したものを貧困から彼が若死にした後にツェッペリン社が買い取り自社の発明だとした。こんなことは今も昔もよくあることだけどね。

1860年の終に写されたセピア色の一枚の写真を見た。もともとのザグレブのはじまりである丘の上のゴルニグラドやカプトル地区の大聖堂の他は、ただずーっと原っぱが広がっている。なんにもない。が、よく見ると大聖堂の下に数軒の建物があり、そのひとつの大きな四角い建物は1867年に建てられたシナゴーグだった。中世では北クロアチアに住むことを許されなかったユダヤ人だが、1780年代に居住が許され、ザグレブではその丘の下に住みはじめた。そして約90年後にはこの大きなシナゴーグ(1941年、ウスタシェによって破壊)が原っぱのふちに建てられ、そのあたりから町が、現在の商業と文化の街が発展したのだろう。なので現在のユダヤコミュニティー周辺はかつてユダヤの所持地だったのも頷ける(第二次大戦でその多くが没収され現在に至る)。そんなことを頭においてザグレブを歩いてみると、以外と今でもユダヤ人たちの軌跡がところどころに残っていておもしろいものだ。ま、こんなことはガイドブックには載らないけれど。ちなみに、なぜ欧州のユダヤ人たちが農夫でなく商人や医者、技術士など手に職を持ったものが多かったのかといえば、ひとつには一般の国民のようにそこに土地を持つこと、居住することなどが許されていなかったことにあるのだろう。

1900年頃かもしれない(くわしい年はわからない)ザグレブのイェラチッチ広場。
写真左にはトラムがトコトコ、市場は今のように上ではなくここだったのよ。
広場右手や写真中央の建物なんかは今といっしょですね。
zagreb-jalacicev-plac

そして1930年頃になると、かなり近代化されましたね。
トラムも線路が増えました。写真左にはホテル・ドゥブロヴニクも見えます。
jelacicev-plac1930

あれ?・・・なんかこの二枚、なにかがへんだぞ?
そうです、
どっちむいてんねーん、イェラチッチ総督!
彼の像の向きが今とは逆ですな。

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