木曜の晩にシサク(ザグレブから車で40分ほど東、ヤセノヴァツやボスニア国境に近いかつての工業都市)で行われたバロック音楽のコンサート。
毎年この時季にクロアチア北部のヴァラジュディンというバロック風の町で開催されるバロックミュージック・フェスティヴァルと、イスラエル建国60年記念行事の一環として、シサクの旧シナゴーグにてイスラエル人音楽家たちによるコンサートが行われた。曲目はヴィヴァルディンなどのバロック音楽とバロック調ユダヤの歌。シドゥールと呼ばれる祈祷書の句やシャバット(安息日)の訪れを祝う曲など、ミズラヒ系やアシュケナジー系とはまったく別の、ああ、ひょっとしたらかつてはこういう世界もあったのかもしれないと優雅な夢のような世界が広がる。
このシサクという街だが、その歴史は二千年以上昔に遡り、トルコ、ローマ、クロアチアといういくつもの民族で作り上げられたそうだ。そして鉄や石油などの工業で栄えていた重要な街だったのは過去の栄華。今では日々の生活も厳しいという。
そんな工業で栄えていたシサクの街の中心にはシナゴーグが建ち、かつて200人ほどのユダヤ人が住んでいたのだが、ここもまたチャコヴェツやその他の町と同じくホロコーストによってほぼ全滅となった。現在は2家族だけ、実際にはその一家族だけがこの街に住んでいるのだが、次世代ではハラハ(ユダヤの法)でいうところのユダヤ家系ではなくなってしまう(ハラハでは母系または正統派による改宗者がユダヤと認められる)。
高天井に床を作り二階建ての音楽学校となったかつてのシナゴーグ。今も残るは当時の床に螺旋階段だけ。下ろされてしまった屋根のダヴィデの星の跡、その不在と1880-1941の文字になんだか心が痛かった。
*明日も朝から農村へ出かけるなどちょっとバタバタしてまして、しばらくコメントの返事、遅れますワ。でもひとつひとつ読んでますので引き続きコメント、ご遠慮なく〜。