カテゴリー: ホロコースト

長かった一日

ĐAKOVO children

イスラエルにいた時はペサハの後のホロコースト追悼日は、
一年に一度だけ巡ってくる日だと思っていた(国際ホロコースト追悼日は別として)。
それなのに、クロアチアに来てみれば、
ホロコースト追悼日はこの国の各ユダヤコミュニティーで
それぞれ別々の日に行われているのには少々驚いた。
でもよく考えてみればそれもまったくおかしな話しではない。

4月半ばのヤセノヴァツ、そしてザグレブのホロコースト追悼日から始まり、
先日はĐAKOVO(ジャコヴォ)というクロアチア東部、
オシイェクに近い小さな町でのホロコースト追悼式典が行われた。
ヤセノヴァツから一ヶ月半もの間の長いホロコースト追悼行事だ。

その日、ザグレブから、オシイェクから、ベオグラードから、サライェヴォから、
旧ユーゴのあちこちからバスを貸し切って集まったたくさんのユダヤ人たち。
とあるところから頼まれカメラマンとしてその一日を記録したのだが、
・・・疲れた・・・。
まずそれが感想。
まるで従軍カメラマンのような(といってもそれが本当にどんなものかは知らないけど)
集中力と体力。
古いユダヤ墓地、かつての強制収容所の隣地の雑草に足を取られそうになりながら、
人々を追いかけ、式典を追いかけ、あっちこっちとかけずり回り、
暑さにバテそうになりながら、
祈りの瞬間、涙の瞬間、そこに眠る人たちの墓碑、
ようやく見つけた祖母の墓碑を撮ってほしいと頼む人。

その墓地での式典の次ぎは、
女性用の収容所跡地を廻ったのだが、
そこに収容所があったと知るのはほとんど不可能に近い。
なんとそこは今ではガソリンスタンドだ。
カフェもある。

その道路際、歩道に申し訳程度に小さな記念碑が建つ。
その収容所に少女として収容され、母と妹を亡くしたという
女性が花束を捧げ、涙をこらえてのスピーチをされた。

その様々な瞬間で、写すことに迷いがないはずはない。
だけど自分の感情を殺し、集中し、ただ撮影に徹する。
だけどその長い一日で、たった一度だけカメラを置いた瞬間があった。
昔はハザン(祈りをリードする人、主唱者、Cantor)だったという
N氏のEl Male Rachamimm(慈悲に満ちた神)が空に響いた時。
年齢から言っても彼はホロコースト当時は十代だったのだろう。
ホロコーストを知っている、今はもう老人のN氏の祈りに、
その時だけはカメラを膝の上に置いた。
シャッターの音がしてはいけないと思った。

そしてその長かった一日が終わり、
自分がどういう場にいたのかと感情面と体力面でどっと疲れが出た。
なのにやはり眠れない、あいや、その夜もいつもと変わりなく、
まったく寝たくないのだった。

(写真はこのジャコヴォの強制収容所で亡くなった子供たちの墓。
ラヘル・アティアス、サライェヴォ出身、生後一ヶ月。
マイストロ・ホリチ、サライェヴォ出身、生後三ヶ月。他。)

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長かった一日” への6件のフィードバック

  1. 私は人間の写真は、撮りません。
    というか、撮れません。
    ですが、動物は撮ります。
    絶対にフラッシュと、シャッター音は、
    普段から、消しています。
    それと、長時間カメラを向けることは、
    絶対にしません。彼らの日常や、
    体力や、こころもちなどを、大切にしています。

    ちかさんのような人に、私の写真撮ってもらいたいです。
    撮られるのも苦手だったりするので、よけいにです。

  2. 4090さん。
    わたしは静物が苦手です。
    動きのないものをどう撮っていいのかよくわからないです(笑)。
    人がいちばんおもしろい。
    だけどいちばん難しいかも。
    自然も難しいですけどね。
    まー、簡単なものなんてないのかな。

  3. ちかさん、静物が苦手だなんて、
    うそでしょ~。(ニヤリ)
    植物とか、じっくり対話しながら、
    写真を撮っても、撮らなくても、
    とってもこころ満たされます。

    人がやっぱり苦手だということが、
    カメラでも、わかりましたが、
    彼と本格的にお付き合いしたら、
    何か変わるかもしれません。

    ちかさんの人物写真は、
    人が深く考えている時の表情が、
    というのか、深い表情の写真が、
    いつも凄いな~と思っています。
    あ、人物写真は、見るの好きかも。

  4. 4090さん。

    あ、苦手ですよ、難しい。
    写真で心が満たされる・・・うーん、新鮮な響き。
    わたしは人がいちばん好きだからいちばんおもしろいと。
    まあただそれだけなんですけど。(笑)

  5. 本当は写真抜きで、人間も、動植物も会話、対話、するのが一番こころが満たされます。写真は私はこういうことを感じている。ということを、私を、わかったつもりでいるひとに、そうではないことを、伝えられれる意味 も あります。ですが、個展のチョイスがなっていないので、意味ないのですけどね・・・。

  6. 4090さん。

    そうですね、上辺だけの会話や付き合いはかえって難しかったりしますね。他の人にわかってもらおう、とはわたしはあまり思わないです。土台、無理ですからね(笑)。

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