カテゴリー: ホロコースト

破壊し続けるホロコースト

金曜、土曜とじゃじゃぶりだった雨が晴れ、クロアチアらしい澄んだ青空がもう夏のような五月も下旬の日曜。ザグレブから車で高速を一時間ほどの町、チャコヴェツ(Čakovec)。

鉄道沿いにはポピーが咲き、なんとも長閑。このチャコヴェツは1941−44年の世界大戦中ではハンガリー領でもあったため、今もハンガリー語を話すお年寄りが多い。


何はなくともまずはカフェで一服。これがクロアチア式。

クロアチア一美しいと言われるチャコヴェツの墓地(カトリック墓地)。確かにイングリッシュガーデンのようで華やかさもある。ザグレブのミロゴイ墓地とはまたちがう美しさ。一般的にクロアチアの墓地は手入れの行き届いた庭園風が多い。

カトリック墓地の隣りのユダヤ墓地内。ホロコースト犠牲者の慰問に訪れた大木の下のチャコヴェツ出身のユダヤ人たち。

この辺りでは第二次大戦前まで700人ほどのユダヤ人が住んでいたのだが、大戦時のホロコーストによりそれらのユダヤコミュニティーのほとんどが全滅し、その伝統と文化が営みがそこで遮断されてしまった。町外れのこの墓地にも、ホロコーストで亡くなった人の墓碑が目立つ。

このチャコヴェツにかつて住み、アウシュヴィッツを生き延びた人もいる。その人の腕には囚人番号の入れ墨がいまでも残る。

ユダヤの墓のちょっと変わったモニュメント。ハンガリーに近いからだろうか、どこかアジアっぽい感じがした。

古いユダヤの墓。

1943と44年没。ホロコーストで亡くなったユダヤ人の墓。

それでも現在のチャコヴェツには10人ほどのユダヤ人が住む。が、そうとはいえ、この地域のユダヤ文化とユダヤ人はもはや歴史の一部でしかなく、現在進行形ではない。このチャコヴェツではユダヤの伝統を受け継ぎたくても、もうそれを教えてくれる人がいない。生まれてからずっとこのチャコヴェツに住み、十代のご子息が二人いるチャコヴェツのユダヤコミュニティーの会長さん(50代前半だろうか)にいろいろ話を伺ったが、戦後生き延びたユダヤ人たちの数人はここに戻り、そしてそれ以外の人はイスラエル北部の港街ハイファの近くにあるユーゴスラヴィア移民のキブツへと移住して行ったという。会長さんも人生の節々で彼自身のルーツや伝統を知りたいと願った時もあったが、残念ながらもうそれを知りようがないのだと。

1944年に破壊されたチャコヴェツのベイトクネセット(シナゴーグ)の跡地に立つと本当に空しい。こういう場ではなにを言ってもクリシェでしかないような気がしてしかたがない。すると「これが現実です」と会長さんが言った。その通りだ。ホロコーストで失われたものは600万人の命だけではない。あの時に失われたものが今もこうして欧州の各地で失われ続けている。ホロコーストはまぎれもなく未だに現在進行形の現実なのである。

P.S.このブログ(Blogger)では写真の発色がイマイチですね・・・。淡い。というか、残念ながら赤や緑の色彩がかなり飛んでしまっています。

追記の追記:このブログではどうも思ったよりもかなり写真がしょぼいので、フォトウェブのČakovecに載せましたので、写真はそちらへどうぞ。

もひとつ追記:このはなしを書いた時はBloggerだったのですが、その後、今のwordpressに引っ越して来ました。

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