カテゴリー: ホロコースト, ヤセノヴァツ

ヤセノヴァツへ。

先週の日曜にはペサハの前の集まりで、クロアチア東北のオシイェクの街までちょっと遠出。総勢40人ほどか。

オシイェクでのホテルでのランチで、以前から知っているその人がギターで「黄金のエルサレム」を歌った。なんだか、泣けて来た。泣けて来たんだけど、まわりの人たちはあまりこの歌には関心がないのにも、なんだかもっと泣けて来た。まあエルサレムに、いやイスラエルに行ったこともない人も多いのだから、この歌とのつながりが持てないのはわかるのだが。そして、わたしはエルサレムにやはりさよならは言えない。

明日、金曜にはヤセノヴァツへ。

4月22日の解放記念日の前に行くことになった。ヤセノヴァツもアウシュヴィッツも、単なる興味本位で行けるところではない。2月に訪れたエルサレムのホロコースト博物館、ヤド・ヴァ・シェムも同じく。そのヤド・ヴァ・シェムにはたくさんの生徒たち(中学とも高校とも思えた)が授業の一環か何かで来ていたが、地下のカフェテリアや階段などではあちこちから彼らの笑い声が響いて、大変驚いた。学校は彼らをそこに連れて来る前に、そこがどういう場所なのか教えていないのだろうか。それとも、祖父母がホロコースト体験者であっても、その三世ともなればもうホロコーストは遠い過去の話でしかなく、自分とのつながり、または関係が現実ではないのだろうか。第二次世界大戦時の広島や長崎もおなじように、1970年代に生まれたわたしにはその実感などあるはずはないが、だからそれでいいということでもないだろう。歴史の伝承にはかなり力を入れているユダヤの教育ですら、時代とともに変わりゆくのも仕方がないのか、仕方がない、それで終わってしまってよいのだろうか。それともこれは世俗が進むイスラエルのユダヤ人だからなのか、日本だからなのか。いや、どこでもおなじようなものなのだろう。人には「忘れる」という能力がある。それがなければ、生きて行けないのかもしれない。

さあ、今夜は眠りたい。というか、眠らないとまた明日が大変だ。徹夜明けの遠出はしんどい。

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