カテゴリー: 心と精神の浄化

インターネットは恐ろしい

以前からあちこちで見かけて、ずーっと気になっていたこの言葉「ネットは恐ろしい」。果たして、本当に恐ろしいのはインターネットだろうか。

インターネットを使いはじめて・・・何年かなあ?10年ほどかな?ソフトウェアやウェブの開発やローカライゼーションなどの仕事では、インターネットがなければ成り立たないので、仕事上でもインターネットをずーっと使ってきた。そして、この仕事でのやり取りのほとんどはメールやメッセンジャーによってなされ、でも、だからと言って、これといった個人的なトラブルが起こるわけでもない。お互いがごく普通に節度を保つように心がけているせいかな。

そして、エルサレムという地球の僻地に生息している限り、この小さなお山から外の世界を見渡すには、インターネットはなくてはならず、遠い極東の日本の情報などを知ることも、ましてや日本語を読むことも書くことも、インターネットなくしてはほとんどありえない。メールがなければ、実家の父とも、おそらく2年に一度ほどしか話すこともないだろう。まさにインターネットは、使い方ひとつによっては、なんとも便利この上ない道具となる。しかし、当然ながら、インターネットを使うのは、誰でもない「人」である。「人」によっては、インターネットも恐ろしい道具となる。

インターネットの電脳空間上では、世界中のウェブやブログや会員限定のクラブや、さらには掲示板などが星の数ほども散らばっている。そしてそこには、本名ではなくIDや匿名を用いて、何でも好きなことが書けてしまうといったポジティブ・サイドとネガティヴ・サイドがある。インターネットでは、IDや匿名がゆえに本名では恥ずかしくて書けないような心の中を書いてみたり、思いがけず自分でも気がつかなかった様々な可能性が広がったり、いくらでも楽しくポジティヴに活用できる。しかし、その反対に、IDや匿名を隠れ蓑にすれば自分の書いた言葉の責任をとる必要もなく、本名での実生活ではしないであろう嫌がらせや中傷を他人に対してしたりと、普段は押し込めてあるその人のネガティヴな面が出てしまうことがある(ひょっとすると、そういう方は実生活でもそうなのかもしれないけれど)。

このインターネット世界でブログをはじめてから、そういったネガティヴな誘惑に負けてしまった人たちによって、たくさんの人々が意味もなく傷つけられたり、辛くなってブログを閉じたりされたことに出会ってきた。しかし、それはブログなどのIDや匿名性というよりも、実は 「人」にその原因があるのだろう。旧ブログのほうでも、何度かユダヤの知恵袋として「人の噂話をしないということ」について書いたのだけど、いやいや、これがなかなか難しい。勿論、私自身も無味無臭の聖者でも何でもないから、時によってはうっかり口が滑って転んだり、余計な一言を言ってしまったりすることがある。しかし、そういう口が滑った自分というのはイヤなもので、口が滑ったことによって得られるものはネガティヴ感しかない。

「インターネットが恐ろしい」のではなく、それを間違って使ってしまう「人」、ネガティヴな誘惑に負けてしまう「人」が恐ろしい思うのである。インターネットと人の両方は、正しく活用するべきだなと思うのだな。

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