カテゴリー: 混沌の文化

寿司食いねえ、ハイテク人


イスラエルのハイテク人は「Sushi」が好きでなければならないらしい。ランチ時に「Maki」(巻き、つまりほそ巻きのことね)などの「Sushi」を配達してもらうのがイスラエルのハイテク人のステータス。一言、なんじゃそりゃ・・・。

ここ数年のイスラエルでは、和食というか「Sushi」ブーム。ニューヨークなどにありそうな小洒落たモダンなジャパニーズ・レストランがテル・アヴィヴなどにはかなりのお値段で存在する。夜になるとお洒落なカップルなどがしれ~んと「Saki」(酒ではなくてサキと発音)を不器用に飲みながら、なんちゃって寿司をつまんでセレブ気取り。

そこで高給取りのハイテク人は、そんな高価ななんちゃって寿司を、しかもランチ時に、キッコーマンのくどくて不味い醤油にべったりとつけて食べる。私も何度か誘われたが、本物のお寿司が好きな私にはお世辞にも「おいしいそう!」ではなく、あまりにも高いのでお断りした。寿司とハイテクの本場のニッポン人からすると、この「Sushiとハイテク人」の関係そのものが滑稽というかなんというか。だったらニッポンの国民ほとんどはハイテク人になってしまうではないか。

今から思い返せば、2000年あたりがそんなイスラエルのハイテク産業のピークのようだったように思う。当時は、テル・アヴィヴ周辺やエルサレムにもかなりの数のハイテク企業が春先の筍のようにニョキニョキと出没。スタート・アップと呼ばれたこれらの企業の多くは、その寿命約2~3年と短しで、アメリカのハイテク企業関係のユダヤの人や、アメリカに住むユダヤ系イスラエル人のお試しトライアルとして「イエ・ベセデ~(何とかなるさ~)」と、ちょいとポケットマネーで作っちゃいました、という感じだった。

その当時、我が街エルサレムにも二つ目の大きなハイテク・パークが建設されて、ステート・アップ企業が集まり、パーク内はアメリカ系などの若いハイテク移民たちで活気づいていた。しかしそんな状況も長くはなく、シャロンさんがエルサレム旧市街の岩のドームへ踏み入れたことなどを理由に、第二次インティファーダと呼ばれるものがはじまった。日増しに大きくなるパレスチナ側による自爆テロはたくさんの死傷者を出し、エルサレムはゴースト・タウンのような殺伐とした雰囲気に包まれてはじめ、もはや自爆テロはイスラエル国中で行われるようになっていった。

これによって、聖地巡礼者や観光客の激減したエルサレムの経済はどんどんと坂を転げ落ち、やがて不況はイスラエル全体を覆い、ハイテク産業もその煽りを受けることに。当然、エルサレムのスタート・アップのハイテク企業は生き残れずに、多くのハイテク移民たちが職を失い、戦々恐々とするエルサレムを去って比較的安全でまだ職が得やすかったテル・アヴィヴ周辺へ移る者も多かった。しかし安住の地へと移住してきた者たちの中にはそんな状況に耐えられず、安全面と金銭面から再びアメリカやオーストラリアなどの国へと帰還していった者も少なからず。そうなると卵が先か後か、ハイテク企業に需要があっても働き手がなく、仮に働き手があっても需要がないという状況へと悪化していった。

エルサレムで私がハイテク人になりはじめたころの「ニッポンのハイテク企業」のイメージは、やはり完璧主義。文章の句読点やスペースにも目をギンギンにしてチェック、微塵のミスも許されない、なんてこれは個人的にも賛成なのだな。製品が確実に作動するようにプログラムしてゆくわけだから、そこに誤字脱字や誤訳などのミスがあっては困るのであるからして。そしてイスラエルのハイテク企業のイメージは、それとは対照的で細かいミスや不具合は無視、とりあえずゴールに向かって突進、ある程度で出来上がればそれでよし。とばしたミスなどは途中で問題が発生しない限り後回し、しかも問題が発生しなければ、完成後もそれは永遠に放置。なので途中経過ではいちいち気にしない。両極端なニッポンとイスラエル、足して二つに割ったらちょうどいい。

この話をする時にいつも思い出すのが、数年前に起きたエルサレムの結婚式場の崩壊事故で、これもまたイスラエルの典型的な例。とある繁盛していた結婚式場が急ピッチで建て増し工事をした後のこと。一組のカップルの結婚式の真っ最中、真夜中も近く祝いのダンスもピークに達したころ、「マイム・マイム」を激しくしたようなダンスで飛び跳ねる人たちの重みでホールの床が抜け、別の結婚式が行われていた真下の階へと、床と共に人々が落下。落ちた人、落とされた人、多数の死傷者を出した。

その後の調査では、結婚式場側の手早く工事を終わらせようとして行った手抜き工事が発覚し、さらには、式場側はその夜の結婚式の招待客数がかなり定員オーバーをしていたことを知りながらも「イエ・ベセデ~(何とかなるさ~)」で、ついに床が耐え切れずに抜けてしまった、と。まさに、手抜きであろうがなんだろうがとりあえず完成することが目的であって、例えそれが手抜きであっても問題が起こらない限りはOKなのだ。

このイスラエルの「イエ・ベセデ~(何とかなるさ~)」なるメンタリティーに、イスラエルに住むまたはイスラエルの人と関わると色々なところで遭遇する。ハイテクだろうがローテクがろうが、バスの運ちゃんだろうがファラフェル屋のオヤジであろうが、皆お気軽に何でも

「イエ・ベセデ~(何とかなるさ~)」

なのだ。

「なぜゆえに、いつもいつもイエ・ベセデ~なのよ?」

と、ずっと昔から滅亡するでもなく存在しているニッポンという国からやって来た者には、こういういい加減さはとても理解しがたくアタマを悩ませていた。しかしある時、当然ながらユダヤの人々には、そういったニッポン人とは異なるバック・グラウンドがあることに気が付いた。

ユダヤの民は「流浪の民」とよく呼ばれることがある。ユダヤの歴史の中では、旧約聖書に書かれているアブラハムやモーシェの時代も、そして何世紀にも渡りポグラムなどの繰り返されたヨーロッパやロシアでも、1948年にイスラエルが建国されるまで多くのユダヤの人々は、砂漠から砂漠へそして街から街へと流浪の習慣が長かった。ヨーロッパやロシアでは、外部者として移り住んではその土地からまた別の土地へと、いつも事あるごとに去らなければならなかった。そんな流浪をくり返す彼らには、物事を長い目で捉えて考える必要性もなく、生活は常に一時しのぎ、腰を据えてひとところにじっくりと留まるという観念は生まれたくても生まれえない。そしてそんな彼らがイスラエルという、一見、半永久的な安住の地に思える国にたどり着き根を下ろすことになっても、長年培われた民族の特性はなかなかそう簡単には変わりはしないのである。

そして、パレスチナ問題と反イスラエル&ユダヤを説くアラブ諸国に囲まれているイスラエルという国が、果たしていつまでこのような形にて存在するのかも、未来永劫保障されているとも言いがたく、このユダヤの流浪性は、今の世代にも変わることなく無意識に受け継がれているように思う。実際に、現在のイスラエルという国は、まだ建国後60年にも満たないのだから、この先この国がどうなるかは誰にもわからない。まあこの国が亡くなる、またはどこか他の場所に国民ごと移動するなんてことはないだろうけどね。これは「イエ・ベセデ~(何とかなるよ)」と楽観的に思うしかない。

そんな流浪の果ての国に住むユダヤの民族性は、ニッポンの長い間に土着したコツコツのメンタリティーとは異なり、まさしく南北戦争時代の「風と共に去りぬ」のスカーレット・オハラの「今日は今日の風が吹く、明日のことは明日考えよう」のようであり、ポグロムのロシアを舞台にした「屋根の上のバイオリン弾き」で歌たわれる「日はまた昇りまた沈む・・・」なのだなあ。ニッポンの人についてあえて言うならば、少々何事にでも心配しすぎるとも思わないでもないけれど。イスラエルのなんちゃって寿司でも食べたら、少しは「イエ・ベセデ~(何とかなるさ~)」になれるかもね。ん?そうなっていいのか?!

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