カテゴリー: 心と精神の浄化

コップに半分の水

もう12月もそこまで、西暦での一年の終わりも近づきつつあります。昨日のエルサレムの安息日はとても温かく、まるで初秋のような一日で、Tシャツ一枚で自宅近くの大きな公園に散歩に行きました。久しぶりに松や杉、オリーブの木々の自然の中を歩き回りましたが、どこかしらオーソドックス・ユダヤの帽子姿を想わせるようなどんぐりらしき実やオリーブの実が土の上に落ち、年明けには花が咲くシクラメンの茎が岩の間から顔を出しはじめていました。いつまでも温かいとはいえ、自然は確実に冬に向かっているのですね。一年が過ぎるのがとても早く感じます。

ユダヤ暦の一年では、トーラー(旧約聖書のモーシェの5書)を毎週安息日ごとに分けて朗読してゆきます。トーラーの各週の部分をパラシャといいますが、なぜユダヤは毎週毎週トーラーのパラシャを繰り返し繰り返し、永遠に読み続けてゆくのか。

ユダヤの人々が、昔々の物語でも歴史書でもないそのトーラーを繰り返し読み続けているのは、そこに書かれている教えを常に自分の生き方に取り入れてゆくことにあります。トーラーを正確に読んでみると現代の私たちの生活の出来事と重ねることができ、そこから学ぶことが非常に多く、毎週その週のトーラーのパラシャを読むことによって様々な角度から自分たちの行動や思考を見直してゆきます。

今週のパラシャは、創世記23章1節-25章18節のサラの生涯についてです。サラの生涯は決して希望に満ちた楽しく愉快な一生ではなく、エジプトのファラオに人質にされたり長い間子宝にも授からず、辛い題材の多い人生でした。この電脳空間寺小屋メンバーのイツホックに教えてもらったあるラビのこのパラシャの解釈は、「サラはそれらをポジティヴに受け止め、精神的に向上する選択をした。そして人生で起きたすべてのことがよいことだったと言える人に成長し、127歳、その生涯の幕は下りた」というものでした。

生きてゆく上では色々なことが起きます。常にうれしいことばかりではなく、不条理なことや、悲しい出来事もたくさん起こります。しかし、それをどう理解し受け止めるかは自分次第ではないのか。何か予期せぬことが起こった時に、それを否定的に受け止める選択をして嘆いていると、否定的な思考パターンから逃れにくくなってしまう。しかし、そうではなくそこから何かを学びポジティヴに展開して行くのもまた自己の選択であると。

コップに半分入った水。「たった半分しかない」と嘆くのか、「まだ半分もあるじゃないか」と感謝するのか。「コップに半分水が入っている」と言うことだけが事実であって、そこからの展開は自己の責任でしかない。

人生とは、起きた事実は10%であり、残りの90%は自分の受け止め方である (ラビ ヤコブ・ウェインバーグ)

人生での出来事をポジティヴに受け止め展開することから、人は成長してゆくのだと思うのです。

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