舌の持つパワー

こんなユダヤの話を旧ブログに載せたことがあります。もう一度、自分にの心にしっかりと留めるために、ここに記しておきます。

ホフェツ・ハイムという偉いラビがいました。トーラー(旧約聖書)を一筋に学んでいたホフェツ・ハイムは俗世のことはあまり知りませんでした。ある時、ある人がホフェツ・ハイムに言いました。

「ラビ、あなたは劇場に行ったことがありますか?」

「劇場?それはなんですか?」

「これはこれは!劇場をご存じないと?劇場ではたくさんの観客が集まってステージで行われる劇を見るのですよ」

「ほー!どれくらいの観客が集まるのですか?」

「そうですね、200人ぐらいは集まりますよ」

「ほー!それで、その200人の観客は劇場では何をするのです?」

「ラビ、それは劇場ですから、劇を見るのです」

「ただ劇を見るだけですか?」

「そうですよ」

「ほー!劇を見るだけ・・・。その間、観客の誰もが話しをしないのですか?」

「ラビ、そりゃあそうですよ。じっと2時間ほどステージの劇を見るのですから!」

「ほー!!!それはいいことだ!人々にもっと劇場に行くことをお奨めしなさい!」

「ラビ、なぜですか?」

「だって、2時間もの間、誰も人の噂をしないなんて、すばらしいことです!」

「飛び散った羽毛のごとく」

男はいつものようにとある人について陰口や噂話をしていました。

でもある時、男はその人についてまったく思い違いしていたことに気が付いたのです。

そこで男は白いひげのラビ(ユダヤ教の教師のことです)を訪ねて行き、その人に今まで言ったことについて謝りたいが、一体どうしたらよいかと尋ねました。

ラビは言いました。

「この羽毛入りの枕を持って市場へ行きましょう。」

男は何がなんだかわかりませんでしたが、ラビに言われるままに枕を持ってラビと一緒に市場へ行きました。

男はラビに尋ねます。

「さて、ラビ。市場に着きましたが、それと私の質問とどう関係があるのですか?」

ラビは男に言います。

「ではここで、この枕を破って中の羽毛を全部取り出してみなさい。」

男は言われるままに枕の中身を取り出しました。すると瞬く間に羽毛は風に乗ってあたり一面に散らばり、あちらこちらへ飛んで行ってしまいました。

ラビは男に言います。

「では今度は、この羽毛をすべて元のように集めてごらんなさい。」

男は答えます。

「ラビよ、それは絶対に無理です。もう探しようがないくらいに、あっちこっちに散らばってしまいました。」

ラビは男に言います。

「その通り。そしてそれはあなたのしたことと同じではありませんか。散らばった羽毛も、もう発してしまった言葉も、いくら謝っても元に戻すことはできない。あなたは言葉を発する前によく考えるべきでした。」

男は自分のした事の重大さに頭をうなだれました。

ユダヤでは、例えそれが真実であったとしても良い噂話であっても、「人の噂話をすること」や「他人についてあれこれ話すこと」は非常に避けなければならないとしています。

十戒には、「汝殺すことなかれ」と書かれています。タルムードと呼ばれるユダヤの経典では、人前で他人を罵ったりおとしめたり、他人を辱めることは、その人を殺すのと同じに値すると説かれています。人に精神的な苦しみを与えることはそれほど大変な過ちなのだと。そして人を殺した後でいくら反省しても、その人は生き返りはしません。元に戻らぬ、散らばった羽毛と同じように。人は言葉の持つ力を知らなければならない。

また旧・新約聖書では「自分自身を愛するように隣人を愛しなさい」と書かれています。つまり、自分にされて嫌なことは人にはしてはいけないということ。「そんなことは当たり前じゃないか?!」と思っていても、ついつい自分かわいさに忘れてしまいがちなことです。何事も行動するにあたって、まず自分がその人の立場に置かれた時のことを思い描いてみる。すると一つ一つの行い、言葉、はおのずから労わりや思いやりを含むのではないでしょうか。

人は自分のなりたい人になれるのだから。自分は自分の生産物。他の誰のせいでもない。

スタンな女

先日テル・アヴィヴで久々の自爆テロがあった。旧バスターミナルの付近らしく、幸い死亡者はなし。あ、その魚雷さん以外はです。負傷者は20人だか30人だからしい。まったく、アホナコトヲ。

その日は自宅で仕事をしていたので、テル・アヴィヴにいなくてほっとした。いつどこでこんなことがあるかわからないのが、やっぱり怖い。

この前、テル・アヴィヴで会社に行く途中に現バスターミナルから乗ったタクシーの運ちゃんとの会話。

「オネエチャン、テル・アヴィヴで朝のはよからなにしてんのん?」

「仕事ですがな」

「へー、何の仕事してんのん?」

「コンピュータ」

「え~!!そんなんオレ、生まれて初めて聞いたで!」

でたよ、必殺イスラエル人、生まれて初めてと言うフレーズがお好き。

「何が初めて聞いたん~?」

「フィリピンの人やろ~?」

ズルッ。ちゃいますて・・・。

「あ、ほな、ロシア人、えっ、ちゃう?じゃ、タイ人?えっ?ちゃう?じゃ、チャイナか?」

「あ~、ちょっとちこなってきたね、ほら、そのすぐ近くにあるやん、コンピュータの国がさ~」

「わかったわかった、韓国!え~、ちゃうのん?うーん、その近くねえ・・・あ~、あるわなあ。わかった!これやこれ、カザフスタン!!どや、そこやろ!」

・・・ズッコケマシタ。何で韓国の近くの国ゆうて、スタンに飛ぶのだ?

「ちゃうてちゃうて、ほら、さっきの近くに戻って~」

「ん~、そしたらもうここしかないな、キルギスタン!!せやろっ!」

・・・・・いや、スタンはもうええっちゅうねん、誰がスタンやねん・・・。でもこのおっちゃん、いや、オニイサン、真顔でしたワ、真顔。

以前にもエルサレムのショッピングセンターでダダダーッとピンクのほっぺたで駆け寄ってくる若い男あり。

「むにゃむにゃむにゃ?」

「はっ?」

「むちゃむにゃむ・・・カザフスタン???」

「・・・・ちゃいまふ・・・」

何でいつもスタンなんやろうなあ・・・。そんなにスタンっぽい?あ、スカタンか。

Can we go to Gottex?


ここ何ヶ月かの間、テル・アヴィヴのとある企業のプロジェクトに参加。週に何度かテル・アヴィヴまでバスで通っていますが、それもそろそろおしまい。「あー、よかった」と思っていた先日のこと、この期になってその会社の近くですばらしいものを発見してしまいました。

イスラエルのカジュアル・ファッションの王道を行くのは、何といってもCastro (カストロ)。デザインもヨーロッパ並みでなかなかオシャレ。でも値段もヨーロッパ並みでかなり高め、しかし質はソコソコ。その次はFoxやGolfなど、お手ごろ価格なだけあって一シーズン着たらさようなら~。ちと勿体ないお金の使い方と物質のあり方。

そして~、イスラエルといえばGottex(ゴテックス)! 1980年代の終わり頃にはすっかりイスラエルのGottexと言えば水着界では王様。中東風の派手派手キラキラなデザインが、その頃のイケイケ・ファッションにぴったり。

しかし最近はそのGottexもあまり聞かないなあと思っていたら、なあんと、ありましたありました。昼食をとりに近くのサラダ・カフェに出かける途中、大きなGottexのお店をそのテル・アヴィヴの会社の横で発見!が、一緒に昼食に行く仕事仲間の方々は男性のみ。しかもその一人はおっフランスのオーソドックス・ユダヤのひげもじゃん。彼はできるだけGottexのショー・ウィンドを見ないように歩いてゆく。なのでそんな彼に「ねえねえ、ちょっとここに寄ってもいい?」とは切り出しがたく、「今日、仕事が終わったら帰りにゆっくり寄ろうっと!」なんて甘い考えで、横目で恨めしそうにその大きな店の前を通り過ぎた。

さて仕事が終わり、時計を見るとすでに6時半。8時間も薄暗い部屋の中でのコツコツ作業にすっかり疲れました・・・。かのGottexさまといえども、もう店内をブラブラする気力はなし。帰宅後にインターネットで検索すると、ありましたよ~。でも予想通りに高いね、ほんと。一着150USドルほどもしてますワ。オフ・シーズンだからテル・アヴィヴのあのお店で買うと、少しは安くなっているかと思わないこともないけど。が、それ以前に問題あり。この水着をイメージどおりに着たければ、激しいダイエットと足を長くする整形が必要だす。いや、本当にほしいのはシンプルな黒のワンピースなのよねん。でもやっぱりダイエットが必要なのは変わりないか。冬のエルサレムから一時間も車を走らせれば、そこはTシャツ一枚の夏の世界、死海。ああ、新しい水着で、久しぶりに死海に行きたいなあ。

Gottexの水着はこちらで見れます。男性諸君、鼻血にご注意。http://www.bestswimwear.com/gottexswimwear.html

Over the Rainbow

テル・アヴィヴに行く途中の朝、バスの中から虹を見ました。薄暗い雨のイスラエル。田園風景が広がる中に、すーっと七色の虹が雨雲の中へ伸びていました。

虹はノアと神との契約の印。創世記の一話には、ノアの箱舟の話が書かれています。ノアの時代はモラルが欠落した社会で、神はそのような生き物である「人」を創造してしまったことを後悔し、洪水を起こし、それまでの人の犯した過ちと愚かさをすべて洗い流した。そんな世界で選ばれたのは、そのような愚かな社会に流されず、自分の信じる道を生きていたノアだった。

洪水の後、「再び大洪水によってこの世を滅ぼすことはない」と神はノアとその子孫に約束をし、虹をその印としました。虹を見るとそのことを思い出します。社会の風潮に流されずに、マイノリティーであっても自分に正直に生きたい。そして、暗い雨雲の中にも虹を見ることができるなら、人生の雨降りの日々にも、どこかできっと虹を見ることができると信じたい。

ユダヤの祈りのひとつに、虹を見た時の祈りがあります。            
         

                  
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ברוך אתה יהוה אלהנו מלך העולם
זוכר הברית ונאמן ננריתו וקים במאמר

ちなみに、昨日は、国の決めた5月のホロコースト記念日とは別のラビニカルなホロコースト記念日でした。エルサレムにある、世界で一番大きなホロコースト博物館ヤド・ヴァシェムも、去年の夏だったかにリニューアルしたので、一度足を運ばねばと思いつつもお気軽にひょいっと行きたい場所でもなく。いろいろな思いもあって、ズラズラと伸ばし伸ばしになっています。忘れてはならないことがいっぱいある・・・。

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