2005/12/30 at 7:45 am (ユダヤの暦)
ハヌカも今夜で4日目を迎えました。エルサレムの自宅付近では、通りの家々の窓や玄関の前に置かれたハヌキヤに灯された火の光が、あちこちに温かく輝いています。
昨日の日没後、カメラを持ってウロウロと、シャアレイ・ヘセッド(よき行いの門)という名の地区へと。この辺りは、二軒に一軒はイェシヴァ(ユダヤの宗教学校)かシナゴーグ、はたまたイェシヴァの男子学生寮、という濃ゆい地区。イェシヴァへと世界中から集まってくる留学生も多く、スーツケースをゴロゴロと引きずる黒い帽子の黒い男の人影がアチラコチラに。そう言えば、昨夜はあの地区では一人も女性とは出会わなかったかも・・・。そのシャアレイ・ヘセッドに、ハヌカ通りと勝手に呼んでいる、あるひっそりとした通りがある。100メートルほどのこの短い通りの両側の家々のドアの前には、毎年、いくつものハヌキヤが置かれていて、なかなか美しい。
ハヌカは、BC2世紀(BC165年)のギリシャとの戦いで、ユダヤ暦のキスレヴ月の25日に、マカビーという少数のコーヘン(ユダヤの神殿に使える司祭のような役職の人たち)がエルサレムを開放しユダヤの神殿を取り戻した勝利を祝うもの。勝利後、ギリシャから取り戻したエルサレムのユダヤの神殿では、コーヘンたちが火を灯すオリーブ油が一日分しかなかった。しかし、それがなんと八日間、燃え続けたのだそう。そこで、ハヌカでは神の存在を忘れないようにと八日間に渡って、日没と共に一本ずつ、一日目は一本、二日目は二本、三日目は三本・・・と、ハヌキヤと呼ばれるオリーブ油に芯を入れたものに火を灯してゆく(家庭によっては蝋燭もあり)。上の写真は、アパートの入り口に置かれたハヌキヤたち。ハヌキヤにも色々なデザインがあっておもしろい。写真のようなボックス型は屋外に置く用。家の中のハヌキヤには、普通の一列に並んだ蝋燭立てのようなものが多いかな。
ちなみに、ハヌカの火の光は、ただ神の存在を忘れないために見つめる光でなければなりません。なので、ハヌキヤの火の光は、本を読んだり物を照らしたり、「使用」することはできず、そのために、毎日一本余分な火を灯します。そうすることで、仮にうっかりと、そのハヌキヤの火の光で本のページをめくったとしても、その余分の一本さんの光で読んだのよ、ということになるからなのですね。
ユダヤの法(ハラハ)では、各家庭にひとつ、ハヌキヤを持つようにとされている。その理由ははっきりしませんが、ユダヤの家庭は神殿を象徴するものだからというものもあれば、こういう話もあります。キスレヴ月の25日にユダヤが勝利するまでは、ギリシャはユダヤに様々なことを禁止しましたが、その中では、ユダヤの人々が宗教的なことを家の中で隠れてできないようにと、玄関のドアを閉めることが禁止されていた。そしてもはや、玄関のドアはドアとしての役割を失い、しまいにはユダヤの各家庭から玄関のドアが取り除かれることに。そしてユダヤに勝利がもたらされたのちは、玄関のドアを取り戻し、そのことから、ハヌカではハヌキヤを各家庭の玄関のドアの前に置くようになった。しかし、反ユダヤの歴史などにより、ハヌキヤは玄関のドアの前ではなく家の中に置かれるようになり、現在は外から見えるように窓際に置くようにと変化したと。
エルサレムの日が沈む頃、家路に向かうお父さんたちの姿。帰宅した家では、窓のそばでお父さんが「さあ、みんな集まって!」とハヌキヤに火を灯すのに合わせて、子供たちが幸せそうな歌を歌う。お母さんの揚げたてのスフガニヤ(丸いドーナツ)に、ユダヤの駒まわし。澄んだ空には大きな星座が見えはじめる。そんなハヌカの祭りは、なんとも言えない温かさというか、何かが心に染みる。じっと火の光を見つめるということが、なんとも心を洗ってくれるというか、そんな気がしてならない。通りの家々の窓に見えるオリーブ油の火の光などを見るだけでも、その日に起きたちょっとした嫌なことや大小諸々のことが、すーっと浄化されるような気がします。
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2005/12/30 at 6:22 am (ユダヤの食卓)
ハヌカがやって来て、エルサレムの街にも少しは年の暮れの雰囲気が出はじめたような感じがします。夜の街には、たくさんの観光客が探索する姿があちこちで見られます。特にこの時季や祭りの時季に自宅から新市街の方へと歩いてゆくと、行き交う人の話し言葉は、アメリカ語とフランス語。ヘブライ語はほとんど聞こえてきません。うーん、一体私はどこにいるのだろうかと、よく思ってしまいます。こんなだから、ヘブライ語会話がいまひとつもふたつも上達しないのよねん。ここは、ほぼ、リトル・アメリカ&フランスですけん。
しかし、スーパーなどに行くと、少し前まではレジの大きなおばちゃん連中はロシア移民で牛の歩みのごとくだったのが、ここしばらくの間でそれも変わりつつあり、スレンダーな若きニコヤカなエチオピアのオネエチャンだったりする。イスラエルで出会うエチオピアの人って、なんだかとても繊細で憎めない。気がつけば、こんなに小さな街エルサレムも、かなり地球の端から端までの人たちが、何気なくさらりと犇めき合っている。
そんなエルサレムのハヌカの間、うらうらと歩いてみれば、そこもかしこのパン屋とお菓子屋には、おいしそうなスフガニヤ~!そう、あの、まあるいドーナッツ。揚げたては本当おいしおますねんで。スフガニヤの中には、まったく人口の色と味をしたイチゴジャム(おそらく・・・)や、モカクリームなど、入ってないほうがひょっとしたらおいしいんちゃうか、と思うようなものが入っている。が、イスラエルの人たちは、これが好きなのかも?
ここでワンポイント・なぜなに君。
「どうして、ハヌカではスフガニヤや揚げたポテト・パンケーキを食べるのか?」
答えは簡単。前回書いたように、ハヌカはユダヤの神殿に灯したオリーブ油に関係しているから、このお祭りのあいだは油を使った食べ物を食べるのですな。それだけよん。単なる伝統というか、文化というか。小難しいことは一切なしよ。言ってみれば、油揚げでも、串カツでもいいのかもねん。でも、ユダヤの人は伝統に関してはかなり保守的だからね、やっぱりスフガニヤかな。
ではでは、新年を迎えられるみなさま、よいお年をお迎えくださいませ~。
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2005/12/28 at 6:19 am (心と精神の浄化)

ハヌカも今夜で4日目を迎えました。エルサレムの自宅付近では、通りの家々の窓や玄関の前に置かれたハヌキヤに灯された火の光が、あちこちに温かく輝いています。
昨日の日没後、カメラを持ってウロウロと、シャアレイ・ヘセッド(よき行いの門)という名の地区へと。この辺りは、二軒に一軒はイェシヴァ(ユダヤの宗教学校)かシナゴーグ、はたまたイェシヴァの男子学生寮、という濃ゆい地区。イェシヴァへと世界中から集まってくる留学生も多く、スーツケースをゴロゴロと引きずる黒い帽子の黒い男の人影がアチラコチラに。そう言えば、昨夜はあの地区では一人も女性とは出会わなかったかも・・・。そのシャアレイ・ヘセッドに、ハヌカ通りと勝手に呼んでいる、あるひっそりとした通りがある。100メートルほどのこの短い通りの両側の家々のドアの前には、毎年、いくつものハヌキヤが置かれていて、なかなか美しい。
ハヌカは、BC2世紀(BC165年)のギリシャとの戦いで、ユダヤ暦のキスレヴ月の25日に、マカビーという少数のコーヘン(ユダヤの神殿に使える司祭のような役職の人たち)がエルサレムを開放しユダヤの神殿を取り戻した勝利を祝うもの。勝利後、ギリシャから取り戻したエルサレムのユダヤの神殿では、コーヘンたちが火を灯すオリーブ油が一日分しかなかった。しかし、それがなんと八日間、燃え続けたのだそう。そこで、ハヌカでは神の存在を忘れないようにと八日間に渡って、日没と共に一本ずつ、一日目は一本、二日目は二本、三日目は三本・・・と、ハヌキヤと呼ばれるオリーブ油に芯を入れたものに火を灯してゆく(家庭によっては蝋燭もあり)。上の写真は、アパートの入り口に置かれたハヌキヤたち。ハヌキヤにも色々なデザインがあっておもしろい。写真のようなボックス型は屋外に置く用。家の中のハヌキヤには、普通の一列に並んだ蝋燭立てのようなものが多いかな。
ちなみに、ハヌカの火の光は、ただ神の存在を忘れないために見つめる光でなければなりません。なので、ハヌキヤの火の光は、本を読んだり物を照らしたり、「使用」することはできず、そのために、毎日一本余分な火を灯します。そうすることで、仮にうっかりと、そのハヌキヤの火の光で本のページをめくったとしても、その余分の一本さんの光で読んだのよ、ということになるからなのですね。
ユダヤの法(ハラハ)では、各家庭にひとつ、ハヌキヤを持つようにとされている。その理由ははっきりしませんが、ユダヤの家庭は神殿を象徴するものだからというものもあれば、こういう話もあります。キスレヴ月の25日にユダヤが勝利するまでは、ギリシャはユダヤに様々なことを禁止しましたが、その中では、ユダヤの人々が宗教的なことを家の中で隠れてできないようにと、玄関のドアを閉めることが禁止されていた。そしてもはや、玄関のドアはドアとしての役割を失い、しまいにはユダヤの各家庭から玄関のドアが取り除かれることに。そしてユダヤに勝利がもたらされたのちは、玄関のドアを取り戻し、そのことから、ハヌカではハヌキヤを各家庭の玄関のドアの前に置くようになった。しかし、反ユダヤの歴史などにより、ハヌキヤは玄関のドアの前ではなく家の中に置かれるようになり、現在は外から見えるように窓際に置くようにと変化したと。
エルサレムの日が沈む頃、家路に向かうお父さんたちの姿。帰宅した家では、窓のそばでお父さんが「さあ、みんな集まって!」とハヌキヤに火を灯すのに合わせて、子供たちが幸せそうな歌を歌う。お母さんの揚げたてのスフガニヤ(丸いドーナツ)に、ユダヤの駒まわし。澄んだ空には大きな星座が見えはじめる。そんなハヌカの祭りは、なんとも言えない温かさというか、何かが心に染みる。じっと火の光を見つめるということが、なんとも心を洗ってくれるというか、そんな気がしてならない。通りの家々の窓に見えるオリーブ油の火の光などを見るだけでも、その日に起きたちょっとした嫌なことや大小諸々のことが、すーっと浄化されるような気がします。
注:マカビーとは「神よ、強き者の中であなたのような方はいない」という意味のヘブライ語「Mi Chamocha B’elim Hashem」(出エジプト記15章11節)の頭文字からです。
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2005/12/18 at 5:31 am (心と精神の浄化)
私の好きな映画のひとつに、オーストラリア出身のピーター・ウィアー監督の1975年作の映画「Picnic at Hanging Rock」(邦題:ピクニック at ハンギング・ロック)
という作品がある。
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1900年に実際にHanging Rockで起きた事件を元にしたミステリアスな世界。1900年、バレンタインズ・ディに、とある名門寄宿学校の女学生たちと教師たちは、メルボルン近くのハンギング・ロックにピクニックに行く。そしてまったりと牧歌的な時間が流れ、主人公のメランダを含む何人かはHanging Rockで吸い寄せられるような謎に包まれたままどこかへと消えてしまい、最後まで誰もその真相を知ることはなかった。この主人公のメランダのボッティチェリ的な美しさと、当時の女学生たちの日常、清楚な服装、そして非現実な出来事のミステリアスがぴったりと合い、どんどんと不思議な世界へと引き込まれてしまう。見終えた時には、100年も前に起きた失踪事件の不気味さと謎が今起きた事件かのように思えてしまう。Hanging Rockについてはほとんど知らないけれど、どこか神がかりな雰囲気のある山なのかも。
京都時代の知人に偶然この辺りの出身の男の子サムがいた。「リバー・ランズ・スルーイット」の頃の爽やかなブラッド・ピット似のサムは、子供の頃にこのHanging Rockに何度か遊びに行ったことがあると言っていた。やはりちょっぴり怖かったそうだ。
先日、アナトットの谷へ行った時、あたりの岩山や砂漠にそのHanging Rockを思い出した。・・・と言っても、ワタシは美少女でもなければ寄宿舎の女学生でもないけどね(笑)。でもエルサレムのお山に住んでいるから、ちょっとは浮世離れしているかも。
追記:コレを書いてからなんとなく気になって映画のことを検索してみたら、おやおや、実話に基づくというのはどうもそうではないらしい。Joan Lindsay という作家の本の原作にしているよう。ふーん、1900年にHanging Rockで女学生が行方不明になった事実はなく、何らかの事件があったらしいが、もう関係者がすべてあちら側の世界の人なので、それもはっきりしないよう。
こちらのページの真ん中辺り「PICNIC AT HANGING ROCK THEATRICAL TRAILER」の写真をクリックすると、予告編をダウンロードできます(英語)。
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